dimanche 15 mars 2009

シーウォル・ライトという遺伝学者 Sewall Wright


Sewall Wright
(December 21, 1889 – March 3, 1988)


遺伝的浮動などの研究でダーウィン後の進化論の発展に重要な役割を果たしたシーウォル・ライトという遺伝学者がいる。まず、99歳までしっかり生きた人であることに感動する。凍った道で滑り、骨盤骨折の合併症で亡くなっている。普通の人であれば、亡くなったことは残念だが99歳なのでおめでたいとも言えるのではないか、となるかもしれないが、彼の場合には目こそ弱っていたが知力の方に衰えはなく、夏にある国際学会を楽しみにし、亡くなる数時間前まで論文のディスカッションをしていたという。彼の4巻からなる2000ページを優に超える大著 "Evolution and the Genetics of Populations" (進化と集団遺伝学) は70歳後半から80歳代にかけて書かれたもの (1968年、1969年、1977年、1978年) で、最後の論文発表は亡くなる2か月前の1988年1月である。冬の散策に出ていなければ、まだまだ活力を保っていたと想像される。

彼の家系はシャルルマーニュ治世の8-9世紀にまで遡ることができることを知ると、遺伝学に興味を持つことになったのも理解できる。マサチューセッツ州メルローズに生まれたが、3歳の時に父親フィリップがイリノイ州のロンバード大学に職を得たので移り住む。まだ学校に行く前の7歳の時には "The Wonders of Nature" というパンフレットを書いている。早熟の少年だったようだ。父親のフィリップも polymath で大学では数学、天文学、経済学、測量学、体育、英作文を教え、詩や音楽を愛していた。そのためか、シーウォルには詩の領域に入るように勧めたが、彼は自然科学を選び父親を落胆させた。それは大学でアメリカの女性で初めて理学博士をシカゴ大学からもらっていたウィルヘルミン・キーという先生の影響が大きいと言われている。

大学卒業後、イリノイ大学でフェローシップをもらい、この間ハーバード大学のウイリアム・キャスルのもとでモルモットの毛の色について研究し、26歳の時に博士号を得る。ここで inbreeding (近親交配) にも研究を進めるが、それは両親がいとこ同士の結婚だったことが原因ではないかと考えている人もいる。それから10年間は同じテーマのもと農務省で、37歳から65歳の定年まではシカゴ大学、さらにその後の5年間はウィスコンシン州立大学で研究を続けた。キャリア後半には哲学にも興味を持ち、生物学についての哲学論文も物しているという。

やはり進化学者で100歳の人生を全うしたエルンスト・マイヤーがいる。こちらの方は定年後に生涯に出した本の半分以上 (14/25) を出版し、200編もの論文を書いているという圧倒的な活力を示している。お二人ともただただ素晴らしいと言う他はない。




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