mardi 29 décembre 2009

Reinventing the relationship between science and the public



In his four consecutive articles in the News section (1-4), David Cyranoski timely covered recent actions by the working groups of the Japanese Government Revitalizing Unit to cut the budgets of almost all projects including scientific ones. This is indeed a serious situation for the Japanese science. However, having read the article published online 26 November 2009 (3), I equally noticed serious problems in the recognition of science on the part of scientists. In this article, Nobel prize-winning Susumu Tonegawa is quoted as saying in the symposium held at the University of Tokyo: “People don’t realize how the fruits of basic science are all around them, in their [Global Positioning Systems], their vaccines, their mobile phones”, as if the lack of understanding were the fault of people. Furthermore, another Nobelist Ryoji Noyori straightforwardly demanded “more money, not less,” for the funding of graduate students in science and the investment in university education. As Cyranoski rightly depicted this situation, “much of the discussion lamented the Japanese public’s lack of appreciation for the value of basic science.” However, there seems to be no hint in the comments from two Nobel laureates that they have reflected upon what science, not science-technology, is really about and why science is indispensable to our daily activities, and above all no intention to educate people by sharing their interpretations of the deep meaning of science with them. Without it, it is hard to obtain a public support that is critical to the future of science and more importantly to our society.

Carl Woese, for example, rightly pointed out in his essay (5) that “a society that allows biology to slip into the role of changing the living world without trying to understand it is a danger to itself.” We, scientists and philosophers of sciences, have not done enough efforts to convince the public of the importance of achieving a society build upon scientific understandings. As Leo Esaki said in the same symposium that “this is an opportunity for us to explain to everybody the significance of science”(3), we have to prudently make a step forward to this direction. In the long run, trying to reinvent novel interactions and understandings between scientists and the public, rather than simply lamenting a lack of understanding or protesting against the government actions, will contribute to the solid future not only for science but also for our society. One may find a hint in the recent endeavours in Spain (6) that mobilized every scientific branch to influence political decisions in the end.


1. Cyranoski, D. “Hope for Japan’s key projects” Nature 462, 835, 2009 (15 December 2009)
http://www.nature.com/news/2009/091215/full/462835a.html

2. Cyranoski, D. “Japan budget threat sparks backlash” Nature 462, 557, 2009 (1 December 2009)
http://www.nature.com/news/2009/091201/full/462557a.html

3. Cyranoski, D. “Japanese scientists rally against government cuts” (26 November 2009)
http://www.nature.com/news/2009/091126/full/news.2009.1108.html

4. Cyranoski, D. “Japanese science faces deep cuts” Nature 462, 258-259, 2009 (19 November 2009)
http://www.nature.com/news/2009/091118/full/462258a.html

5. Woese, C. “A new biology for a new century” Microbiol. Mol. Biol. Rev. 68:173-186, 2004

6. Guinovart, J.J. “Mind the gap: Bringing the scientists and society together. Cell 137:793-795, 2009



lundi 28 décembre 2009

「ふたつの文化」 から50年目の提言



理系と文系の知の乖離を指摘したC.P. スノーの「ふたつの文化(The Two Cultures)」(1) が出版されてから、今年で50年を迎えた。残念ながらそこで指摘されている両者の乖離は改善されるどころか、むしろ悪化しているかに見える。このような状況下、年末には新政権が行った事業仕分けにより科学技術予算も削減され、それに対する科学者側からの反応も目にすることになった。50年を隔てたふたつの出来事の間に、ある種の繋がりを見たのは私だけだろうか。生命科学分野でのキャリアを終え、2年余の間科学を遠くから見てきた者にとって、未熟ながらも科学という人間の営みについて発言することはひとつの義務のように感じられた。

この問題を意識的に考え始めたのは、2008年夏、日本学術会議科学者委員会学術体制分科会の「我が国の未来を創る基礎研究の支援充実を目指して」(2008年8月1日)という提言に接した時からである。そこに書かれてある基礎研究の重要性とその推進のための提言には異論はなかったが、「科学とは『知ること』、すなわち人間の知的創造活動の総体」という一節に触れた時、違和感が襲っていた。科学という営みを構成するのは、第一に対象を観察すること、第二には観察された事実を整理し(=知り)、第三にその事実に論理的な説明を加え(=原因を探し)、そしてその説明を基に新たな状況を予測することで、知ることは科学の一部を構成するに過ぎないと考えていたからである。その後、アメリカにおいても科学を知ることに限定することへの懸念が表明されていること(2)を知り、科学についての本質的な認識が一般のレベルのみならず科学者の間にも欠けている可能性に気付くことになった。

今回の事業仕分け後に示されたノーベル賞学者を含む科学者からの反応には、科学に金が出るのは当然であり、それを削減するのはけしからんというニュアンスが溢れていたが、科学の本質的な意味についての言及は見られなかった。科学技術に偏重し、科学に対する認識が失われた社会がどのようなものになるのかは多くの歴史が教えている。今科学の側が成すべきことは、科学とは一体どのような営みであり、それがわれわれの生活になぜ不可欠なのかを思索し、その認識をできるだけ広く科学の外に共有してもらう新たな活動を始めることではないだろうか。

ここで「ふたつの文化」で提起された問をもとに、一つの方向性を考えてみたい。50年前、スノーはこのような問題提起をした。すなわち、自然科学者に対しては、「シェークスピアを読んだことがありますか?」という問を出し、人文科学者には「熱力学の第二法則を言えますか?」と問いかけている。ここではそれぞれの領域の知識の欠落が問題にされている。しかし、この半世紀を振り返る時、また指数関数的に尖鋭化が進むと予想されるこれからの科学を考える時、このような問題意識で豊かな社会の構築のために不可欠となる文理の統合は可能だろうか。

21世紀に問われるべきは、文理におけるそれぞれの知識ではなく、自然科学や人文科学、芸術の持つ世界の捉え方の特徴について相互に教育・理解し合うことではないだろうか。自然科学者は人文科学に心を開き、例えば自らの科学活動に深みを加えるために、広い枠組みで物事を捉えようとする哲学的視点を導入し、一般の人に向けて科学の成果だけではなく、自然科学の持つ独特な世界の捉え方(科学精神)の日常生活における重要性を理解してもらう試みを始めるべきだろう。

一方、人文科学の専門家は自らの領域に閉じこもることなく科学者との対話に積極的に参加し、これまでの蓄積を紹介すると同時に科学の領域に見られる問題を指摘すること、さらに一般の方は、理性的でより豊かな生活を送るために科学精神を理解し、日常に取り入れることが重要になる。

異なる領域の人が意識的に混じり合いながら科学という営みを哲学し、そこから生まれた成果を一般の方と広く共有する営みをやり続けることこそ、長い目で見た時に科学を生かし、ひいてはわれわれの生活に深みと豊かさを齎すことになるのではないだろうか。現実的にはスペインで行われたように(3)、科学に関わるすべての人が参加した討論の場を新らたに設け、そこで出た結論を社会に働きかけるだけではなく、選挙に際して政党に迫るところまでもって行かなければ真に科学が生かされることはないように見える。


文献

(1) Snow, C.P. The two cultures. Rede Lecture, 1959. In "The two cultures and a second look", Cambridge University Press (1987)
(2) Alberts, B. Redefining science education. Science 323, 437 (2009)
(3) Guinovart, J.J. Mind the gap: Bringing scientists and society together. Cell 137, 793 (2009)



samedi 26 décembre 2009

一口に科学者と言っても


先日、日本の学会で話した内容について何人かの方にコメントを求めた。その中のお一人、もう30年来の友人になる K 氏がコメントを送ってくれた。感謝。彼によると、科学者に哲学的心を求める考え方には賛成だが、身近の教授連中と話していると現実的には難しいところがあるとして、ピーター・メダワーのエッセイの一節が添えられていた。

"There is no such thing as a Scientific Mind. Scientists are people of very dissimilar temperaments doing different things in very different ways. Among scientist are collectors and compulsive tidiers-up; many are detectives by temperament and many are explorers; some are artists and others artisans. There are poets-scientists and philosopher-scientists and even a few mystics. …"
Peter Medawar: Hypothesis and Imagination

メダワーによると、科学者と言っても一種類ではなく、その心は多様である。例えば、多くが探究心を持っており、コレクターに始まり、哲学者、詩人、そして最後には神秘主義の傾向を持つ者さえ少ないがいる、と書かれている。確かに、現実を冷静に分析している。実際にその中にいる人間は、意識するか否かに関わらず、どれかを選択して歩んでいるはずである。

振り返ると、私の場合にはコレクターとは言えないが、見つかってきた一つひとつの事実をさらに深めようとする試みを続けてきたと言える。それで満足しながらやっていたようだ。しかし、その営みが終わりに近づくにつれ、何とも言えない不全感が訪れていた。その原因を探ると、何かを理解したという感覚がほとんどないことに行き着いた。そのことに気付いた時、全体を理解しようとする哲学の必要性に思い当たったのだ。現在の歩みは、科学全体の営みを見直す試みだとも言えるだろう。この試みが終わる頃、どのような感慨を持っているのだろうか。

vendredi 25 décembre 2009

「学術の動向」を読み、科学がやるべきことを想う


「学術の動向」2009年1月号の新春座談会を読む。タイトルは、 「社会のための科学(Science for Society)」 と 「科学のための科学(Science for Science)」で、ネットに公開されている(PDF)。このタイトルを見て、「科学のための科学」の意義について新たな視点が示されているのかと思って読み始めたが、「社会のための科学」が圧倒しており、「科学のための科学」についての思索の跡はほとんど見られなかった。科学は貢献しなければならないと考えている方が多いようだが、どのような貢献かについては暗黙の了解があり、それは科学の外にいる一般の方と変わらないような印象を持った。それは次のエピソードを読んだ時である。

テレビ・キャスターがノーベル賞学者にその研究は社会にどう貢献するのかと聞いたのを見て、そう問うのは「社会のための科学」であり、それ以外に「科学のための科学」もあることをキャスターも認識してほしいと語っている件である。一般の方の科学に対する理解不足を嘆くのは、最近あった事業仕分け後に見られた科学者の反応とも共通するところがある。その前に科学の側が考えるべきことがあるのではないだろうか。例えば、「科学のための科学」をどのように捉えるのか。貢献すると言う時、それは何に対してなのか。科学的な思考を教える科学では社会に貢献したことにならないのか。これらの「科学のための科学」の存在意義を思索した上で、それを社会に訴えかけること。これこそ、科学の側がいくらやっても充分ということはないだろう。その認識が科学の側に不足しているように感じながら、新春のお話を読んでいた。

jeudi 24 décembre 2009

専門誌で思い出すこと


アメリカ生活3年目くらいからのことではないかと思う。結果が思うように出てくれないので、完全に待ちに入っていた時期がある。この1-2年間、何を思ったのか New England Journal of Medicine、Lancet、Science、それにイギリス人のボスの部屋で見かけた Daedalus (American Academy of Arts & Sciences の機関誌) を自分で取ることに決め、研究テーマとは関係ない記事や論文を読んでいた。今振り返ってみると、この態度はものを遠くから広く見ようとするもので、ある意味では哲学的な視線を楽しんでいたことになる。ゼロから始めなければ駄目だとでも思っていたのだろうか。現在の歩みにあまり違和感を感じないのは、このような時間とも繋がっているような気もしてくる。昨日の記事が思い出させてくれた人生の一断面になる。

mercredi 23 décembre 2009

哲学的エッセイが専門誌に広まっている?


今日は研究所で関連する科学雑誌の今年1年分を眺める。予想以上に興味を引く論文が目に入る。雑誌によっては、仮説や哲学、あるいは科学を少し引いた視点から見た論文(エッセイ)を載せるようになっている。NatureやScienceでは昔から行われているが、その傾向がしばらく見ていなかったCellなどにも広がっている。科学の結果だけではなく科学という営みそのものに目をやることは、自らの活動に批判的な目を向けることになる。この視線こそまさに哲学の視線で、これから益々哲学的な営みの重要性が増してくるだろう。科学の分野に哲学者が発言しなければならない所以でもある。そのことにより、科学がより奥行きを持ってくる予感があり、望ましい傾向だと思いながら読んでいた。

mardi 22 décembre 2009

理解する研究


理論免疫学者メルヴィン・コーン(Melvin Cohn)博士の20年前のエッセイを読む。まず目につくのは、免疫系を理論化する場合、常に進化の光を当てていることだろう。当然と言えば当然だが、徹底している。それから実験により事実の断片を集めるのではなく、全体を理解したいという願望、さらに言うと強い意志を感じる。ある世界を見る時にひとつの原理のような枠組みを何とかして掴みたいという意志である。そこに向けて正確で妥協しない強靭な思考を心がけている様子がよくわかる。そのため上位の論理に適合しない思考には厳しい言葉を吐いている。時にユーモアも交えながら。そして、その枠組みがない免疫学の何と無駄が多いことかと嘆き、彼の論理ではあり得ないイェルネ博士によるイディオタイプ・ネットワーク説に基づいて発表された数千の論文を見るだけで十分だろうとしている。

また、現代の科学では知の断片の収集が過大な評価を受け、理論的な枠組みを提供する仕事は過小評価、あるいは無視されている。この事実に対する彼の深い怒りのようなものが感じられる。本当の発見は両者の合作のはずだからだ。この点には全面的に同意する。そして、あるものの全体を理解したいという思いが強くなっている私は、コーン博士を遥か前を行くランナーのような目で見ていた。以下に、彼の言葉を。

"This leads me to generalize my point by asking, What are we teaching in these institutions, which dominate worldwide the thinking of the immunological community? Not the search for principles of generality; the institutional environment does not appreciate such effort, much less reward it. Education rather seems to fix forever the direction of students' efforts so that their sole goal is to demonstrate that what they have been taught is scripture even when it is popery. It is little wonder that we have come to prize purely technical over conceptual achievement in spite of their interdependence, in par this is due to a loss of asceticism, in part to a lack of training and confidence in our ability to evaluate Socratic thinking, in part to the so-called practical values imposed by our promotion, grant, and prize awarding committees. The tragedy is that we no longer worship understanding as the goal of science. Having totally lost respect for rational skepticism, we allow quantity rather than quality, charisma rather than scholarship, and the desire to be accepted rather than the need to question, to influence and, in the end, determine our judgment."

Forward to Rodney E. Langman's "The Immune System"
"Clippings from one immunologist's journal" (1989)

lundi 21 décembre 2009

梅原猛編 「脳死は、死ではない。」 を読む



梅原猛編 「脳死は、死ではない。」 (1992年)

先日、日本の古本屋で仕入れたこの本を週末に読む。脳死の問題は当時横目で見ていて、少数意見が併記された異例の政府臨調報告になったことを覚えている程度だった。この本にはその少数意見を出した方々が集まり対談した内容と梅原氏の講演、最後に臨調の報告書が添えられている。おまけに当時の新聞切り抜きがいくつか挟まっていた。このお話を聞きながらいろいろな思いが巡っていた。

彼ら少数派はどうしても脳死は人の死とは認められないとし、臓器移植推進派と激しく渡り合った様子が語られている。結論から言うと、この臨調はあくまでも臓器移植を進めるために必要だった儀式ではなかったのかという疑い(よりは確信に近いもの)だろう。脳死を死として臓器の確保を容易にしようとする動きだったと結論している。その過程で、彼ら少数派は臓器移植とは一体どういうことなのか、死をどのように捉えればよいのかという根本的な、言ってみれば哲学的な問を仕掛けるが、医学の側を含む推進派はそれを無視することが多かったようだ。それは医の側が医学を取り巻く根本的な問題をほとんど考えてこなかったためではないかと疑っている。この点に関して言えば、医学にはこのような問題を考える能力がないので、医学教育の中に哲学、倫理、その他の全人的な要素を取り込む必要があると主張している人もいた。全く同感である。

それと同質の出来事を思い出す。それはもう15年ほど前になるだろうか、がんの根治療法の是非について慶応大学の近藤誠氏とがん外科医との間で激しく行われた討論のことである。近藤医師は 「患者よ、がんと闘うな」 などの著書でもわかるように、がんになった後の根治治療には否定的で、亡くなるまでの間の生活の質を大切にする立場にある。同じような考えを持っている医者もいたとは思うが、はっきりとした形で発言したのは彼が最初ではないだろうか。いずれにせよ、根治療法を主張する側の論拠は、がんの治療法は手術と放射線と薬であり、患者を見つけたらがんを徹底的にやつけるのが医者の務めだというもので、あくまでも自らの専門の枠内での論理に終始していた。がん治療をより広いコンテクストに入れて考えることができず、自らの考えの中にないものは拒否するだけの苦しい議論になっていた。最近あったばかりの事業仕分けに対するノーベル賞学者も含む科学者の反応にも科学の意味するところについての語りかけが見られず、科学の有用性を理解できない方がおかしいという空気が感じられた。その意味ではこれも同じ範疇に入るだろう。

脳死の場合もこれらと同様に、自らの領域に閉じこもり、その中の考えを当然のものとして受け止め、それを理解できないのは科学的でないとして退けるという態度に徹していたようだ。自らの営みから出て、自らの頭で考えるという哲学的態度が欠如している証左だろう。これは医学の領域に限らず、あらゆる所に見られる現象ではないだろうか。哲学が可能になる条件として、個人の自立・自律が必要になる。これができていないと、どうしても身内の論理に無批判に従うことになり、しかもそのことにさえ気付かなくなる。ルドヴィク・フレックの言う Denkkollectiv (ある考え方を共有した研究者の集団で、しばしば集団が閉じている) の中に安住し、そのために過ちを犯す可能性が出てくる。これは常に注意しておかなければならない点だろう。

日本の審議会は議論をするための場ではなく、指名を受けた専門家が全会一致の了承をするためにありがたく出向くところになっている可能性がある。脳死臨調の委員の方が少数意見を述べるのに勇気を要したと書いている。日本の一級のインテリとされる方の発言である。本当に自立・自律が問われているようだ。

最早、哲学は役に立つのかという問をいつまでも出している段階ではなさそうだ。それはわれわれの生活に必要不可欠なもので、多くの方がそれを実践しなければならないはずのものである。その欠如が多くの問題を生み出しているように私には見える。脳死の議論を読みながら、ここにもその一例があるのを見る思いであった。

ところで、肝心の梅原氏の主張で気になるところがあった。それは、脳死は人の死ではないとしながらも、臓器移植によってしか助からない人がいて、自らの意志で臓器提供をする人が現れた場合、それを認めると考えている。あれほど強硬に主張した前段を覆して、死んでいない人からの臓器提供を認めることになる。この本には五木寛之氏と梅原氏との対談が載っているが、この中で五木氏は梅原氏の態度を批判しているように見える。彼の態度は、人間は結局のところ病気には勝てないので、老いを認め、病を認め、死を迎え入れる思想が必要になると考えている。一つの病気がなくなっても他の病気が出てきて、人間は常に病気とともにある。確かに、病気の総数は変わらないという説もある。彼はその事実を受け入れた哲学が必要になると考えている。当然移植なども拒否する立場だろう。五木氏が悲観主義と言うこちらの考えの方が矛盾が少ないように見える。


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今年の6月、1997年に成立した臓器の移植に関する法律が改正された。改正内容は、年齢を問わず脳死を一律に人の死とし、本人の書面による意思表示の義務づけをやめて、本人の拒否がない限り家族の同意で提供できるようにするというもので、当初の制限が大幅に緩和され、移植がやりやすくなっている。脳死を人の死とする考え方がどれだけ受け入れられ、この医療が盛んになるのか、注意深く見守りたい。


samedi 19 décembre 2009

「事業仕分け」 に想う: 今、科学者が哲学者に還る時



最近、「事業仕分け」と言われる作業が話題を呼んでいる。科学の予算も削減が言い渡されているようで、いくつかの学会からこのことについての発言を求めるメールが届いた。これまでは政権が変わってもわれわれの生活には直接の影響はないだろうなどと高を括っていたが、政治こそわれわれの生活を握っていることを思い知らされることになった。今回の少々慌てて見えるメールを読みながら、思いが巡っていた。

まず、科学と言えどもあくまでも社会の中の営みであるという当たり前のことに気付かされたことだ。「と言えども」と書いたのは、科学者の中のどこかに、社会とのつながりとは別に真理の探究に打ち込むのが仕事であるという意識があるのではないかと想像したからだ。それは自らの経験からも言えるからである。最近では説明責任を果たさなければならないとのことで普及活動などはやられているが、自らの発想ではなく社会からの圧力で始まったはずである。したがって、深いところで社会の中の存在という意識には至っていないのではないだろうか。

これまではどこか見えないところで誰かが何とかしてくれていたと想像される過程が、今回白日のもとに晒されたことになる。このような問題についての専門家でもないが、科学の中で生活してきた者として感想を述べるのは義務のように感じて書いている。率直な印象を言わせていただければ、今回のことは長い目で見ると科学にとってよかったのではないかということだ。こういう当然の外圧でもなければ、科学者が科学を取り巻く問題、換言すれば自らの社会における位置について考えることはなかったと想像されるからだ。

このような貴重な機会に、単に予算削減について抗議するだけだったり、それぞれの学会の利益保全的な発想しかできないとすると、問題の本質的解決にはならないような気がする。これを機に、科学者がそもそも科学とはどういう営みなのか、それが人類にとってどのような点で有効なのか、なぜそれがこの社会に必須な営みなのか、それを理解してもらうために科学者は何をしなければならないのか、などの根本的な議論が必要になるだろう。つまり、社会から科学など必要ないと言われた時に何と答えるのかという問題になる。科学者が自らを、そして科学を哲学せざるを得ない状況にあると言えるだろう。

確かに直近の問題解決は重要ではあるが、それ以上にこの問題の根本に関わる点についてそれぞれの科学者が考えておくことが不可欠になるだろう。科学者がその母である哲学者に還らなければならない時が今訪れている。


vendredi 18 décembre 2009

これからのプロジェをぼんやりと


年末を迎え、これまでの歩みを顧みながら、これからの計画を探る心境になっている。大きなテーマとしては、マスター2年目で検討した免疫についてさらに深めることができないかと考えている。その中にはいくつかサブテーマのようなものがぼんやりと見えている。その時に考慮に入れたいのは、これまでの蓄積をどこかに取り入れようとすることだろう。このテーマは科学の中のお話になるが、それと並行して今回免疫学会で取り上げたような科学そのものを対象にした思索も続けていきたい。

この2年間の営みは、あくまでもどこかに向かう入口のような位置にあり、それをどのように発展させていくのかがこれからの時間の課題になるのだろう。始まる前には対象をできるだけ広くしておきたい。時が経つと現実に戻り、自然にどこかに収斂していくことはすでに経験済みなので、初めだけでも夢の要素を含んだままにしておきたいというところだろうか。

dimanche 13 décembre 2009

「哲学なき科学、あるいは科学は哲学から何を学ぶことができるか」


「意心帰」 安田侃
 (2006年)
"Shape of mind" by Kan Yasuda (1945-)


12月2日、大阪で開かれた第39回日本免疫学会の関連分野セミナーとして 「哲学なき科学、あるいは科学は哲学から何を学ぶことができるか」 (Science without philosophy, or what science can benefit from philosophy) と題したお話をした。その後、内容についての問い合わせがあったので、この機会にその内容を公表することにした。内容は初歩的なものだが、これを契機に意見交換の機会が増えるとすればこれに勝る悦びはない。PDFのダウンロードはこちらからお願いいたします。


vendredi 6 novembre 2009

Daniel Dennett talks about religion, free will,,



Daniel C. Dennett is Austin B. Fletcher Professor of Philosophy, and co-Director of the Center for Cognitive Studies at Tufts University, Medford, USA.

mercredi 4 novembre 2009

学会を考える: 手段が目的に



ここ数年送られてくる学会のニューズレターに会員数の減少という言葉をよく目にするようになった。現状についての情報は持ち合わせていないので、これらの発言が真であるという前提で考えてみたい。この問題の背後にあることは、一つの学会に限らずいろいろなところに隠れている可能性があり、一考の価値があると思ったからだ。

そもそも学問の目的は、と考えると、真理の追求として異論はないだろう。自然科学ではこの自然界に潜む真理や法則を見出そうとし、人文社会科学は人間や社会を根本から理解しようとする営みだと考えることができる。その営みにおける学会という視点で考えると、問題が整理される。つまり、学会はこれらの営みをするためのわずか一つの手段にしか過ぎないことが明らかになる。他のやり方があれば、それを採用してもよいわけである。学会の発足時には活気があり、盛んに討論も行われたが、時間とともに年中行事のようにつまらなくなっていくのは自然の流れかもしれない。そして、その流れはどんなに装いを新たにしても変わることはないだろう。その底にある思想や哲学が変わらない限り。

当初は意識するか否かは別にして、学会があくまでも学問するための一つの手段にしか過ぎないということを感じている。それまでその手段がなかったからだ。しかし、この原点が忘れ去られると、すべてが学会を中心に、それが絶対的な存在であるかのように、存続させなければならないものとして変化し始める。その瞬間に、手段が目的に変わるのだ。学会の institutionalization とでも言うべきことが起こってくる。そこでは形が先に来るようになり、活力が失われるのは当然のことかもしれない。

少し過激に言わせていただければ、学会を活性化するには、という問ではなく、真理を追及し学問の質を高めるためにはどのようなやり方があるのか、という根源的な問を自らに向けなければならないだろう。その過程で学会に対する認識が変わってくると、新たな視界が開ける予感がする。

科学的精神とは、本来どのような囚われからも自由であろうとする精神から生まれている。その精神が失われ、囚われの人々で溢れてくると最早科学とは言えなくなる。そういうことを感じる人が増えてくると、その輪に集う人は減ってくるのは致し方ないのかもしれない。一個人として、一科学者として、ある学問における真理を見極めたいと思わせる場所になると、そこには活力が漲り、運が良ければそこに集う人も増えてくるような気がしている。


mardi 3 novembre 2009

ミシェル・セールさんの 「地球の第三革命、あるいは世界の語られないこと」


ミシェル・セールさんの科学に関するエッセイを読む。それは当然のように、われわれを取り巻く広い世界との関係に繋がってゆく。わたしが感じ、考えていたことと余りにもよく響き合う。21世紀の大きな課題になるだろう。以下に、その概略を紹介したい。


 Michel Serres " La troisième révolution sur la Terre ou le non dit du Monde "

科学と社会との最初の緊張関係はガリレオ裁判になる。物理学者は 「世界」 について代数学の言語で語っていたが、教会の伝統は宗教的、神秘的、神学的なものである。ここで忘れがちなのは、この 「世界」 というものである。当時は、誰ひとりとしてガリレオの言うところを理解できなかった。古代ギリシャでも同様の裁判があり人は死んでいるが、中世のような考え方の対立ではなく、市民の義務を果たさなかったり、観察する態度によってさえ、死が宣告された。そこでは 「世界」 は対象になっていなかった。

よく言われることに科学と社会の二項対立がある。そこでは、賢者と軍人との緊張関係、生物学者・医学者と法律家・宗教家の衝突、創造論、倫理委員会の必要性、代理母の悲痛、、、などが強調されて語られる。少なくとも純粋科学は 「世界」 を対象にし、社会の側は社会や政治を扱う。古代ギリシャにおけるシテ(polis に由来)の管理・運営は都市が対象であり、「世界」 の問題ではなかった。

われわれと同様の国においては、この数十年で農民が70%から2%に減少した。社会に影響力を及ぼす哲学者、インテリ、政治家、ジャーナリストは若い時から人文社会科学にだけ接し、「世界」 のものを語る科学に出会っているだろうか。古代ギリシャやガリレオの時代から科学は自らを分割して、それぞれが世界を眺めてきた。しかし最近になり、グローバル・パートナーとして 「世界」 ということを言うようになってきた。諸科学を統合して、「世界」 を発見し、緊急のメッセージを社会に発している。

西洋文明や歴史は、少しずつ 「世界」 の問題から離れている。われわれの文化は都市で生まれ、その中でナルシストの行為をしてきた。田舎や素朴さや純粋科学や 「世界」 の外で生きてきた。それがここに来て急に 「世界」 が出現し、全体を見る視点が必要になってきた。現在の環境問題、自然災害、感染症などは、この視点なしには解決できない問題である。従来の二項対立では解決できないだろう。

ここで必要になるのが、「科学と社会と世界」 のトライアングルである。三者の立体的な関係である。現在のインターナショナルな機関は、結局のところそれぞれの国の利害の対立処理に追われていて、そこでは 「世界」 が除外されている。最近、空気、水、エネルギー、地球、生物種などを扱う国際的ではなく(non international) 「世界的な」 (mondial) な機関を提唱した。そこで 「世界」 を全的な対象として捉えると、それが新たな主体となり、新しい社会を形成することになる。これまでは受け身で存在していた 「世界」 が、決定的な要因となりわれわれの前に顔を出してきた。

科学にも変化が現れ、例えば地球生命科学(SciViTe ; la science de la Vie et de la Terre)という学際的な分野が新たな視点でこの問題を研究している。プトレマイオスは世界の中心に地球を置き、太陽はその周りを回っているとした。コペルニクスはその見方を180度転換し、主客を逆転させた。今起こっていることは新たに見方の転換を迫るもので、第三革命と言えるだろう。現在の危機は、「世界」 をその視野に入れない文化であり、政策ではないか。この問題解決には歴史はあまり役立たないだろう。全く新しい見方や行動が必要になる。

dimanche 1 novembre 2009

Freeman Dyson talks about universe, science, religion,,,



Freeman Dyson is professor emeritus of physics at Institute for Advanced Study, Princeton, USA.

jeudi 15 octobre 2009

マルセル・サンドライユさんと遭遇 Marcel Sendrail



ネットサーフの途中、トゥールーズで活躍した医者にして作家のこの方と遭遇。

Marcel Sendrail (né à Toulouse le 31 août 1900 et mort à Toulouse le 4 juin 1976)

サイトの紹介によると、患者さんの全存在に対するのが医学という信念を持っていたことが伝わってくる。病気についても同じ視点を持っていたのではないだろうか。いずれのリストに入れておきたい。
Histoire culturelle de la maladie (Privat, 1980) が「病気の文化史」と題して日本語に訳されている。

mardi 13 octobre 2009

ホメオパシーを見直す




以前に「『水の記憶』の科学者たち」と題して別ブログで触れたことがある(2008-4-14)。日本ではほとんど気にかけていなかったが、こちらでは日常的に見られるので不思議に思っていた。この分野を最初から敬遠するのではなく、なぜそれほどまでにこの療法が使われているのかという視点で見直してみようという気になる。以前に触れたバンヴェニスト博士の話を詳しく扱って有名な BBC の Horizon という番組を見てみた。

彼の発見は Nature 誌に発表されたが、その後の検討から根拠のないものであることになった。しかし、ホメオパシーはいまだに使われ、効果があると言う人がいる。プラシーボ効果の可能性もあるが、子供でも動物でも効果があるとすると心理的な影響では説明ができない。アレルギーに対しても有効だという結果を出しても、それに対する科学的説明がないということで医学の中心からは受け入れられない。

そこにジェームズ・ランディという奇術師がホメオパシーを証明した人に100万ドル出すと言い出し、ロイヤル・ソサエティの同意のもとイギリスの科学者による公開実験が始まる。どのような結果になるのか。














最後に、リチャード・ドーキンス博士によるホメオパシー批判を。途中、ホメオパシー専門医(特に資格はいらないようだ)との興味深いディスカッションがある。2005年の段階で Lancet 誌に発表された論文のデータを解析したところでは、ホメオパシーに効果は見られないという。





vendredi 9 octobre 2009

エドワード・ウイルソンさんの講演を聞く


昨日の就寝前、Edward O. Wilson さんによる進化と地球の未来についての講演を聞く。

  "Evolution and the Future of the Earth"


どこにいても先端のユーモアに溢れるお話を味わうことができる。
講演は今年4月にワシントンDCで行われたもの。
ウィルソンさんは1929年のお生まれなので、御歳80。
まだまだしっかりしておられる。

jeudi 8 octobre 2009

"Open System Science" のシンポジウムへ、やはり還元主義の克服か


Institut océanographique


今日は朝から海洋学研究所へ。ソニー研究所主催の "Open System Science" に関するコロックを聞くためである。以前からこの前は通っていたが、特に注意していなかったため海洋学の研究所とは思いもしなかった。大講堂の壁には海の絵が一面に描かれていて、これまでには感じたことのないゆったりした気分になる。

コロックのテーマとなっている 「オープンシステムサイエンス」 という言葉にはあまり接したことがない。こちらにその概要がある。方法論に関する知識はないが、これからの方向性はそうなるのではないだろうか。還元主義では時を止めた、限られた範囲の問題について解析するが、「オープンシステムサイエンス」 では偶然に溢れた歴史的な(時間軸のある)現象を解析する。そのために別の解析方法が必要になる。それから、これまでの外から見る視点ではなく、内に入ってそこから見る視点が求められるとのこと。扱う問題が複雑になっているのでその解決には還元主義の克服が必須になる。これまでの原理の追求の科学の中に逃げ込むのではなく (というような表現を所真理雄さんは使っていたと思ったが)、そこから問題解決の科学へ進むことを唱えている。そのため、科学の中に新らたにマネジメントという概念を加えている。還元主義者としてやってきた目を思い出して聞いたと仮定すると抵抗があるお話だろうが、今では全く違和感を感じなくなっている。

広い範囲を対象にする場合には、科学者をより哲学的にするのかもしれない。科学的態度としてはよいが、方法論を提供しないという批判を受けることがあると所さんが話していた。しかし、アームチェア・サイエンティストとしては、このような領域の方に魅力を感じるようになっている。実験データを出すことができないし、出す必要がない場合には科学を違う視点から楽しむことができるようだ。




lundi 5 octobre 2009

ある免疫学者が見た集団的思考 "Denkkollektiv"



著者のクラウス・アイヒマンはドイツの免疫学者で、ドイツのシステムの中心を歩いてきた方になる。今回読んでみて、3年ほど前に研究生活を終え、その後科学哲学の領域を自ら読みながら来し方を振り返っていたことを知った。その歩みは私の場合と完全に重なることに驚いていた。また、本書の内容は私の同時代の記録にもなっているので興味深く読み進むことができる。

そのテーマは、彼が研究生活の大部分を捧げたニールス・イェルネの学説 「ネットワーク・セオリー」 の盛衰になる。ニールス・イェルネについては、以前に別ブログで触れたことがあるので参照願いたい (2008.6.9)。 この学説は発表された当時大きなインパクトを与えたが、その後証明が難しく、形而上学的であるなどの理由で免疫学の中心から無視されることになったもので ある。そのようなテーマをやってきたアイヒマンが研究生活の終わりを迎え、自らの研究生活の意味を問いたくなったとしても何ら不思議ではない。むしろ、自 らの経験を振り返ってみると非常によく理解できる。

この学説をもとに仕事を進めた研究者は当代一流の人が多い。彼の疑問は、なぜこのように基盤の怪しい学説に多くの優秀な研究者が惹きつけられたのか、ということになる。この疑問から、免疫学の領域で見られた大きな誤りについても検証している。大きな誤りとは、免疫学に占める位置が大きな問題に対する答えが、研究の進歩に伴って間違っていたことが明らかになるという意味である。その誤りの種類は、完全なでっち上げから実験結果の解釈の間違い、さらに実験に用いた材料の不備など様々である。事が進行している最中はある意味では熱狂の中にあるが、時が経って見ると当時感心して聞いていたような話が実は全くの想像の産物であり、実験に基づく証拠などないことがわかる。今、冷静になってその話を聞き直してみると、むしろ滑稽でさえある。その中にいると科学的な検証をすることなく、流されてしまうのだ。

アイヒマンは科学哲学を読み始めたばかりで、特にトマス・クーンがパラダイムについての着想を得たルドヴィク・フレックに影響を受けている。フレックについては別ブログで触れている(2008.5.18)。 その影響は、本書のタイトルがクーンのパラダイムに当たるフレックの "Denkstil" を共有するコミュニティとも言える "Denkkollectiv" へのトリビュートであることに現れている。この言葉をタイトルに入れたことからもわかるように、研究者が冷静な心を失い流される背景には研究の世界で主流 となっている考え方に有形無形の影響を受けているためではないか、という推測がある。ある実験結果を見た時に、今流行りの考えに合うような答えを出そうと する。他の解釈もできるのに、主潮に沿うような解釈をしてしまうことが起こっているのではないか。そこに功名心なども加わるかもしれない。実際に研究を進 めている人が眼には見えないこの束縛から自由になるのは難しいかも知れない。

もう一つ私が考えたのは、科学哲学が教える精神運動についての知識がないこともあるのではないだろうか。その精神運動とは、少し引いてものを見る、時には歴史的な事実にも目をやりながら考え直してみるという態度と言ってもよいだろうか。私自身も現役の時にこの領域について知っていれば、もう少し違った研究生活になったのではないかとその存在を知ってから思ったものである。現役の研究者も科学哲学への理解を深めるべきだと考える理由がここにある。

この本には実際にネットワーク・セオリーをもとに研究をした人たちのインタビューが載っている。その中に興味深いコメントが見つかった。それは、この説が出た当時は研究者がよくディスカッションをしていたが、今それぞれの枠の中に入ってしまい、研究者間のディスカッションがなくなってしまったというものである。小さな領域に入ってしまうと、ディスカッションがテクニカルになりがちである。ネットワーク・セオリーのように全体を説明しようとする場合には、それぞれの哲学も含めて幅広いディスカッションをせざるを得なくなる。ひょっとすると、当時の一流の研究者はこの全体を説明する説の出現に惹かれたのかも知れない。それ以来、この説に代わるようなパラダイムはまだ出ていないように見える。


dimanche 4 octobre 2009

エリー・ウォルマン記念シンポジウムより ― 「ウイルスは生きている」



昨年亡くなったエリー・ウォルマン(Elie Wollman, 1917-2008)を記念するシンポジウムに先週参加した。パトリック・フォルテールさんPatrick Forterre; パスツール研究所、パリ第11大学)がウイルスの定義、生命の起源に関係するお話をしていた。

彼の視点はいつもできるだけ広くものを見ようとするところが特徴だろう。今回の講演の前に、1961年に Scientific American (204:93-107)に発表されたフランソワ・ジャコブとエリー・ウォルマンのエッセイ "Viruses and genes" を読んでみたという。彼らの精神の中にも、自らの細菌遺伝学の成果を他の領域、特に癌の発生と結びつけるという統合的な視点が見られることを指摘している。現在の傾向はこれに逆行するもので、本来は一緒に考えなければならないウイルス、プラスミド、ファージなどの研究がそれぞれの分野に固まってしまい、ミーティングもどんどん細分化していると警告を発している。そんなこともあってか、来年6月には細菌とウイルスをまとめて考えるシンポジウムを計画しているようだ。




人の遺伝子の40%(~80%)はレトロウイルス由来であることが明らかになっている。ウイルスが人から遺伝子を盗んでいると考えられていたが、実は人の方がウイルスから遺伝子を盗んでいることになる。ウイルスやプラスミドが新しい遺伝子や機能の貯蔵庫の役割を担っており、細胞に創造性を与える元になっている。最近、真核細胞の核、細胞壁、ミトコンドリアの複製、転写などはウイルス由来で、胎盤、合胞体 (syncytium)などはレトロウイルス由来とする報告が出され、哺乳類の起源にも関与している可能性が高い。

また、人間とチンパンジーはおよそ600万年前に共通の祖先から分かれて進化したが、その遺伝子は96%~99%共有されている。両者に差があるのはレトロウイルスの組み込みの程度だという。ある意味ではウイルスが人間らしさを生み出していると言えなくもない。

フォルテールさんが強調したかったのは、ウイルスをどう捉えるかという点にある。ウイルスとは、という問になる。第一の問題(ドグマと言ってもよいだろう)は、ウイルスをウイルス粒子 (virion)と考えていることである。ウイルスをその生活環の中で見ると、細胞内にある時期は細胞をウイルス生産工場に変えることができる。しかし、これはウイルスは細胞をウイルス粒子生産工場に変えると改めなければならないだろう。

前の記事でも取り上げた巨大なミミウイルスを古細菌に感染すると、宿主の遺伝子は変性し、そこにあるのはウイルス・ゲノムだけになるという観察をしている。つまり、この古細菌はウイルスの遺伝子を持った細胞になる。彼は、ウイルスとは感染した細胞である、ウイルスは細胞生物であると提唱したいようだ。つまり、ウイルスは細胞であるので生きているとの結論になる。




さらに、生物の世界をリボソームとカプシドを持つ二つに分けるように提唱している。つまり、生命の世界は細胞とウイルスの二つに分かれるというものだ。興味深いお話である。最後にこう付け加えていた。この二つの世界(細胞とウイルス)は進化の過程で大戦争をしてきた。その戦争が進化のモーターであった。最近、この両者は相互に折り合いをつけるように進化してきたという、謂わば甘い考えも出されているが、彼は理由ははっきり語っていなかったがその立場は取らない。大部分の科学者は戦争を嫌うので、細胞とウイルスの戦争を過小評価する傾向があるのではないかと推測している。政治的には正しくないかもしれないが、戦争こそ新しいものを生み出す大きな力があると考えている。ジャコブとウォルマンのエッセイにも 「ウイルス感染の全過程は、一国が他国を占領するのに比することができる」 と書いている、と結んでいた。


vendredi 2 octobre 2009

Mimivirus


Figure 1. Mimivirus branching in the Tree of Life. None of the genes used to generate this tree exhibited evidence of recent lateral transfer.

GiantVirus.org から

jeudi 1 octobre 2009

ウイルスは生きているか? Les virus, vivants ?


Le Mimivirus, ou "virus imitant un microbe", dépasse en taille certaines bactéries.
(微生物類似のウイルス、ミミウイルス。細菌より大きいものがある)

今年の2月20日のル・モンドの記事から。

Les manuels scolaires l'assènent volontiers : les virus n'ont pas le privilège de la vie. Certes, ils disposent d'un génome. Mais, à la différence des organismes cellulaires (plantes, bactéries, animaux, etc.), ils sont incapables de le répliquer hors de la cellule qu'ils infectent. Ce "parasitisme absolu" les exclurait de la vie, les confinerait au statut d'"entités biologiques", minuscules sacs de gènes agrégés au hasard des hôtes rencontrés... Mais, depuis peu, les découvertes s'accumulent qui semblent faire aux virus - au moins à certains d'entre eux - une place à part entière sur l'arbre du vivant.

学校の教科書ははっきりとウイルスには生命としての特徴がないと言っている。もちろん、ゲノムはある。しかし、植物、細菌、動物のような細胞生物とは異なり、感染した細胞の外では複製ができない。この 「絶対的寄生性」 によってウイルスは生命から除外され、「生物学的存在」、出会った宿主でランダムに凝集する遺伝子の入った小さな袋などと矮小化される。しかし最近、生命樹において少なくともあるウイルスに特別の位置を与えるような発見が積み重なっている。

La première grande remise en question remonte à mars 2003. Des chercheurs français de l'Unité des rickettsies et pathogènes émergents (CNRS, université de la Méditerranée) décrivent alors, dans la revue Science, un virus gigantesque découvert dix ans plus tôt, infectant des amibes, dans le système de climatisation de l'hôpital de Bradford (Royaume-Uni). Entre sa découverte et sa caractérisation, son inventeur, le Britannique Tom Rowbotham, l'avait confondu avec une bactérie, eu égard à ses dimensions imposantes (de l'ordre du micron). D'où son nom de baptême : Mimivirus (Mimicking Microbe Virus, ou "virus imitant un microbe")..

最初にこの問題が問い直されたのは2003年3月に遡る。地中海大学リケッチャ・新興性病原体ユニットのフランス人研究者が10年前にイギリスのブラッドフォードの病院の空調システムで発見されたアメーバに感染する巨大なウイルスについてScience誌に発表した。その発見と解析の間、最初に見つけたイギリス人トム・ローボータンはそのサイズがミクロン単位であったことから細菌と混同していた。そこから微生物を模倣するウイルスという意味 (mimicking microbe virus) のミミウイルスという名前が付けられた。

Un an plus tard, le séquençage du génome de la bestiole jette plus encore le trouble : il se révèle long de plus d'un million de paires de bases, quand la majorité des virus n'en alignent qu'une dizaine de milliers. Non seulement Mimivirus est plus volumineux que bon nombre de bactéries, mais son génome, composé d'un millier de gènes, n'a rien à leur envier. Il possède en outre les neuf gènes communs à tous les gros virus à ADN, attestant l'existence d'un ancêtre unique, ayant sans doute existé il y a plus de trois milliards d'années, à cette famille virale. A bien des égards, la découverte de Mimivirus est si déconcertante que bon nombre de biologistes se posent la question du caractère accidentel de ce virus si inattendu...

一年後、そのゲノムのシークエンスはさらなる問題を投げかける。大部分のウイルスが数万の塩基しか持たないのに、このウイルスは100万以上の塩基対を持っていることが明らかになったからである。ミミウイルスが多数の細菌より大きいだけではなく、そのゲノムも細菌に劣らないのである。その他、ミミウイルスはすべての大型DNAウイルスに共通する9つの遺伝子を持っていることから、30億年以上前に存在していたこのウイルス属の先祖があることを示している。多くの点でミミウイルスの発見は意表を突くもので、多くの生物学者がこのウイルスの予想もしないような特徴について自問している。

La métagénomique, qui consiste à séquencer massivement tout le matériel génétique d'un milieu, leur a donné tort. "Depuis la description de Mimivirus, nous avons découvert en réanalysant les données de métagénomique, que les virus appartenant à sa famille (les mimiviridae) sont extrêmement abondants dans la nature, explique Jean-Michel Claverie, chercheur (CNRS) au laboratoire Information génomique et structurale, coauteur du séquençage de Mimivirus. Il y a environ un million de particules virales dans un millilitre (ml) d'eau de mer - jusqu'à un milliard dans les zones côtières -, dont environ un tiers est sans doute très proche de Mimivirus." C'est, en tout cas, ce que suggère l'abondance de certaines séquences génétiques, caractéristiques des mimiviridae, dans l'océan.

ある環境の中の遺伝物質すべてを大規模に解析するメタゲノミクスによっても誤りが明らかになった。「ミミウイルスが記載されて以来、われわれはメタゲノミクスのデータを解析し直し、ミミウイルス属に属するウイルスが自然には非常に多いことを発見しました。海水1 ml 中には約100万 (沿岸部では10億にまで至る) のウイルス粒子があり、その約3分の1はミミウイルスに非常に近いのです」とミミウイルスの遺伝子配列解析の共著者であるゲノム・構造情報研究室の研究者ジャン・ミシェル・クラヴリー (CNRS) は語る。いずれにせよ、これは大洋にミミウイルス属の特徴を持つ遺伝子配列が溢れていることを示している。

Les virus géants sont donc partout, ou presque. Et ce bien que leur existence même ait été ignorée jusque très récemment. La raison en est simple : "Depuis le milieu du XIXe siècle, on a toujours détecté les virus en les faisant passer par des filtres de plus en plus petits, explique M. Claverie. Les gros virus restaient donc bloqués avec les bactéries et n'étaient pas identifiés." On ne trouve jamais, dit-on, que ce que l'on cherche.

したがって、巨大ウイルスはほとんどあらゆるところに存在しているが、つい最近までその存在さえ知られていなかった。理由は簡単である。「19世紀以来、ウイルスは常にどんどん細かなフィルタを通して検出されていました。したがって、大きなウイルスは細菌とともに除外されたままで、同定には至らなかったのです」 とクラヴリー氏は説明する。この方法では求めるもの以外は決して見つからないのだ。

Tout récemment, dans le système de climatisation des Halles, à Paris, l'équipe de Didier Raoult (unité des rickettsies et pathogènes émergents), l'un des pères de Mimivirus, a trouvé un tout proche cousin du virus géant - plaisamment baptisé Mamavirus. Plus gros encore que son prédécesseur, sa séquence génétique devrait être publiée dans l'année. Mais surtout, avec lui, une découverte publiée fin 2008 dans Nature, qui sème un peu plus le doute sur le caractère présumé inerte de ces "poisons" (virus en latin). Car cette fois, avec l'énorme Mamavirus, les chercheurs identifient un petit virus-satellite, baptisé Spoutnik, qui a cette singularité d'infecter Mamavirus, lorsque celui-ci a lui-même infecté l'amibe qui lui sert d'hôte... comme un emboîtement de poupées russes.

最近、ミミウイルスの父の一人とされるディディエ・ラウール(リケッチャ・新興性病原体ユニット)のグループがパリのレ・アールの空調システムにママウイルスと名付けられるほど巨大なウイルスの仲間を発見した。以前のものよりさらに巨大で、その遺伝子配列は年内に発表されるはずである。しかし、特に2008年末に Nature に発表された発見は、これらの毒 (ウイルスの由来となったラテン語の意味)が無害であるとすることに疑いを差し挟むものである。なぜなら今回巨大なママウイルスとともにスプートニクと名付けられた小型の衛星ウイルスを発見したからである。このウイルスはママウイルスが宿主となるアメーバに感染する時にママウイルスに感染するという特徴を持っている。あたかもマトリョーシカ人形のように。

"Lorsque Mimivirus ou les membres de sa famille infectent une cellule vivante, ils y créent, en exprimant leur génome, une "usine à virus" qui ressemble beaucoup à un noyau secondaire, explique Jean-Michel Claverie. Le fait que ce "noyau secondaire" puisse être à son tour infecté par un autre virus montre à quel point il ressemble à un noyau cellulaire classique !" "Les virus ont longtemps été confondus avec leur virion", renchérit le microbiologiste Patrick Forterre (Institut Pasteur, université Paris-XI), évoquant la particule virale qui pénètre dans la cellule vivante pour y installer le virus proprement dit et lui permettre de s'y répliquer... "Un peu comme si on confondait l'homme avec son spermatozoïde !", décrypte Jean-Michel Claverie, qui va jusqu'à comparer la pénétration du virion dans une cellule pour y exprimer ses gènes, à un cycle sexuel...

「ミミウイルスやその仲間が生細胞に感染すると、自らの遺伝子を発現してそこに第二の核のように見えるウイルス工場を作ります。この第二の核が他のウイルスに感染され得るということは、それが古典的な核にそれほど似ていることを意味しています」 と語るのはジャン・ミシェル・クラヴリー。「ウイルスは長い間ウイルス粒子(ビリオン)と混同されてきたのです」と強調するのは微生物学者のパトリック・フォルテール(パスツール研究所、パリ第11大学)。「丁度人間と精子を混同するのに少し似ています」とはジャン・ミシェル・クラヴリー。彼は遺伝子を発現するためにウイルス粒子が細胞に侵入することは性周期にも喩えられるとまで言う。

Un virus infecté par un autre virus. Il est tentant de résumer cette étrangeté par une formule : "Puisqu'ils peuvent être malades, c'est donc que les virus sont vivants." La découverte de Spoutnik replace surtout les virus dans un nouveau schéma d'évolution. "Ils ont toujours été conçus comme étant seulement sélectionnés par leurs proies alors que les "organismes vivants" sont sélectionnés par leur proie et leur prédateur, dit Didier Raoult. L'existence de Spoutnik montre que les virus peuvent, eux aussi, être pris entre la proie qu'ils exploitent et le virus qui les attaque..."

他のウイルスに感染されるウイルス。この奇妙さをこうまとめたくなる。「病気になり得るのだから、ウイルスは生きている」。スプートニクの発見により、ウイルスを進化の新たなスキームに入れ直すことになる。ディディエ・ラオールは語る。「ウイルスはこれまでその獲物によってのみ淘汰され、生物はその獲物と外敵により淘汰されると看做されてきた。スプートニクの存在は、ウイルスもまた獲物とウイルスを攻撃するウイルスの間にあることを示している」

Les virus sont-ils vivants ? Pour répondre, il faut en passer par une autre question : qu'est ce que la vie ? Pour Didier Raoult, "ce n'est pas une question de biologie, mais plutôt de sémantique ou de théologie". D'autant, ajoute-t-il en substance, que les progrès de la métagénomique nous donnent la mesure de notre ignorance : la majorité des gènes identifiés dans la nature ne se rattachent à rien de décrit. "Comment définir un champ dont on ignore encore toute l'étendue ?", interroge M. Raoult. Patrick Forterre propose une définition simple : "On peut commencer à parler de vie lorsque les mécanismes de la sélection darwinienne s'appliquent." Or, rappelle-t-il, "les virus y sont soumis..."

ウイルスは生きているのか。この問に答えるためには、生命とは何か、というもう一つの疑問を通過しなければならない。ディディエ・ラオールは 「それは生物学の問ではない。むしろ、意味論や神学の問になる」 と考えている。メタゲノミクスの進歩によりわれわれの無知がどの程度のものかが明らかにされた。自然界で同定されている遺伝子の大部分は解明されていない。「その全貌を知らない領域についてどのように定義するのでしょうか」 とラオール氏は問いかける。パトリック・フォルテールは単純な定義を提唱する。「ダーウィンの選択機構が働く時に生命と言うことができるのではないか。そしてウイルスはその機構のもとにある・・・」

Stéphane Foucart

LE MONDE | 20.02.09 | 16h20 • Mis à jour le 20.02.09 | 19h51

mercredi 26 août 2009

哲学が科学、医学にできること



パリでの広く考える生活も3年目に入ろうとしている。こちらに来てから考えていることの一つに、哲学と科学の関わりがある。この問題を整理する上で参考になるのが、17世紀フランスを代表する哲学者ルネ・デカルト(1596-1650)の「哲学の樹」だろう。彼はこのように説明している。

「このようにすべての哲学は一本の樹のようなもので、その根が形而上学、幹が物理学、そこから出る枝が他のすべての科学になり、医学、工学、道徳という三つの原理に還元される。わたしは、他のすべての科学を知り尽くしたという前提で、最も高く完全な道徳が最終的な智であると理解している」
「哲学原理」フランス語版序 (1647)

当時すべての科学を含んでいた哲学を表したこの図をどう見るかは人それぞれだろうが、この図を単に哲学の現状だけではなく、学問の系統発生として、さらにはわれわれ一人ひとりの頭の中の状態と見ることができる。また、この図の上下を変えてみると、すべての科学を上から照らすものとして哲学があることにも気付 く。このような視点からすべてを見直してみると、現代人がいかに限られた範囲でしかものを見、考えていないことが明らかになる。そして、現代の多くの問題がまさにこのことに由来するのではないかとの疑念も生まれてくる。このエッセイでは、この問題を中心に考えてみたい。

今年の夏、帰省の折に大学の若い研究者に現在のわたしの考えを話す機会を与えられた。分子病理分野のK教授に声をかけていただき、15年振りくらいだろうか、学生時代を送った研究室を訪問した。最近改装されたばかりとのことで昔の面影はなかったが、そこで過ごした3年ほどの圧縮された時間が蘇る瞬間もあった。セミナーの演題は「科学における哲学とは」とし、自らの科学者としての時間を振り返りながら、フランスに来てから学んだことも含めて考えてきたことを中心に話させていただいた。具体的には、科学という人間の営みをどのようにみるべきか、その過程において哲学がどのような役割を果たしてきたのか、科学と哲学の関係はこれか らどうあるべきかなどの古くて新しい問題についてであった。その底流にあるテーマは、哲学が科学や医学ともにあった時代を見直し、2世紀余りの間引き離されていた両者の関係を再び取り戻す時期に来ているのではないか、そうすることにより科学が豊かになり、医学が本来持っている病める人を癒すという使命を蘇らせることができるのではないか、という想いであった。

実はこのテーマだけで話すのはこの時が初めてであった。そのため、どのような反応があるのか不安と期待の入り混じった状態で話を始めた。その中で、われわれの日常において、「今・ここ」という近視眼的なアプローチだけではなく、そこから離れて少し大きな枠組みに入れ直す作業をすること、わたしが言うところの「全的に見る」姿勢を取り入れることの大切さを強調した。話終えた後、しばらくの沈黙はあったが、率直な質問が出始めるとその後に続く人がいて、結局1時間近いやりとりになった。科学の成果について行ったセミナーではこのようなことを経験したことがない。これから成熟した研究者になる段階の方が多かったせいか、単に研究のテーマについてだけではなく、科学という営みや研究者としての道について考えている様子が伝わってきて、わたしにとっても貴重な経験になった。

哲学との乖離は、科学だけではなく医学においてより深刻な問題を齎しているというのがわたしのこれまでの印象である。科学以上に「全体」を見るという哲学的態度が要求される医療であるが、現場の医療関係者との接触を重ねる度にその欠如を感じることが多くなっている。医学が科学として身を立てる道を選ぶ過程で「全体」が「部分」に還元され、その修復の技術的な面が強調されるようになった。そして、本来忘れてはならない根の部分、「全体」としての人間への眼差しが医学の視界から消え去ったかに見える。この視点のないところに医学は成り立たないだろう。医学では個々の病気については詳しく学ぶが、病気とは何かについて深く考えることはない。その問題は医学から除外され、哲学の中に閉じ込められているかに見える。しかし、このような状況を改められなければ、病める人を真に癒すことはできないだろう。今こそ医学ならびに医学教育において、哲学や人文科学との対話を通して「全体」に対する眼差しを取り戻さなければならないだろう。

アメリカの心臓外科医デントン・クーリー博士(1920-)は「健康と病気の概念」という本(1981年)の巻頭言で、医学の現状を省みて次のような言葉を残している。30年ほど前の状況がそのまま現在にも当て嵌ることに驚かざるを得ない。

「医科学の中心をなす概念について哲学的に考え抜いて得られた知識や経験がない限り、より良い結論や政策には辿り着けないだろう」

「医学教育に携わる者が現代社会における医師に求めるのは、純粋科学以外の領域に触れること、それはまさに哲学教育に匹敵する広い人間教育である。歴史、哲学、倫理などに精通した医師こそ人間を取り巻く種々の問題について判断を下す資格を持つだろう。これからの医師は単なる医学や科学の徒であるだけではなく、教養と智慧を備えた学徒でなければならない」

哲学と言うと、過去の偉大な哲学者の深遠な考えを学ぶという印象が強く、特に忙しく 「今・ここ」を追っている現代人には無縁のものとして避けて通ることが多いだろう。しかし、哲学をものの見方として捉え直す時、これほど重要なものはないことに気付く。自らの専門を離れて、その場を高みから見ようとする態度を教える哲学こそ、医学を本来の場所に取り戻す力を与えるだけではなく、われわれの日常に新たな光を当てる力を持っている。哲学者の役割は、そのことを医学や科学に関わっている方だけではなく、ごく普通の生活をしている現場の方々に伝え、新たな視点を提供することではないだろうか。そうすることにより霊感を与えることができれば、それはそのまま哲学者の悦びに繋がってくるような気がする。これからも今回のような接触を積極的に持ちながら、この問題について思索を重ねていきたいものである。

最後に、科学を広く見直す上で参考になり、わたし自身をも励ましてくれるリチャード・ドーキンス博士(1941年-)の言葉を紹介して筆を置きたい。

「科学者ができるもっとも重要な貢献は、新しい学説を提唱したり、新しい事実を発掘したりすることよりも、古い学説や事実を見る新しい見方を発見することにある場合が多い。・・・見方の転換は、うまくいけば、学説よりずっと高遠なものを成し遂げることができる。それは思考全体の中で先導的な役割を果たし、そこで多くの刺激的かつ検証可能な説が生まれ、それまで思ってもみなかった事実が明るみに出てくる」

「わたしは科学とその『普及』とを明確に分離しないほうがよいと思っている。これまでは専門的な文献の中にしかでてこなかったアイディアを、くわしく解説するのは、むずかしい仕事である。それには洞察にあふれた新しいことばのひねりとか、啓示に富んだたとえを必要とする。もし、ことばやたとえの新奇さを十分に追求するならば、ついには新しい見方に到達するだろう。そして、新しい見方というものは、わたしが今さっき論じたように、それ自体として科学に対する独創的な貢献となりうる」

「利己的な遺伝子」1989年版へのまえがき






samedi 18 juillet 2009

インフルエンザA (H1N1) (Grippe porcine; Swine flu) - 37

WHOは7月6日を最後に国別のH1N1感染者、死亡者の発表を取りやめたようだ。7月16日のメッセージには最新の情報があるので、簡単に紹介したい。

現時点では、今回のパンデミックがさらに進展することは避けられないと考えられる。これまでのインフルエンザ・ウィルスによるパンデミックでは6か月かかって拡散したが、今回はわずか6週間という短さであった。

感染者が増えている国では、個々のケースをモニターすることが難しくなっているが、それはパンデミックの危険性を見て行く上でそれほど重要ではなくなっている。

今回のパンデミックの現在までの特徴は、症状が軽く、大部分の患者は症状が出てから1週間以内に、時に治療を受けなくとも回復することである。しかし、重症例が群発する場合などの異常には目を光らせて行かなければならない。他の注意すべきシグナルとして、学校や職場での不在の増加や緊急外来の増加などがあげられる。症例の発見に力を入れるやり方は検査現場に大きな負担となり、重症例や異常例のモニターが手薄になる危険性がある。

mardi 14 juillet 2009

ダーウィン生誕200年祭 “Darwin 2009” で21世紀の科学を想う


Nothing in biology makes sense except in the light of evolution.
(Theodosius Dobzhansky)

水平のつながりの中で今と格闘している時、そこを垂直に貫いている時の流れが意識から消え去る。しかし、その流れに気付く時、われわれの世界観に大きな影響を及ぼしてきた人々がそこから蘇ってくる。ニュートンやアインシュタインにも比肩され、自らも生物学におけるニュートンを目指したダーウィンなくして、進化に照らすことなく生命現象を理解することの無意味さを説いたドブジャンスキーの言葉も生まれなかったであろう。ダーウィンがケンブリッジ大学で神学を修めた後、ビーグル号で世界一周するチャンスが転がり込んでくる。船酔いに苦しみながらの5年に及ぶ航海が彼の一生を決めることになる。まさに人生の大事は計画によるのではなく、どこからか落ちてくることがわかる。航海から戻って6年後、彼は思索と執筆の生活を決意しケント州ダウンに引き籠り、病を抱えながらも真に独立した環境で40年に渡って進化について考え続けた。その一つの成果として、共通祖先に由来する漸進的で目的のない自然選択による進化を説いた「種の起源」(“On the Origin of Species”) が出版された。1859年のことである。

今年はその150周年であるのみならず、ダーウィン生誕200年という生物学にとっては記念すべき年に当たる。この機会に世界中でいろいろな催しが行われているが、私は夏休みを利用してダーウィンの母校ケンブリッジ大学で開かれた生誕200年祭 “Darwin 2009”(2009年7月5日-10日)に参加する幸運に恵まれた。このシンポジウムには、彼の影響がわれわれの営みのあらゆるところに及んでいることを示すように、生物学だけではなく哲学、歴史学、社会学、心理学、人類学、情報科学、経済学、神学、芸術など幅広い領域の専門家が集っていた。因みに科学の分野からは、ハロルド・ヴァーマス(メモリアル・スローン・ケタリング癌センター、1989年ノーベル賞受賞者)、ポール・ナース(ロックフェラー大学、2001年ノーベル賞受賞者)、ジョン・サルストン(マンチェスター大学、2002年ノーベル賞受賞者)、ランドルフ・ネシー(ミシガン大学)、エヴァ・ヤブロンカ(テルアビブ大学)などが、また科学哲学関連ではリチャード・ドーキンス(オックスフォード大学)、ダニエル・デネット(タフツ大学)、エリオット・ソーバー(ウィスコンシン大学)、フィリップ・キッチャー(コロンビア大学)、エヴリン・フォックス・ケラー(MIT)などが参加した。会の構成は、午前が共通セッション、午後は3-4つのセッション、そして夜は音楽、文学、演劇、映画などの催し物となっていた。ここでは午前中のセッションから印象に残った話題を紹介したい。

午前中のセッションのテーマは「ダーウィンの広範なインパクト」、「社会と健康」、「人間の性質と信仰」、「ダーウィンと現代科学」、「未来は何をもたらすか?」で、ダーウィンの手紙の朗読で始まった。これらのセッションでは、できるだけ多くの人に届くことを願って発せられる言葉の美しさ、力強さ、そしてその底にある信念とユーモアの精神に目を見張っていた。


オープニング・セッションのパネリスト

(左から)ギリアン・べア、リチャード・ドーキンスジョナサン・ホッジエリオット・ソーバー、デーヴィド・リード、パトリック・ベイトソン(Darwin 2009のチェアマン)、リュドミラ・ジョルダノヴァ


オープニング・セッションでは「この人の本を読むと自分が天才のように思われる」とニューヨーク・タイムズ紙が評したというリチャード・ドーキンスが登壇、会場を魅了していた。彼によると、ニュートンやアインシュタインの鋭い閃きは感じないが、人類に最も広範な影響を及ぼし続けているのはダーウィンである。同様のことを考えた人は4人いたが、進化論が確立されるまでに渡らなければならなかった4つの橋(「淘汰」の存在、進化の動力としての自然選択、すべての生命に当てはまる自然選択、そしてこの考えの社会での受容)のすべてを渡ることができたのはダーウィンだけであった。「社会と健康」のセッションでは、進化医学を押し進めているランドルフ・ネシーが、なぜわれわれの体は病という一見望ましくない状態に陥らなければならないのかという進化論からの問をすべての病気について投げ掛けること、さらに医学教育において一般基礎科学の重要性を説くだけではなく、あるいはそれ以上に進化論を取り上げるべきであることなどを提唱していた。

イギリスのサン紙は彼のことを “David Beckham of science” と書いていると紹介されたポール・ナースは、「サンの問題は私がボールを蹴るのを見たことがないことだ」と切り返して会場の爆笑を誘っていた。今回の特徴は、このような全体を包み込むような温かい笑いが至るところに溢れていたことだろうか。ダーウィンの自然選択の考えがバーネットのクローン選択説やがんの発生と遺伝の研究にも影響を及ぼしていること、さらに、すべての生物は一つの共通祖先から生まれたとする「生命の樹(Tree of life)」は、下等生物での研究がヒトに応用可能であるという哲学に繋がっていることを指摘し、自然免疫に関与するtollはまずショウジョウバエで見つかったことやヒトの遺伝子を酵母に導入しても全く問題なく機能する例などをその証左としていた。癌の生物学については「ダーウィンと現代科学」のセッションでハロルド・ヴァーマスが詳細に考察を加えていた。永遠の増殖という細胞にとっては望ましいが生体にとっては不利になるジレンマを抱えた形質が、なぜ進化の過程で選択されたのか。この疑問についての明快な答えはまだ用意されていないようである。



21世紀に警告を発するジョン・サルストン



ポール・ナースがbon vivant の印象を与えるのに対して、ジョン・サルストンは人類の悩みを背負った哲学者の風情がある。「理解から責任へ」と題した話の始めに、彼自身が「種の起源」を読みながらガラパゴスを旅した時、ここでダーウィンがドグマから解放され新しい哲学に進む経験をしたことに想いを馳せたエピソードを語っていた。「自然選択による進化」は最早一つの理論ではなく生命の定義になっている。しかし、それは生命がどのようなものであるのかを教えてはいるが、その保持のためにわれわれが何をしなければならないかについては語ってくれない。それはわれわれ自身が考えなければならない問になる。そこで出てきたキーワードは“global justice”であった。西欧的な自己中心主義、そこから生まれる過度の競争はこの世界やそこに生きる生命を脅かすのではないかという問題提起をし、選ばれた少数のためではなく、全体の発展のために社会的、経済的な目を注ぐ必要があると力強く結んでいた。このメッセージは会場から熱のこもった拍手で迎えられていたが、学問の世界を考える上でも示唆に富む視点ではないだろうか。

今年はC.P. スノーの名著「二つの文化」(“The Two Cultures”)出版50周年にも当たる。そこで問われた文理の乖離の問題は解決されないばかりか、同一分野においても専門が尖鋭化し相互理解が益々難しくなっている。われわれを取り巻く自然とそこで営まれている生命現象により深く迫るには、尖鋭化とは対極にある統合 (synthesis) という作業が求められる。この尖鋭化と統合という両極をどのように調和させていくのか。これはわれわれに課せられた21世紀の大きな問題のように見える。科学の歴史においてトマス・クーンの言うパラダイム・シフトをもたらしたのは、しばしば哲学者や哲学的思索をする科学者であった。自然の中から一つひとつの事実を見つけ出そうとするのではなく、自然全体がどのように動いているのかを理解しようとしたダーウィンの歩みを振り返る時、そこに一つのヒントがあるような気がしている。



自作を朗読するイアン・マキューアン(左)



この問題に関連して興味深いことが二つあった。一つは、夜の催しに作家の対談が組まれていたが、その中でイアン・マキューアン(「アムステルダム」でブッカー賞受賞、他に「贖罪」、「土曜日」など)が芸術と科学の関係に興味を持っていることを知った。物理学者を主人公にしてこのテーマを掘り下げるという次回作の原稿5-6ページをご本人による朗読で聞くという贅沢を味わった。また、会場に出ていたheffersという書店のブースで何冊か購入した時、係の方が手渡してくれたカードには次の言葉が刻まれていた。

If you want to build a ship, don’t drum up the men to gather wood, divide the work and give orders. Instead, teach them to yearn for the vast and endless sea.
(Saint-Exupery)




最終日、「未来は何をもたらすか?」 のセッションのインターミッションに高円宮妃久子様がステージ上でスピーカーの方々と完璧なイギリス英語で言葉を交わされていたのは強い印象を残した。ダーウィンの歩みに始まり、21世紀の科学について想いを巡らせたケンブリッジの一週間であった。


lundi 29 juin 2009

ロブ・リーメン 「精神の高貴さ」  Rob Riemen " La noblesse de l'esprit : Un idéal oublié "



5 月の散策の折、写真の本に出会った。オランダ語からの訳本で、そのタイトルに惹かれたことは言うまでもない。それ以来、その辺りに置かれていた本になる。 こちらに来てからの傾向として、その時の心象風景を記憶するために本を買うようなところがある。精神のスナップ・ショットをするような感覚と以前に書いたかも知れない。したがって、本は溜まる一方で、いつ手に取るのかわからない。この本は、昨日読んでいた谷口ジローの本を置いた下の方に目をやった時に飛び込んできた。

日曜の朝、いつもの強い光をバルコンで浴びながら目を通す。朝の強い光を浴びた紫煙を眺めなfがら。余談だが、一日の内で一番魅力的な紫の色は朝に見られることがわかってきた。強い朝日の中でその色に芯ができ、紫が美しさを増すようだ。

今朝はこの本のプレリュード "Un dîner au River Café" 「リヴァ―・カフェでのディナー」 を読む。リヴァ―・カフェ (The River Cafe) はニューヨークのブルックリン・ブリッジたもとにあり、マンハッタンを望むことができる。しかし、その内容は観光気分を誘うものとは程遠い。人生での大きな出来事は計画されたものではなく、上から落ちてくる。

2001年11月、トマス・マンを専門にしている著者のリーメンさんは悪についての会議のためアメリカを訪れる。専門家との会合のほかに、リヴァ―・カフェでのディナーが加わっていた。それはエリザベート・マン・ボルジェーゼ (Elisabeth Mann Borgese, Munich, April 24, 1918 – St. Moritz, February 8, 2002) さんとのランデブー。名前を見てもピンとこないかもしれないが、作家トマス・マンの末娘で、1918年ミュンヘン生まれ。両親に連れられ1933年にスイスへ、そして38年にはアメリカへ渡る。翌年には36歳年上のアンチ・ファシストのイタリア人作家ジョゼッペ・アントニオ・ボルジェーゼ (Giuseppe Antonio Borgese, 1882–1952) さんと結婚。戦後は世界平和を目指した運動に携わるが、夫の死後はより現実的に環境を対象にした運動を進める。

彼女はその他にも20世紀を代表する人たちと交友を深めている。例えば、ウラジミール・ホロヴィッツ、ブルーノ・ワルター、アインシュタイン、ジャワハルラール・ネルー、インディラ・ガンディ、W・H・オーデンなど。2001年には彼女は80歳を越えていたが、カナダのノヴァスコシア州ハリファックスにあるダルハウジー大学政治学部教授として国際法を教えていた。1999年にオランダに彼女を招待したのを機に交流が始まり、2001年6月にはその半年後にアメリカで会う約束をする。11月7日(水曜日)午後7時半、リバー・カフェで。

しかし、予想もしないことは常に起こるものである。その年の9月11日にワールド・トレード・センターに飛行機が突っ込んだ。それからその日、もう一人が加わることになった。ジョーゼフ・グッドマンという方で、若き日にカーティス音楽院でイザベル・ヴェンゲロヴァ (Isabelle Vengerova) の教えを受けた仲間であり、後でわかったらしいが、彼女と同じ船でニューヨークに辿り着いた縁があるという。1960年代の終わりに彼が店主をしているニューヨークの本屋さんで偶然再会する。ピアノは止めていたが、本を愛し、作曲を始めていた。特にウォルト・ホイットマンがお気に入り。1978年4月に彼から手紙を受け取る。そこには彼女のために作曲されたウォルト・ホイットマンの詩による曲と出生証明書が同封され、現在のところ娘は順調、人生で初めての平穏と幸福の中にいる、との言葉が添えられていた。しかし、その10年後、娘が感染症で亡くなったとの連絡が入る。同時に、離婚とチック症が彼を襲う。

カフェでは、ジョーが自由の女神 "la femme puissante" やアメリカ礼賛をするが、すでにカナダ人になっているエリザベートは必ずしも同意しない。西洋、特にアメリカは自らの持つ価値を欺瞞と言ってもよいくらいに裏切っている。資本主義には破壊する力があり、さらには退廃をも生み出すと見ている。1933年3月のことは決して忘れないという。スイスでの2週間の ヴァカンスの後ミュンヘンに帰ってみると、先生の言うことが180度変わっていた。ナチの信奉者になっていたからだ。15歳だったが、われわれの中にある悪を見てしまったのだ。

著者のリーメン氏は、彼女の意見に同意するが、一体何をすべきなのかと問いかける。その問に対して答えがあると言って、ジョーは表紙にこう書かれた楽譜を出した。




これが見せたかったものだと言う。「草の葉」 にあるニューヨーク、自由、民主主義、アメリカ、詩への賛歌をもとに作られている。なぜこのテーマを選んだのかとの著者の問に、精神の高貴さこそ至高の理想だからとジョーは答える。それこそ真の自由の実現を意味するからだと答える。その精神が底になければ民主主義も自由な社会もあり得ない。「草の葉」 は、人生は真、善、美、愛、自由を探究する旅なのだという深い確信に基づいている。そこにこそ、精神を耕すことによって人間的になる術がある。人間の尊厳を体現すること、それが精神の高貴さの意味するところである。

リヴァ―・カフェでのディナーから丁度2ヶ月後の2002年1月6日に ジョーは心筋梗塞で亡くなる。彼は自らの作品を破棄していた。エリザベートは父が言っていた仕事をするために必要になる忍耐と執拗さが彼にはなかったのだと考える。自分の目に適うもの以外はこの世に残しておきたくなかったのではないかと考える。そして、ジョーの遺志を継ぐようにリーメン氏に勧める。音楽はわからない上、ホイットマンも読んだことがないので躊躇すると、彼女は自分のやり方で彼の言う精神の高貴さを求めればよいと伝える。

その僅かひと月後の2002年2月8日、エリザベートが若き日にピアニストになることを夢に見、両親が最後の時を過ごした国で亡くなる。彼は自宅の書斎でゲーテの 「詩と真実」 を手に取り、自国のユダヤ人哲学者スピノザがこの文豪に心の安らぎを呼び起こしていたことを知る。そして、ジョーの言う "la femme puissante" はこの哲学者の娘であること、ジョーの遺志を継ぐのはニューヨークでもドイツでもスイスでもなく、オランダであることを悟ることになる。リーメン氏は、2001年11月7日(水曜日)午後7時半、リバー・カフェでの出会いの意味を噛みしめていたことであろう。

――スピノザについてはこちらから――

24 歳でユダヤ人社会から追放され、その後の人生を真理の探究に費やしたスピノザ。彼は、人生のすべての日常の出来事は虚しく無意味 (vain et futile) であることを知ってしまった。彼の世界は富と名誉と快楽で動いている社会とは相容れないものであった。なぜなら、この社会には真の魂の平安も幸福もないこ と、善き生き方、真理とは何かを探ろうとする精神の運動なくして、永続的な平安も悦びも得られないことを知ったからである。同時に、真理と自由とは分かち 難く結び付いていることも理解していた。異端を嫌悪し、暗愚主義を貫く伝統の力が強い中では、人は自由に考えることができないのだ。時の王子が金と名誉と権力をちらつかせながら大学に誘った時も彼は丁重に、しかし断固として断っている。真の思索には独立が必要で、金や権力はその自由を縛る以外の何ものでもないことを知っていたのだ。自由の真髄とは人間の尊厳以外の何ものでもないことを知っていたのだ。そして、こう書いている。

"Sed omnia praeclara tam difficilia, quam rara sunt."
(Mais tout ce qui est excellent est aussi difficile que rare.)

「しかし、すべての優れたものは、稀であると同時に難しいものである」

Le salut に至る道は至難の道なのである。これがスピノザがゲーテに教えた真の自由であり、それをこの詩聖は精神の高貴さと名付けたのだ。


ところで、ゲーテの 「詩と真実」 を紐解いている時、この言葉に出会った。

―― 若き日の願いは年老いてのち豊かにみたされる ――


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アマゾンによると、英訳は9月に出るようである。

"Nobility of Spirit: A Forgotten Ideal"
(Yale U Press)




jeudi 18 juin 2009

発展のための生物学 "Une biologie pour le développement" de François Gros




昨年2月にあったコロック 「生命を定義する」 の開会講演を行ったフランソワ・グロさんの本が出ていた。

この本の骨子が講演になっていたようである

22世紀を見据えた時、今世紀の生物学はどのように歩まなければならないのか

その問題を省察するヒントがあるかもしれない

生物学をどれだけ広いところと結びつけて考えることができるのか、それが鍵になりそうである




mardi 16 juin 2009

倫理と道徳



パリに来る直前の2007年夏、私の尊敬する先生からお手紙をいただいた。そこにはこれまでの研究を止めることは残念ではあるが、21世紀において重要になるであろう医学倫理について考えを深めようとする決断にエールを送りたいとのメッセージが書かれてあった。当時は倫理の問題について考えようという具体的な目標を持っていたわけではないが、こちらに来てからわが人生を振り返ったり、友人との語らいやこちらの大学での話を反芻するうちに、この問題は避けて通れないということを悟るようになってきた。この問題に哲学者が興味を示さないで一体誰が向かって行くのだろうかと思うようになってきた。という訳で、これから少しずつ調べながら考え始めることにしたい。

若い時から倫理や道徳と言われると、深く考えることもなく拒否反応を示していた。考えていなかったのである。良心にさえなまれることもあったが、その根源を考えようとする所には向かわず、そこから逃げていた。しかし、この問題は私のテーマでもある人間存在の根本に深く関わっている。逃げることはできないだろう。

医学の進歩により、これまでは考える必要のなかったことまで考えざるを得なくなり、生命倫理の問題として取り上げられるようになっている。例えば、臓器移植の領域では脳死の判定や最近では病気腎移植の是非が問題になった。人工授精や代理母の問題も出ている。遺伝子治療やクローンの問題もある。これらの基礎には生命をどのように捉えるのか、人生の意味をどこに置くのか、人間の尊厳とは一体どういうことを言うのかなどの哲学的な問が横たわっている。

さらに、倫理の問題は医学に限ったことではない。例えば、報道における倫理のあり方。情報を捻じ曲げて広めることに倫理的な問題はないのか。それをどのように判断し、修正していくのか。あるいは、どのようなやり方でも経済活動は許されるのか、という経済活動における倫理もある。スポーツにおける薬物使用の問題。教育における教師の倫理など、数え上げると限がない。つまり、倫理の問題を切り離して人間活動を考えることができないということになる。

この問題に入る前に、まず言葉の問題から調べてみたい。倫理は英語では "ethics"、フランス語では "éthique" と言われる。この語源はギリシャ語の "èthos" にある。古代ギリシャではこの言葉をいくつかの意味合いで使っていた。

第一には、ある動物種のこの世界における在り様を意味していた。魚は泳ぎ、鰓で呼吸し、鳥は飛び、さえずる、という具合に。この意味は、現在の生態学、動物行動学にあたる "ethology", "éthologie" の中に生きている。第二には、一人の人間が生物としてこの世にどのように存在しているのか、という意味合いがある。それからその人間がある時代、ある社会においてどのように振舞うのかという、社会の風習、習慣、法律などの下での人間の行動を意味していた。

現代的倫理を意味する "èthikè" は "èthos" の形容詞に相当し、アリストテレスが振る舞いに関する知識を意味する "èthikè théôria" という表現で最初に使っている。この知識に対する態度には大きく二つの方向性が考えられる。一つは、振る舞いの在り様を客観的に事実として調べ記載する方法で、現在科学が使う手法でもある。もう一つは、そこで観察されたことについての価値判断、善悪の判断を加え、ある条件下でどのような行動が望まれるかまで考えようとする態度があり得るだろう。

そこで倫理と道徳との関連になるが、両者の相違については専門家の間でも意見の一致を見ていないようである。この二つの概念は同じものとする人もいるようだが、すべての言葉はある特別な意味を表すために造られたと考えている者にとっては、そこには違いがあるはずだという立場に立ちたい。道徳の語源を調べてみると面白いことがわかってくる。古代ギリシャでは、個人、あるいは集団がある風習や習慣の下に如何に振舞うのかを意味していたが、ローマ時代にキケロが "èthos" をラテン語に訳す際にフランス語の "mœurs"(風習)に当たる "mos" という言葉を選び、その複数形 "mores" から "moralia" という言葉を新たに造った。すなわち、このモラリアという言葉が古代ギリシャの倫理 "èthikè" に当たり、現代における混乱はキケロの造語に由来すると言えそうである。

現代における道徳という言葉には倫理とは違った意味合いが含まれていると考える人がいる。彼らの考えでは、道徳には社会的規範、過去から引き継がれた伝統、さらには宗教的な価値観が含まれていて、固定的なニュアンスがある。それを拒絶するのも受け入れるのも個人に任されている。これに対して倫理という場合には、新しい時代に生まれた問題についてどのように対応するのか、という作り上げる道徳、現在進行形の道徳というニュアンスが含まれている。一つの宗教で支配されているような社会ではないので多様な考え方があり、そのために議論の対象として常にわれわれの目前にあるのが倫理ということになる。人種的にも宗教的にも文化的にも異なる人が共に生きていくためには、人間の在り方に関して共通する価値観を見出し、創り上げていくことが求められている。それが倫理に課せられた大きな仕事ということになる。まさに、人間存在に関する深い洞察が求められる仕事になるだろう。



lundi 15 juin 2009

インフルエンザA (H1N1) (Grippe porcine; Swine flu) - 36

世界の状況
6月15日、GMT 17:00現在
WHO report


世界の76国で35,928例、死亡163例 ← 66国で19,273例、死亡117例 (6月3日)

Japan (605) ← (385)

USA (17,855; 死亡45) ← (10,053; 死亡17)
Centers for Disease Control and Prevention (CDC)
Mexico (6,241; 死亡108) ← (5,029; 死亡97)
Canada (2,978; 死亡4) ← (1,530; 死亡2)
Costa Rica (104; 死亡1) ← (50; 死亡1)

Chile (1,694; 死亡2)
Columbia (42; 死亡1)
Dominican Republic (93; 死亡1)
Guatemala (119; 死亡1)

mardi 2 juin 2009

ジョージ・C・ウィリアムズという進化学者、あるいは統合への精神運動 George C. Williams, ou l'esprit synthétique


George Christopher Williams
(b. May 12, 1926)


最近、ナイルズ・エルドレッジ (Niles Eldredge, b. 1943) がこの方について語っているのを読む機会があった。エルドレッジは1972年にスティーヴン・ジェイ・グールド (Stephen Jay Gould, 1941-2002) とともに進化は漸進的に進むのではなく変化のない平衡状態に挟まれるようにしてある急激な変化の時期を経て起こるものとする断続平衡説 (Punctuated equilibrium; Équilibre ponctué) を提唱した古生物学者である。

エルドレッジ氏の話によると、イギリスの進化遺伝学者のジョン・メイナード・スミス (John Maynard Smith, 1920–2004) がウィリアムズがアメリカの科学アカデミー会員にもなっていないことに驚きを持っていたという(1993年には会員になったが)。エルドレッジ氏自身が1980年代にウィリアムズを訪ねた時には研究費が当たらないことを嘆いていて、信じられない思いを抱いたという。進化がグループにではなく個人、さらにはその遺伝子に対する選択を介して行われるという考えの持ち主で、リチャード・ドーキンス (Richard Dawkins, b. 1941) にも大きな影響を与え、性選択や老化に関しても重要な仕事をし、進化医学の理論的基盤も築いている。このように進化生物学に大きな足跡を残したウィリアムズへの評価の低さは驚くべきであるとしている。彼は照れ屋ではあるが、細心の注意をもって深く思索する人間であると正当に評価している。

これを読んだ時、いろいろな思いが巡っていた。これは私がアメリカにいた時のことになるが、彼が研究生活を送っているストーニー・ブルックには就職先の一つとしてインタビューに行ったことがあり、親しみとともに懐かしさが蘇っていた。それから生物学分野での理論的な仕事に対する評価の低さはアメリカでもあるのか、という思いが湧いていた。生物学と言えば実利に結びつく成果が求められ、それ故にそのような仕事がまず評価されるのは洋の東西を問わないのかも知れない。これに関連して思い出すのは、免疫応答の理論的基盤になっている "two-signal model" を1970年に提唱し、それを今も改変し続けているメルヴィン・コーン氏 (Melvin Cohn, b. 1922) が理論的な仕事に対する理解が低いことを漏らしていたことである。これらのことを目の前にして、統合に向かう精神運動に対する評価を考え直さなければならないのではないか、と考えていた。


lundi 1 juin 2009

ラマルク主義についてのワークショップがテルアビブ大学で


The Twenty-Third Annual International Workshop on
the History and Philosophy of Science

"Transformations of Lamarckism: 200 Years to the Philosophie Zoologique" (Sunday-Wednesday, June 7-10, 2009)

Organizer:
The Cohn Institute Tel Aviv University
The Edelstein Center
The Hebrew University of Jerusalem
The Van Leer Institute of Jerusalem


プログラムはこちらから。


dimanche 31 mai 2009

ガレノスの一生、そして 「私はなぜ書くのか」




Claude Galien

(129 ou 131, Pergame - 201 ou 216)


紀元2世紀から1000年以上に渡って西洋医学に影響を及ぼし続けたガレノスとはどんな一生を送ったのだろうか。年表で見てみたい。

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129年: ペルガモンに生まれる
146年(17歳): 医学の勉強を始める
151-156年(22‐27歳): 最初のアレキサンドリア滞在
157-161年(28-32歳): ペルガモンの剣闘士の医者になる
161-162年(32-33歳): 2回目のアレキサンドリア滞在
162-166年(33-37歳): 最初のローマ滞在
166年(37歳): ペルガモンに戻る
168年(39歳): 皇帝からアクイレイアに召喚される
169年(40歳): 2度目のローマ滞在始まる
172-174年(43-45歳): 「治療法」の最初の6巻を執筆
193-194年(54-55歳): 「治療法」の最後の8巻を執筆
216-217年?(87-88歳?): おそらくカラカラ帝の治世が終わる1年前、ローマで亡くなる

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Méthode de Traitement (Gallimard 2009)




穏やかそうだが好奇と遊び心を宿したその目が印象的である。彼は「私はなぜ書くのか」(" Pourquoi j'écris ")についてこんなことを言っている。

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親愛なるユーゲニアノス様

かなり前にヒエロン様のために私の「治療法」の執筆に取り掛かりました。しかし、この方が突然旅立たれ少ししてから亡くなったことを知らされましたので、この本の執筆を諦めました。あなたもよくご存知のように、この作品も他の作品も有名になりたいがために書いたことはなく、友人を喜ばせ、自分自身を磨くために書いてきました。それは現在にとって有用なだけではなく、プラトンの言葉を借りれば「忘れっぽい老年」を見越しての記憶の倉庫の役割を果たすものです。

実際のところ、大衆の賞賛はしばしば生きている者にとって役に立つ代物でしょうが、死者には何の役にも立ちませんし、一部の生きている者にとっても同様です。哲学を拠り所とした静かな生活を選び、その身を養うだけの蓄えを持っているすべての人にとって、有名人になることは非常に大きな障害になるでしょう。それは度を超えて最も美しいものを遠ざけることになるからです。あなたもよくご存知のように、わたしも厄介な人たちにしばしば悩まされてきました。時として本を読むこともできないくらい長期に亘り休みなく。

私は若い時からなぜか大衆受けする有名人を酷く軽蔑してきました。そこには神からの霊感があるのか、あるいは狂気のようなものなのか。何とでも呼んでください。同時に、私には真理と科学への渇望がありました。なぜなら人間はそれ以上に美しく神聖なものを獲得できないと信じていたからです。私の名前をどの著作にも付けなかったのはそのためです。ご存知のように、あなたがよくされるような公衆の面前での極端な賞賛をしないように、そして私の著作に名前を付けないようにお願いしてきました。これらすべての理由から、私の「治療法」の執筆を断念しました。

私の短い論文に私の発見の重要な点を書き留めましたが、まだ完全な形にはなっておりません。しかし、あなたやわれわれの多くの仲間が、私が患者に対して実践していたことを著作の中に見出したいと望んでいるので、まだ不足しているところを現在の論文に加えようと思います。

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Galien de Pergame. Souvenirs d'un médecin



jeudi 28 mai 2009

セルゲイ・メタルニコフという科学者 Serge Metalnikoff


Serge Metalnikoff (1870-1946)



イリヤ・メチニコフ(Ilya Metchnikov, 1845-1916; prix Nobel 1908)はロシア出身の科学者で、後年パリにあるパスツール研究所に迎えられ、終世そこで研究生活を送った。昨年、彼がノーベル賞を受賞して100年になる記念のシンポジウムがパスツール研究所で開かれたことは昨年触れた(「メチニコフの遺産・2008年」)。ところで、彼のロシア時代にパブロフの犬で有名なイワン・パブロフ(Ivan Pavlov, 1849-1936; prix Nobel 1904)の師に当たるイワン・セッチェノフ(Ivan Setchenoff)と関係があったことを知る。この方はリベラルな考えの持ち主で、コスモポリタンにして唯物論者であったという。

彼の影響でメチニコフは免疫系が外界との適応に重要であると考えており、抗原投与後の貪食細胞の増大を一種の条件反射として見ていた節がある。この研究テーマを引き継いだのが、同じくロシア出身のセルゲイ・メタルニコフ(Serge Metalnikoff, 1870-1946)である。

彼はサンクトペテルブルク大学で動物学を修めた後、1897-1899年にはハイデルベルグとナポリで研究する。それから1年間をパスツール研究所のメチニコフの研究室で過ごし、ロシアに戻って生物学研究所を率いる。1919年にはパリに亡命し、パスツール研究所のベスレッカ (Alexandre Besredka) の研究室に加わり、亡くなるまで研究を続けた。

彼は、動物を免疫することはその神経系を免疫することであると考えていた。その仮説を証明するための無脊椎動物を用いた実験では、神経節の破壊により抗体産生が消失することを示している。また、抗原投与後に種々の刺激(例えば、耳を温める、脇腹を引っ掻くなど)を加えるなどして条件反射と抗体産生の関係も解析し、ばらつきがあったがそれらしい結果も得られたという。ロシアではネオ・ラマルク主義(獲得形質の遺伝)の傾向が留まることを知らず、抗体産生や貪食はパブロフ流の反射機構に依存するという考えのもとに仕事が進められた。

しかし、後年のメタルニコフの研究は真剣に受け入れられたとは言い難く、例えば音楽による免疫の条件付けの研究などは失笑を買うものであった。その結果、研究費の支援を得ることが難しくなり、研究も完成に至ることはなかった。研究所を辞めた後、ひっそりと亡くなったという。

彼は、免疫という現象が進化の中にあり、獲得形質が遺伝する興味深い領域であると考えていた。同時に免疫は自然の創造性を表すもので、生物学的な現象は常に移り変わるもので再現されることがないと考えていた。古代ギリシャのヘラクレイトス(Héraclite d'Éphèse)を思わせる考え方である。しかし、これは自然の中に法則を見つけようとする科学の流れに反するものであった。ただ、彼の視線が免疫現象というものを全体としてどう捉えるのかに向かっており、その上で立てた仮説に基づいて実験を組み立てるという方向性を貫いていた点には注目したい。同時に、ある時点で仮説を捨てる勇気も必要になることを教えているようでもある。


mercredi 27 mai 2009

インフルエンザA (H1N1) (Grippe porcine; Swine flu) - 34 熱帯地方に要注意

世界の状況
5月27日、GMT 06:00現在
WHO map

世界の48国で13,398例、死亡95例 ← 46ヶ国で12,515例、死亡91例 (5月25日)
Japan (360) ← (345)


最新の Nature 誌に、これから注意を向ける必要があるのは、インフルエンザが絶えず発症し管理も行き届いていない熱帯地方であるとの記事が出ていたので紹介したい。

Swine flu attention turns to the tropics. Nature 459, 490-491, 2009

現在のところ、大半の感染者は北半球に分布しているが、これから南半球で広がり、そこでウイルスが変異する可能性が危惧されている。しかし、忘れてならないのは熱帯地方で何が起こるかなのだ、と指摘する専門家がいる。特に、東南アジアでは子供、鶏、アヒルや水鳥のインフルエンザ・ウイルスがあり、いつ新たなウイルスが出ないとも限らない。これから必要になるのは一にも二にも監視体制になるが、単に北半球や南半球だけではなく、熱帯地方にも目をやる必要がある。問題は以前よりは良くなっているとはいえ、富める国と貧しい国の間の監視体制には大きな差がある。WHO 事務局長チャンは、開発途上にある国を守るためにわれわれが協力して全力を傾けることこそ求められていると語っている。


vendredi 22 mai 2009

インフルエンザA (H1N1) (Grippe porcine; Swine flu) - 30 「1918年の過ちを避ける」

昨日の Nature 誌に 「1918年の過ちを避ける」 というエッセイが出ていた。当時の状況を知る上でも、そこから何が教訓になるのかを探る上でも参考になるので紹介したい。

今回のようなパンデミックで問題になるのは、第一に治療に必要となるワクチン、第二には情報の処理、コミュニケーションである。これは一般市民とのコミュニケーションのみならず担当者間のコミュニケーションを含んでいる。その意味で1918年のアメリカでの対応は避けるべき事例として研究の価値がある。

パンデミックは1918年1月に始まり、世界で350万人とも1億人とも言われる犠牲者を出して1920年6月に終わった。これは全人口の1.9%-5.5%に当たる。犠牲者の特徴は、25-45歳の働き盛りの成人で、この集団での死亡率は約10人に1人であった。

アメリカでは1918年春から散見されたが、軍の施設を除いては見過ごされていた。第1次大戦の戦場になっていたヨーロッパではスイスの兵士が犠牲になり表面化し、8月3日にはペストのパンデミックに相当するのではないかとの機密情報がアメリカに届いていた。

アメリカ政府はこの情報処理に当たって、戦況を知らせる際に用いる方針を採用したのである。すなわち、事に当たっては真偽は問題ではなく、士気にどのような影響を与えるのかが最も重要であるというものであった。優れたジャーナリストとして名の通っていたウォルター・リップマンはウッドロー・ウィルソン大統領に、一般大衆は精神的に子供なので("mentally children")命令に従うように諭すこと、という書簡を送っている。1917年、このメッセージを受け取った翌日にウィルソン大統領は士気を高めるためにすべての情報を管理するという方針を決定することになる。

その結果、1918年9月に致死的なパンデミックがアメリカを襲った時には、大統領は何の警告も出さなかった。政府の公衆衛生最高責任者が、適切な注意をしていれば特に問題はないとの声明を出したが、これが過度な心配は病気よりも危険だという掛け声になり広まっていく。そして、この病気は新しい名前を付けた古いどこにでもある風邪なのだ、とのメッセージに固定化されて行った。

しかし、実際には全く症状が違い、初期にはコレラ、チフス、デング熱などと誤診されていた。症状が出て1日で亡くなる人もあり、口や鼻のみならず目や耳からの出血という凄まじいものであった。にもかかわらず、政府や新聞は何でもない病気として片づけていた。公衆衛生責任者も情報を隠蔽するという態度を採り続けた。ここではフィラデルフィアの公衆衛生責任者の例が紹介されているが、1日の死者が200人を越えた時にはそのピークを迎えたと言い、300人になると最大を記録したとし、最終的には1日に759人の死者を数えるところまで至ったのである。そして、新聞は責任者の責任を追及することはなかった。このような情報処理は例外ではなく、アメリカ全土で行われていた。

嘘と沈黙は、当局の信用と信頼性を失わせる。その結果、人々が頼るのは当てにならない噂話になり、それに基づいた根拠のない想像になる。相互の接触を拒否するようになり、人間関係を損ない、病気になるのを恐れて家に閉じこもるようになる。その結果、社会活動にも大きな影響が出てくる。当時、ミシガン大学の医学部長は、このような状態が続けば地上から文明が消滅するだろう、と発言していたという。

当時と現在とでは状況は違うが、コミュニケーションが重要であることだけは変わっていない。ワクチンができるまでは、感染が広がり続ける可能性が高い。政府の責任者は真実を公開することが求められている。今回の感染については比較的うまく処理されているが、最近の例では必ずしも透明性が保たれているとは言えない。2003年、中国でのSARSは最初隠蔽されたし、2004年、タイとインドネシアの鳥インフルエンザも情報が秘匿された。

アメリカではパンデミックの際に透明性を高める方針が確立され、オバマ大統領もよく対応している。真実が隠されているのではないかという疑念が持たれるような沈黙も問題になる。1918年の噂話のように、あらゆる憶測がネットを駆け巡る可能性があるからだ。真実(情報)を管理するという発想ではなく、それは語られなければならないという姿勢が大切だろう。そうすることにより、疑心暗鬼に陥ることなく、われわれを具体的な方策に向かわせると考えるからだ。

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John M. Barry. Pandemics: avoiding the mistakes of 1918. Nature 459, 324-325, 2009

jeudi 21 mai 2009

フランク・リーヴィスの現代的問いかけ


Frank Raymond Leavis


今年はC.P. Snow の名著 "The Two Cultures" の出版50周年に当たり、Nature誌が特集を組んでおり、マーティン・ケンプ (Martin Kemp) というオックスフォード大学美術史名誉教授が "Dissecting The Two Cultures" と題するエッセイでその現代的な意味を論じている。その中で、この方の存在を初めて知ることになった。

Frank Raymond Leavis (14 July 1895 - 14 April 1978)

スノーが 「二つの文化」 を出した後にもの凄い反響があったことは、その4年後に書かれた "A second look" の中で触れていたが、このような辛辣な批判がされていたことは今回初めて知った。その代表格がフランク・リーヴィスだったのだ。

スノーは物理の研究者として出発したが、問題が起こり途中から作家に転身し成功を収める。彼には政治的な上昇志向 (political climber) があり、大学の中枢を歩み、1964-1966年には男爵として技術大臣 (Minister of Techonology) の補佐官を務めた。また、ハロルド・ウィルソン首相が1963年に出した科学技術に対する政策の主要な立案者でもあった。そのためだろうか、応用科学の重要性を説き、先進国と発展途上国とのギャップに対しても敏感であった。

エッセイの著者ケンプ氏は、学生時代にスノーに論争を仕掛けたリーヴスに会っている。すでに英文学の伝説的存在で、舌鋒鋭い批評家でもあった。世界的な名声を手に入れてはいたが、体制の中で活躍するスノーとは対照的に、大学の中ではアウトサイダーに徹していた。1962年、彼のダウニング・カレッジにおける30年に渡る活動を記念したリッチモンド講演 (Richmond Lecture) をする。その中で、「悪意に富む人身攻撃 (ad hominem attack)」 とも言われる矛先がスノーに向かったのだ。

彼はこう言い放つ。「彼(スノー)は小説家として存在もしないし、その兆しさえない。小説とは何かさえ知らないだろう。・・・彼が提案した世界の問題について考えるだけの能力があるとするのは馬鹿げている」。文学批評家の判断は人間が生存する状況 (life) に関わるもので、偉大な文学は人間的な価値を真に守るものである、とリーヴィスは考えていた。彼の立場は、苦しみの中での道徳的な無知に対して物理科学は癒しをもたらさないが、倫理はその無知に対する癒しを与えてくれると考えていた17世紀のパスカルに通じるものであった。

リーヴスにとっての科学は人間的な価値を奪われたもので、人間の未来を予見し、それに向けて行動し準備するためには別の営みが求められると考えていた。また、人間の安寧を単に生産性、物質的な生活レベル、衛生状況、技術的な進歩という指標だけで判断するのは道徳的な破綻であるとも考えていた。1949年にジョージ・オーウェルが発表した "Nineteen Eighty-Four" で描かれた世界が現実のものになるのを恐れていた。現在の経済の状態、環境の問題を考える時、人類の進歩を単に経済成長のための技術応用という視点だけで規定するのは不十分ではないのかとする彼の考えは忘れてはならないだろう。

今を取り巻く問題は、文と理という文化の乖離と言うよりは、あらゆる領域に見られる専門化に対して、より広く理解しようとする精神の運動との乖離ではないだろうか。その根には教育があり、専門化が求められる社会に対応するために大学に入る時にはすでにこの現象が表れている。教育に今求められているのは、幅広い分野についての理解を深め、その限界を教えること。すなわち、自然科学ができることは自然科学に、人文科学ができることは人文科学に任せ、それ以上のことはしないことが大切になる。その意味で、スノーが提示した文と理の乖離は今なお現実のもので緊急を要する問題でもある。しかし、リーヴィスが問いかけた何が進歩なのかという人間的な定義も今そこにある問題になる。

Martin Kemp "Dissecting The Two Culture", Nature 459, 32-33 (7 May 2009)


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このエッセイを読みながら、個人的な歩みを振り返っていた。ここで論じられている問題は私の中にも深く静かに流れていて、それが今に繋がっていることを改めて感じている。ここで特に注目したのは、科学が言うところの進歩とは一体何を意味しているのか、というリーヴィスの根源的な問いに対する答えを自らが模索しなければならないということだろう。それをさらに広く言うとすれば、あらゆる問題に対して提示された言葉の意味するところが本当は何なのかという哲学的な問いかけが求められていることになる。そして、そのような視点を備えた人物を多く抱えている文化は深みを湛えてくるのではないか、そんな想いが過ぎっていた。


mercredi 20 mai 2009

インフルエンザA (H1N1) (Grippe porcine; Swine flu) - 28 日本文化との関連 

今回の感染とその後の対応を見ているとお国柄が現れる。医学の問題が文化によって大きく修飾されているのがわかる。日本の状況について詳しく見ているわけではないので遠くからの印象という程度にしか過ぎないが、私なりに見えてくるものがある。

第一には、基本にあるべき医学的、科学的な視点が薄弱であるということである。これは報道に見られる態度やそれに対する反応について日常的に経験していることだが、このような事態ではさらに強調されて見える。真の意味で、科学的な考え方がわれわれにまだ根付いていない証拠ではないかと思われる。あるいは、われわれのどこかに科学以外のところに価値を見出す文化的な習性があるのかもしれない。誤解を恐れずに言えば、科学的であることの意味など、どうでもよいと思っているとの疑いさえ生まれてくる。

第二には、某国の首相が上から目線と批判されていて、そのことに異存があるわけではないが、その目線は日本の政治から行政に至るあらゆる所に見られるということである。そこには最初から情報をコントロールするということが組み込まれていて、このような状況でさえ情報を政治的に利用することもありうるだろう。情報の公開に際して物々しさを感じさせるとすれば、そこには情報をコントロールしている意識がどこかにあるのではないだろうか。求められることは、あくまでも科学的で冷静な状況判断とその説明になるが、どの程度できているのだろうか。

第三には、上の二つの根にある問題で、個人の自律ということになる。これは自らの中に向けて問いかけることを繰り返す中で初めて生まれるもので、外の規範に合わせることを良しとする文化の中で生きている場合には、そこに辿り着くのは難しいのではないだろうか。しかし、この個人の自律的な生き方なくして科学的な精神が宿ることもなければ批判精神も生まれないだろう。そして、その精神なしには社会を内から変える力、ひいては新しいものを生み出す力は出てこないだろう。

以上がこれまで様子を遠くから見ていて現段階で浮かんできた感想になる。将来、医学の問題を社会的・文化的・哲学的に研究する分野の方が、今回の状況について研究成果を出されるものと思われる。どのような解析をされるのか期待したい。今回の感染はまだ継続中で、これからも予断を許さない状況が続くと予想される。折に触れて私なりに感想を綴ることがあるかもしれない。

lundi 18 mai 2009

インフルエンザA (H1N1) (Grippe porcine; Swine flu) - 25

5月18日、GMT 06:00現在

世界の40国で8829例、死亡74例 ← 39ヶ国で8480例、死亡72例 (5月17日)

Japan (125) ← (7)

Mexico (3103; 死亡68) ← (2895; 死亡66)
USA (4714; 死亡4)
Canada (496; 死亡1)
Costa Rica (9; 死亡1)

Argentina (1)
Australia (1)

Austria (1)
Belgium (5) ← (4)
Brazil (8)
China (6) ← (5)
Columbia (11)
Cuba (3)

Denmark (1)
Ecuador (1)
El Salvador (4)
Finland (2)
France (14)

Germany (14)

Guatemala (3)
India (1)
Ireland (1)
Israel (7)

Italy (9)
Malaysia (2)
Netherlands (3)
New Zealand (9)

Norway (2)
Panama (54)

Peru (1)
Poland (1)
Portugal (1)
Republic of Korea (3)
Spain (103)

Sweden (3)

Switzerland (1)
Thailand (2)
Turkey (2) ← (1)
UK (101) ← (82)

世界の状況
WHO
アメリカの状況
Centers for Disease Control and Prevention (CDC)

mardi 12 mai 2009

インフルエンザA (H1N1) (Grippe porcine; Swine flu) - 18 フランスでの予想

今日のル・モンドより。

レンヌの高等公衆衛生研究所 (Ecole des hautes études en santé publique: EHESP) の疫学者で所長の アントワーヌ・フラオ (Antoine Flahaut) 氏は、フランスの35%が感染することになり、その結果30,000人が亡くなる可能性があると発表した。

このシナリオによると、ピークは夏以降に来る。季節性インフルエンザの場合には、年に6,000人が亡くなっているという。これを聞いた健康大臣ロザリン・バシュロ氏は、France 3 で以下のように語った。

「それも一つの可能性でしょう。しかし、今は医学の専門家が将来の可能性について検討している最中です。これから冬を迎える南半球の状況を監視する必要があります。それによって、北半球が冬になる頃の状況を予想することができるでしょう」

フラオ氏はさらにこう語っている。

「今回の場合は 、SARS の時にように感染した人のすべてに症状が現れて入院することにはならないでしょう。感染者の半分は症状を出さないと思います。また、少なくとも4,000万人が亡くなった1918年のスペイン風邪の状況よりは、むしろ1968年の香港風邪と似た状況になると考えています。現在のところ、感染は外から入ってきたものだけですが、症状の出ていない国内の人から感染が広がるとしても驚きません。集団で見ると大きな脅威ですが、個人のレベルでは普通のインフルエンザと変わりありません」

「WHOは5月14日にワクチンについて発表するはずです。季節性インフルエンザで見られた北アメリカのH1N1株に対するものにするのか、パンデミックに対応したワクチンにするのか決めなければなりませんが、後者の開発にすべきでしょう。今回のウイルスは極めて競争力が強く、他の株を追い落としていくからです。1月には地上にはH1N1株しかなくなっているでしょう。各国は適切な対策を講じなければなりません。なぜなら全員に行き渡るワクチンはないからです」


L'épidémie de grippe A pourrait tuer 30 000 personnes en France (Le Monde, 12 mai 2009)

lundi 11 mai 2009

「フランス絵画の19世紀」展に寄せて ― 注意深さと悦びについて ―



Jules Bastien-Lepage

« Saison d'octobre, récolte des pommes de terre » (1879)


絵画を味わうとは一体どういうことだろう。そもそもなぜ絵画と向き合うのだろうか。芸術作品と意識して向き合うようになってからまだ時間は経っていないが、その切掛けになった出来事から現在に至るまで過程を振り返りながら今の段階で言えることを改めて考えてみたい。

音楽との付き合いは長いが、絵画や彫刻などの造形芸術との意識的な接触はまだ10年にも満たない。その引き金が引かれたのは、5-6年前から積極的に始めたフランス語との出会いではないかと思っている。その教材に使われている芸術作品をフランス語で読むという過程や、その頃から努めて通うようになった展覧会という空間において、大げさに言うと美の発見の悦びを感じるようになっていた。フランス語との接触により、今ここにあるものに止まらず、これまでに蓄積されてきたすべての事に敏感になり、注意深く観察するようになっていた。この注意深さこそ、芸術作品と触れ合う時に大切なことではないのか。この注意深さこそ、ただ流れているだけにしか見えない日常の中に隠れている非日常を見る目をもたらしてくれるのではないのか、と気付くようになっていた。芸術作品を味わうということは、注意深さという性質を通して人生を味わうことと同義ではないかと思い至った瞬間になる。

2005年のある夏の日。古本屋に置かれていた堀田善衛(1918-1998)の「美しきもの見し人は」(朝日選書、1995年初版)を手に取った私は、その序にあった次の言葉に反応していた。

「元来、ヴァレリイの言うヨーロッパ、それを構成する三つの主柱、すなわち、ギリシャ、キリスト教、科学精神といったものの、このどれ一つをとってみても、なみの日本人としての生活感情を生なままで、それをもったままで近づいて行って、ごく自然にこの三つのものの、どれ一つとして自然にわれわれのなかへ入って来てくれるというものではない、と思われるのである。 [・・・]
 正直に言って、誰しも何等かの無理をしなければならないのである。つまり、勉強、ということがどうしてもともなう。そうして、この無理と努力の報酬としての感動がある、というかたちになっていることが大部分の例であろうと思われる」

当時は科学の領域に身を置き研究に打ち込んでいたが、まずヴァレリー(Paul Valéry ; 1871-1945)の言っている「科学精神」という言葉に新鮮な驚きを感じていた。それから、ギリシャ、キリスト教が体の一部になっていないわれわれが、ヨーロッパ芸術を味わおうとした時に出会うであろう無理についても納得していた。しかし、堀田は「私の努力は、なるべく努力をしない、勉強をしない、ということに注がれることになる」と続けている。自分の感性を信じ全身を晒すという堀田の態度は、わたしが作品に接する際にそれまで取ってきたものと重なるところがあり、大いに力づけられたことを思い出す。

予習をしない。自分の感性を信じ、全身を作品の前に晒した時に起こる内なる揺らぎを注意深く観察する。そこで自分が揺れる作品、悦びをもたらしてくれる作品、何かの意味を感じる作品が飛び込んでくるのを待つことになる。自分の感性に触れないようなものは無視してしまう。芸術のために生きているわけではないのだから。生きるために芸術を味わうのだから自分の感性を信じるしかないだろう。そして、自分を揺らした作品についてさらに探ることになる。探りたくなるのである。芸術家やその周辺の人物について、絵の主役や脇役や背景について、他の人の見方について、さらにそこに流れる音楽について、などなど限がない。この自発性が生まれた時、芸術は一気に近い存在になってきた。それを手がかりに世界がどんどん繋がり、広がり、深まりを見せてくる。その全体を改めて見渡す時、深い静かな悦びが訪れてくるのだ。

ところで、今回の「フランス絵画の19世紀」展で取り上げられているアカデミズムとは一体どのような絵画を言うのだろうか。実はこの展覧会のお陰で、これまでに出会っていた「ホラティウス兄弟の誓い」、「マラーの死」、「ナポレオンの戴冠式」、「サン・ベルナール峠を越えるナポレオン」のジャック・ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David ; 1748-1825)、「横たわるオダリスク」、「ナポレオン」、「ヴァルパンソンの浴女」、「泉」、「トルコ風呂」のドミニク・アングル(Dominique Ingres ; 1780-1867)、それから最近友人になったばかりのジュール・バスティアン・ルパージュ(Jules Bastien-Lepage ; 1848-1884)がこの派に属していることを知ることになった。一番新しいバスティアン・ルパージュについてはほぼ1年前、オルセーで「10月、じゃがいもの収穫」(Saison d'octobre, récolte des pommes de terre)を目にしながら通り過ぎようとした時、何かを訴えかけられているように感じて戻ったのが発見の切掛けになった。いずれも若い時であれば全く興味を示さなかったであろう画家になる。

アカデミズムの流れを理解するためには、フランス革命(1789-1794)に始まる歴史を18世紀にまで遡って見直す必要があるだろう。アカデミズムの第一世代はこの革命を掻い潜っており、芸術と謂えども社会の動きとは無縁ではなく、特にこの時代は政治との関係を抜きに芸術を見ることはできないとさえ言えるからである。フランス革命以前の社会は、聖職者、貴族、平民からなる階級性が固定化し、それに伴って聖職者、貴族に対する年金支給や免税措置などにより富が偏在する絶対君主制のアンシャン・レジームであった。この時期にディドロ(Denis Diderot ; 1713-1784)、ダランベール(Jean Le Rond d’Alembert ; 1717-1783)による百科全書、さらにルソー(Jean-Jacques Rousseau ; 1712-1778)、ヴォルテール(Voltaire ; 1694-1778)に代表される考え方が浸透するようになる。それは、社会習慣や権威に身を任せる姿勢を理性や科学精神、批判精神をもって検討し直すことにより、客観的真理の発見を求め、人間を解放しようとするものであった。そして、それは自然に社会秩序を改革する期待へとつながっていった。しかし、理性や科学に信を置く啓蒙思想、物質主義に対し、不合理なもの、曖昧なもの、感情などの人間的側面を賛美、信奉する人たちも残っており、古代への憧憬も現れていた。このような対立は科学絶対主義の時代にも見える現代でも確認することができ、人類の歴史と寄り添うものかもしれない。いずれにせよ、これらの思想的背景のもと、理性に基づき平等な新秩序を構築しようとする革命勢力とアンシャン・レジームを維持したい反動勢力が激しくぶつかることになる。

革命後にできた第一共和政(1792-1804)は、ナポレオン(Napoléon Bonaparte ; 1769-1821)の第一帝政(1804-1814)により10年ほどで終わりを迎える。革命指導者同様、ナポレオンも芸術が政治の有効な武器になることをはっきりと理解しており、大々的にプロパガンダに利用した。芸術には財政的援助を惜しまず、自らのためになる芸術家を厚遇することにはなったが、芸術が政治により管理されるという側面を伴っていた。野心家であった新古典主義の総帥ダヴィッドはナポレオンに接近し、その才能でナポレオンのための絵画制作、儀式の一切を取り仕切るようになる。しかし、それは自らの芸術の規範を政治のイデオロギーのために譲ることにはならなかっただろうか。その後の彼は政治の波に翻弄される人生を送ることになる。

1795年、学問、芸術の組織が再編され、フランス学士院(Institut de France)が生まれる。その中の芸術アカデミー(Académie des Beaux-Arts)は教育機関(École des Beaux-Arts)と展覧会(サロン)の運営に関わり、これがアカデミズム発祥の母体になる。アカデミー・メンバーは学生の教育、就職、サロンへの推薦、若手の登竜門であるローマ賞の選考などを介して美術界の権威として振舞うのみならず、社会の規範として大きな影響を及ぼすようになる。そのため当時のジャーナリズムや社会の人々から持て囃され、社会の中心に位置する金持ちや政治家などに迎合するポピュリズムの傾向を持つようになる。若い芸術家に対しても、意識するかしないかは別にして、社会への適合という大人しさを植え付け、自由な生命の迸りによる芸術を抑制する効果を持つようになったとしても不思議ではないだろう。

エミール・ゾラ(Émile Zola ; 1840-1902)の芸術論(Écrits sur l’art)などに目を通しても、サロンのレベルが年々低下することを嘆いていたり、見るに堪える力を持っているのはほんの一握りの画家でしかないという手厳しい評価を下していたりする。このような主流派のアカデミズムに対して、今日われわれの好みに叶う多くの芸術家は周辺的な場所に身を置きながらも自らの命を紡ぐように芸術を磨き上げていた。そして、当時の時代の寵児たちがほとんど忘れられている今、時代を超えて人に訴えかける力を持つのは、真に人間の底から絞り出されたものだけであることが証明されることになるのである。

今回展示される絵画は、堀田善衛が言うところの、われわれが体では理解できないヨーロッパ精神を湛えた芸術になる。出かける前に予習することなかれ。アカデミズムや印象派や新古典主義や浪漫主義やレアリズムについて調べることなかれ。それは作品を自らの友にする上で重要ではないだろうから。白紙の状態で出かけて身を晒すこと。そこで何が自分の中に入ってくるのかを観察することをお勧めしたい。日常から切り離した自由な精神をもってその場に入ると、以前に見たことのある作品が驚くほどの美しさや意外性をもって迫ってくるかもしれない。19世紀に生きた芸術家の作品の中に新たな友人を見出すことができるかもしれない。それから展覧会の秘かな楽しみとして、絵そのものだけではなく、会場の空気や作品が飾られている場全体の景色を鑑賞することもお忘れなく。写真を撮るような感覚で見る方向や角度を変えながらその場を切り取ってみると、不思議な風景が現れるかもしれない。

ポーランドの女性詩人ウィスワヴァ・シンボルスカ(Wisława Szymborska ; 1923- )が “Nothing twice” と謳っている。この世のすべては一回限りなのだ。その一回性を意識できる目を持つことにより、今回の展覧会が新たな発見の場になる可能性がある。さらに、その目を日常に持ち込むことができれば、われわれの生が生き生きとしたものに変貌を遂げるだろう。日々、芸術の中に生きることになるだろう。その時、注意深さを介して芸術と日常が繋がるこの上ない悦びが訪れるような気がしている。