samedi 11 décembre 2010

ヨハネス・ケプラーにとっての科学 La science selon Kepler


Johannes Kepler

(27 décembre 1571 - 15 novembre 1630)


何のために科学をするのか。何のために科学はあるのか。今や科学がわれわれの周りの至るところに浸透していることを考える時、これらの問は科学に身を置く者に留まらず、われわれ一人ひとりが自らに引き付けて考えなければならないものになっている。16世紀から17世紀にかけて生きたヨハネス・ケプラーの名は、その昔学校で聞いて以来ほとんど耳にすることはなかった。しかし、科学の歴史に改めて触れる時、必ず顔を出す科学者である。

ティコ・ブラーエ(14 décembre 1546 - 24 octobre 1601)の弟子であった彼は天体運行の法則を見出し、コペルニクス(19 février 1473 - 24 mai 1543)の地動説を確実なものした。ケプラーの法則とは以下の三法則からなる。

第1法則: 惑星は太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く(楕円軌道の法則)
第2法則: 惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は、一定である(面積速度一定の法則)
第3法則: 惑星の公転周期の2乗は軌道の長半径の3乗に比例する(調和の法則)

これらの成果はニュートン(4 janvier 1643 – 31 mars 1727)による万有引力の発見へと繋がる。

ところで、ケプラーは科学というものをどのように捉えて研究していたのだろうか。それは自然をどう見るのかという問題と密接に関連しているように見える。ケプラーの考え方の大枠は、自然を神の下に見る以下のようなものであった。

「自然は神が創造し、動かしている。自然は神が書いた本のようなもので、そこに神の言葉や意志が隠されている。科学の役目は宇宙という神の作品の美しさを解き明かすことであり、そのためには数学が仲介として最適なものである」

創造された完璧な世界について瞑想を深め、自らの精神を高める手段として彼は科学を捉えていた。科学を神に仕え、神を祝福するものであるとし、物を中心に置く考えから離れ、本質的な問について考えるための道であると考えていた。この仕事に呼び寄せられたと感じていた彼は、そこに経済的な価値ではなく、音楽や絵画と同様に美的な価値を見ていた。

神の意志を絶対視する彼は、あらかじめ理論的に導き出した数字があれば、科学によって自然の動きを完全に理解できると考えた。この理論的過程で必須になるのが数学であった。そのため彼は実験を二の次にした。これに対し、やはり自然は数学の言葉で書かれていると考えたガリレオ(15 février 1564 - 8 janvier 1642)は、観察と実験の重要性を説き、世界のすべてを観察し、すべてについて実験することが不可能であるという前提で、自然を完全に理解することは不可能であると考えた。科学と神学を引き離したのである。この点がケプラーと異なっている。

科学は技術の進歩やそれに伴う物質的な幸福を齎すためではなく、精神の深化のためにあると考えていたケプラー。経済や技術偏重の現代の科学や科学者を見て、一体どのような発言をするのだろうか。聞いてみたい気がする。

vendredi 10 décembre 2010

クロード・ベルナールの 「実験医学研究序説」、そして哲学者ができること



mercredi 4 mars 2009

クロード・ベルナールに 「実験医学研究序説」 という本がある。日本にいる時に本棚にはあったが、結局読むところまで行かなかった。字体や文体が古く魅力を感じなかったことと、仕事に忙しく余裕もなかったためだと思っているが、今のような状況に置かれたとしても読んだかどうかは疑わしい。科学の奥にあるものの考え方や見方、哲学的な視点への興味なしには読むところまでいかなかったのではないだろうか。実際、この本をこちらに持ってこようという気にはならなかった。

そんな状況がフランスに来て少し余裕が出てきたためか、一変している。この手の本に対する感受性が非常に高くなってきたのだ。フランスということもあり、この分野の人のベルナールに対する関心は高い。必ず論じられる人になっている。日本のこの分野の状況を知らないので何とも言えないが、日本の科学者では誰がベルナールに当たるのだろうかと考えているが、まだ思いついていない。

今日、改めて Introduction à l'étude de la médecine expérimentale (1865) を手に取ってみたが、最初からよく入ってくる。今では当り前だろうが、医学は生理学、病理学、治療学からなり、これからはそれぞれが別々にあるのではなく相互に関連を持っていかなければならないという考えが述べられている。ただ、この本は江戸末期に出された本であることと考えると、驚かざるを得ない。彼の観察 l'observation と実験 l'expérience の定義は以下のようになっている。観察とは前もって考えることなく、あくまでも偶然に身を任せる受け身の行為であるのに対し、実験とはある考えを持って、意図してある現象の背後に潜む原因を探ろうとする能動的な行為であるとしている。

これを読みながら、さらに考えが進んでいた。それは、実験をすることなく科学に貢献することができるのだろうか、ということについてである。現在のような状況では実験をして新しい結果を導き出すことも、そこから仮説を出しさらに先に進むこともできない。そのような状況で科学に対して何ができるだろうかという問題になる。まだ漠然としており、それが実現可能かどうかもわからないが、ポジティブな貢献が可能な道筋はあると今の段階では考えている。

その方向性とは、哲学者の瞑想によるのではなく、すでに出されている実験データをもとに統合する作業を行い、新しいものの見方や概念を提唱することができないかというものである。最終的にそこから何かを導き出すことができないことになったにしても、この方向性しかやりようがないように見える。さらに重要なことは、この視点は現役の科学者にとっても有用なものではないかという点である。この視点こそ、哲学的視点と言ってもよいだろう。時間と自由を持っている人がやらなければならないのかもしれない。


jeudi 9 décembre 2010

あなたの分子は何を考えているか?


À quoi pensent vos molécules ? (Françoise Tibika)

今年出会った本のタイトルに「あなたの分子は何を考えているか?」というのがあった。不思議なタイトルだ。これはデジャヴュになる。日本で「蛋白質に精神はありますか?」と精神科の先生に質問されたことがあるからだ。その時の驚きは今でも忘れない。今に繋がるところに絡んでくるからだろう。科学絶対主義の立場から言えば、このような擬人法は論外ということになるのだろう。当時の私がそうであったように。

以下にこの本出てきたキーワードをほんの少しだけ挙げてみたい。

Alchimie
錬金術

Hermétisme
ヘルメス主義

Avicenne
イブン=スィーナー

Averroès
イブン=ルシュド

胡散臭い

Adriaen van Ostade


mercredi 8 décembre 2010

デカルトの人生 La vie de Descartes


ルネ・デカルトRené Descartes
(la Haye, 31 mars 1596 - Stockholm, 11 février 1650)


デカルトについて簡単な印象を書いていたことを思い出したので、以下に転載したい。

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物理学者、数学者にして最も知られたフランスの哲学者。数学に霊感を受けた理性、論理の力 (l'esprit cartésien) を明らかにした近代哲学の父。理性を中心に据えるこの男の底には、想像力、直感を重視するところもあった。その中味については、いずれ触れることにして、 今日は彼の人生を振り返ってみたい。

16世紀終わりにラ・エに生を受け、8歳から16歳までイエズス会の学校でよりよい人生を歩むために知への強い欲求を持ちながら勉学に励む。しかし、そこ で行われている哲学、科学に対しては失望と懐疑の念を抱き続ける。その中で、数学に対する興味と宗教への熱い思い、教会への敬意を覚える。

1618年 (デカルト22歳の時)、軍隊に入り、オランダ、デンマーク、ドイツに駐留。この間、論理学 (la logique)、幾何学 (la géométrie)、代数学 (l'algèbre) の統合を通して、すべての科学、すべての哲学の刷新を目指す。そして、1619年11月10日、3つの夢を見る。この神秘的な出来事を、自分の使命は哲学 に打ち込むことであると解釈し、軍隊を辞める。1620年から28年まで (24歳から32歳にあたる) ヨーロッパを広く旅し、偏見を捨て、経験を積み上げ、彼の方法論を深めた。

1628年、オランダに落ち着き、その後20年に渡って住まいを変えながら静寂の中で自らの哲学完成に全精力を傾ける。哲学者には孤独が必要なのだ (La philosophe a besoin de solitude)。彼の座右銘はラテン語で "Larvatus prodeo" (Je m'avance masqué) 「私は仮面をして前進する」。その大きな成果 「方法序説」 "Discours de la Méthode" が1637年に出版される。デカルト41歳の時である。

「方法序説」 の原題は、
"Discours de la méthode pour bien conduire sa raison, et chercher la verité dans les sciences"
『みずからの理性を正しく導き、諸科学における真理を探究するための方法序説』

となっており、屈折光学・気象学・幾何学 (La Dioptrique, Les Météores, La Géométrie) についての科学論文の序文として書かれたもの。当時の本として特異なところは、専門家向けのラテン語ではなくフランス語で書かれていることである。ごく普 通の人々に語り掛けたいという彼の意思を感じる。当時ガリレオが教会と衝突していた原因が、科学と宗教の間の誤解ではないかと考え、その和解を願うような ところがあったのかもしれない。

1641年 (45歳)、「省察」 "Méditations métaphysiques" (ラテン語からの直訳は、Méditations sur la philosophie première)、1644年 (48歳) には 「哲学原理」 (ラテン語からの訳は、Les Principes de la philosophie) を発表。この時期に、オランダに亡命していたボヘミアのエリザベート王女に出会い、文通を始める。この交流の中で自身の思想を深め、「情念論」 "Les Passions de l'âme" (1649年) にまとめる。



Descartes et la reine Christine



その名声がスウェーデン女王クリスチーヌの耳にも届き、1649年2月に招待される。躊躇した彼だが、9月にはスウェーデンに向かう。そこでは毎朝5時か ら女王にご進講。さらに、新しい環境、冬の厳しさ、知識人の嫉妬などで、その滞在は不愉快なものになった。そして翌年2月には風邪をこじらせ、肺炎により ストックホルムで亡くなる。享年53。

机に向かうだけの哲学者ではなく、世界中を旅し、心を開き、孤独の中で自らの思索を進め深めていった彼の生き方には惹かれるものを感じる。

(2007年1月21日記)
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lundi 6 décembre 2010

最前線に立つという感覚、あるいは拡大から深化へ



もう30年ほど前のことになる。7年に亘るアメリカでの研究生活を終え、日本に帰ってきた。その時に感じたことがある。それは日本ではあるモデルを見ながら進んでいるので、生きるのが楽な国だなというものであった。それは、意識していなかったが、アメリカでは目の前がワイド・オープンになっていると感じていたことを意味している。自分がいつも最前線に立っているという感覚である。そこではモデルなどはないので選択の幅が日本より広く、その選択のために個々人が思考しなければならない。人それぞれに自らを満たすために多様な生き方が生まれる社会と言ってもよいだろう。そのやり方に慣れていない場合には大変だが、この過程こそ社会にダイナミズムを生み、時に創造的な営みが行われる源泉になっているはずである。この感覚が日本に帰って消えていくのを感じていたことになる。考えないで済むという点で楽だと言ったが、別の言い方をすれば、視界が広がっていない予定調和の世界を進むという意味で足枷がかかっているようなものである。生きる上で心が躍らないのだ。

今日の日本は閉塞状況にあり、日本人から元気がなくなったと言われている。もし、あるモデルを見ながら一丸となって進む時に感じた昂揚感がなくなったところに原因を求め、あの昂揚感よ再び、と模索しているとすればあまり期待できないのではないだろうか。あの昂揚感ではなく別の昂揚感が必要になるような気がしている。それはそれぞれが見習うモデルのない最前線に立っているという感覚と、それ故自らが考えて進まなければ立ち行かなくなることを認識することから始まる。時に昂揚感とは対極の感情も招くことになるだろう。しかし、それは与えられたものではなく自らが選んだ結果になるので、それこそ生きている証として受け入れることができるのではないだろうか。その感覚を持ち、日々を新しく生きようとするなかで道は開けるような気がしている。どこかにあるモデルを見るのではなく、それぞれの内面と向き合いながら自らの考えを深めるような生活が広がれば、何かが変わるのではないだろうか。数の世界から質の世界へ、あるいは一方向の拡大ではなく多方面での深化。今フランスに生活して感じる落ち着きの基にはこのような生活態度があるように想像している。これからの日本にとって、一つのヒントがそこにありそうである。


dimanche 5 décembre 2010

バーナード・ウィリアムズさんによるデカルトの哲学




デカルト関連の資料を求めて彷徨っていた時、偶然にもこのインタビューに辿り着く。しばらくして、その主はあの方ではないかと思い当たり、確かめるとそうであった。イギリスの哲学者、バーナード・ウィリアムズさん(Bernard Williams, 21 September 1929 – 10 June 2003)。最近リブレリーで発見し、読んだ方になる。こちらの本である。

 The Sense of the Past: Essays in the History of Philosophy
 (2006, Princeton U Press)

動く姿は初めてであったので、デカルトの人生と哲学について最後までお話を伺うことにした。お相手はブライアン・マジーさん(Brian Magee, born 1930)。















vendredi 3 décembre 2010

この夏に感じたある違和感


Prof. David Baltimore (Caltech, USA) at Kobe (2010)


今年の夏、あの暑い夏、科学の現場に触れるとともに旧交を温めるため、神戸で開かれた国際免疫学会に参加した。その初日に基調講演があった。演者は当代随一と考えられているカリフォルニア工科大学のデビッド・ボルティモア氏。1938年3月生まれなので今年72歳。37歳でノーベル賞を受賞してから今日まで研究の第一線で活躍されている。その彼が基調講演をするということもあり、免疫学という学問について科学あるいは科学を超えた壮大な視野からの眺めが見れるのではないかと期待していた。しかし、お話は現在彼が取り組んでいる micro-RNA の免疫における役割について終始した。正直なところ、少し残念に感じた。そもそも科学者にはそこまで求められていない、むしろ科学の外の世界の話は避けるべきという暗黙の了解があるのかもしれない。若き現役の研究者として聞いていたとすれば、あの年齢まで創造的な活動を続けていることに感動したのかもしれない。しかし、今の感受性は大きく変わってきている。研究者としての活動はわかるが、それを超えたところからの話が出てこなければ満たされないものを感じるようになっている。自らが行っている営みについて、広い視点から分析を加えるという精神運動をそれぞれの科学者の中に見たいと思っているのかもしれない。師走の一日、この夏に感じた違和感を思い出し、書き留めることにした。


mercredi 1 décembre 2010

川出由己著 『生物記号論:主体性の生物学』 を読む



この本は私がこちらに来る前の2007年夏、人づてに著者から献呈していただいたものである。当時は移動の忙しい時期でもあり、また科学の中で生活してきた者にとってはその内容が理解しがたいこともあり、あとがきを読んだ後は本棚の奥に置かれたままになっていた。こちらで新しい領域をフランス語で学ぶという挑戦の日々で、日本語を読む時間も余裕もなかったというのが実態だろう。そのため、結局3年の間忘れていたことになる。

ドクターに入り生物現象を理論的に研究している人に興味が湧きいろいろ調べている時、生物記号論の学者もリストに入ってきた。その名前を見てもピンとこなかったが、次第に初めての人ではないような気がしてきた。そこで記憶を辿っていくと3年前に読んだあとがきのことが浮かび上がってきたのだ。確かめるために本棚から取り出して読んでみると、確かに同じ名前がそこにある。このような形で過去が蘇ってくる感覚は何とも言えないものがある。そこに人生の綾を見る思いがするからだろうか。

少し余裕ができたこともあり、以前には抵抗のあった本文にも目を通してみた。するとどうだろうか。まず、以前に感じた違和感はこの3年で薄れていることに気付いた。それはこの本を読む前に生物記号学に関する本や論文に少しだけ目を通していたため、説明の仕方が理解しやすくなっていたせいもあるだろう。それからこの3年の間科学哲学を学んできたという目に見えない効果もあるのかもしれない。今回の第一印象は、生物記号論の分野の現状や考え方をわかりやすく説明しようとした本である、ということになる。この分野に入るための良き入門書になるだろう。

生物記号論は科学では避けられている「意味」を持ち込んでいる。著者も現在の科学に対して批判的な視線を持っているため意味を強調しているようにも見える。この点をどう見るのかが最大の問題になるだろう。事実、この領域は科学とは言えないという批判があり、それに対して科学であろうとする記号論学者の考えを読んだこともある。3年前に感じた違和感もまさにこの点にあり、当時は拒否反応を示していた。著者は現在の生物学では受け入れられていない、例えば生気論アニミズムの立場を採ると看做されても異議は唱えないと書いている。科学の中で隆盛を極める還元主義、物質主義だけでは生命を理解することは不可能であるという信念がそこに見て取れる。著者の主張に同意するか否かではなく、以前は視界の外にあったこのような考えの持ち主を認めることができるという感覚が私の中に生まれている。

将来とも生物記号論が生物学に取って代わることはないだろう。この領域は飽くまでも科学を含めた異なる分野が融合する形で生命現象を解析するものだからである。ただそれ故、この領域をプラットホームとして生命現象を語り、解釈し、見直す機会が生まれることになれば、いずれ生物学の現場に実質的な影響を及ぼすことができるかもしれない。そのためには、分野横断的・融合的な領域に参加する科学者が増え、相互の接触が深いものになる必要がある。それぞれの分野に閉じ籠っている学者の皆さんがその殻から抜け出し、異文化に触れる勇気と活力を持つ時、何かが動き出すような気がしている。


dimanche 28 novembre 2010

記号学の現状を聴く La sémiotique : un état des lieux



La sémiotique : un état des lieux
Entretien avec Paul BOUISSAC

記号学の現状について、トロント大学ポール・ブイサックさんの意見を聴く。
2005年11月のインタビューになる。


samedi 27 novembre 2010

篠遠喜人著 『十五人の生物學者』 を読む ― 戦前の科学の雰囲気を垣間見る


篠遠喜人著 『十五人の生物學者』 (河出書房、昭和十六年七月、1圓20錢)


日本の実家の本棚から失礼してきたこの本に目を通す。
ここで取り上げられている科学者は、本書の表記で以下の15人になる。

 ヒッポクラテス (紀元前460―377)
 アリストテレス (紀元前384―322)
 テオフラストス (紀元前371―287)
 ディオスコリデス (40―90)
 アルドロヴァンディ (1522―1605)
 ヴェザリウス (1514―1564)
 ハーヴィー (1578―1659)
 リンネ (1707―1778)
 小野蘭山 (1729―1810)
 宇田川榕菴 (1798―1846)
 ラマルク (1744―1829)
 ブラウン (1773-1858)
 ダーウィン (1809―1882)
 メンデル (1822-1884)
 ベイツソン (1861―1926)


この中にハッとする小さな記述が見つかった。

「メンデルは先生としては最も適任で、明朗快活で進歩的であつた。今言うところの科學精神のよくわかった人であつたらしい」

この本が出版されたのは昭和16年だが、当時「科學精神」なるものが論じられていたことを知り驚く。また、科学史に対する関心の高さを示すところがあり驚く。同時に、それが時代の空気に浮かれている可能性がないか心配もしている。現在の状況を把握しているわけではないので比較はできないが、興味深く読んだ。

「わが國における科學史の研究の熱はこのごろ非常に高まり、科學史の名をもつ本があとからあとからと生れる。これはわが國の科學の發達にとつてまことにけつこうなことである。どうかこれが、單なるうわべの熱でなく、ほんとの科學史の研究が日本においても進むことを願うのである。新しい科學史の要求するものの一つは、それぞれの學問をうんだ歴史的な社會的な環境を分析し、そこにあるいろいろな條件の互のつらなりをさぐり、發見發明の基礎、理論發展の過程と限界とを理解することである。ダーウィンはそうした立場からも研究され、人文發達史上の代表者とされて居るのである」


mercredi 24 novembre 2010

Yair Neuman著 "Reviving the Living" を読む (2)

 

プロローグ

1.ここで扱われる知は、生物学や意味論の他に、免疫学、哲学、物理学、数学などの幅広い領域に及ぶ。この本が想定している読者は、専門家というよりは生物系に対する新しいアプローチを受容しようとする教養ある読者である。

2.この本のスタイルは、インフォーマルで省察や瞑想を取り入れ、時に挑発的でもある。所謂、学問的な論文とは異なり、思索を刺激し、楽しみながら読めるようにしている。

3.人文科学の伝統は、過去の学者の考えを研究することに明け暮れるもので、一種の死体愛(necrophilia)である。もちろん、過去の研究は重要な営 みではあるが、退屈なもので、科学が哲学なしに発展した理由にもなっている。科学が前を向いているのに対し、哲学は後ろを向いている。一つの原因は「対 話」だが、解は死体からは得られない。スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek,1949-) が言ったように、偉大な哲学者は対話ではなく、この世界について独自の見方を提出することに興味を示す。ソクラテスはアゴラに出て、生きた人間から現在の 問題についての解を得ようとした。哲学の研究を過去の分析にするのではなく、今ここにある問題に対峙して、前に向けた視点を提示することに充てるべきだと 考えている。

4. 学際性は評判が悪いことがある。それは異なる分野の成果を摘み取りしてごった煮にする例があるからだ。残念ながら、膨大な知を持った人間だが、昔よりも脳 機能が進化したり、道徳的行動が増えることはないように見える。われわれの脳が増大する情報に対応できなくなっているのである。そのため、どんどん小さな 領域に入り込み、全体としてのシステムという視点が失われることになる。

例えば、全身麻酔時に無意識に感じる痛みは免疫系を介するという仮説を出したことがあるが、麻酔医は免疫学の論文は読まないし、免疫学者も麻酔学には興味を 持っていない。そのため興味深い仮説も注目を集めることがない。他の例として、術後に見られる腸癒着がある。この現象の解決にも多様な視点が必要になる。 ポーランドの映画監督クシシュトフ・キェシロフスキ(Krzysztof Kieślowski, 1941-1996)氏は、有能な監督になるためには心理分析、神学、哲学などの他、人間の経験を理解するために必要となる分野について学ばなければなら ないと言っている。これらについて無知なわれわれに残されたものは、直観だけなのだろうか。

ベルグソンは『思想と動くもの』の中で、直観についてこう言っている。
「絶 対的なものは直観によってしか与えられないが、それ以外のものは分析による。ここで直観というのは、対象の中にある特異で、それ故表現し得ないものと一致 するためにその中に入り込む共感のことである。反対に、分析とは対象をすでに分かっている要素へと還元する操作のことである」
分析的手法や還元主義を用いる科学は、直観とは対極にあることがわかる。しかし、科学においても直観の果たす役割は否定できない。それではどのようにして全 体の感触を得ることができるのか。一つは鳥の目を以って全体を見渡すために、ノマドのように異なる領域を歩き回ることの重要性を認識することである。これ はわたしの発見ではなく、フラクタルの父といわれるブノワ・マンデルブロ(Benoît Mandelbrot, 1924-2010)博士が言っていることでもある。
「確立された学問の知的繁栄には、好き好んでノマドになった稀な学者が必須になる」
その代表例として、グレゴリー・ベートソン(Gregory Bateson, 1904-1980)を挙げることができるだろう。

5.人間は習慣の動物である。習慣は新しい出来事を古い眼鏡で見る危険性を内包している。この本では情報処理の視点から生物学に迫る時に無視しがちな意味についての論を展開している。さらに、生物をチューリングマシンとして見て、相互作用を無視する考え方を批判している。つまり、ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky, 1928-)、アラン・チューリング(Alan Turing, 1912-1954)、クロード・シャノン(Claude Shannon, 1916-2001)、フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure, 1857-1913)等を批判し、ミハイル・バフチン(Mikhail Bakhtin, 1895-1975)、ベートソン、ヴァレンティン・ヴォロシノフ(Valentin Voloshinov, 1895–1936)、ジャン・ピアジェ(Jean Piaget, 1896-1980)、カール・ポランニー(Karl Polanyi, 1886-1964)、チャールズ・サンダース・パース(Charles Sanders Peirce, 1839-1914)などの伝統を引き継ぐことになる。これらの学者は生気論の信奉者ではなく、ここでも新生気論を排除する。生物の階層の間に生まれる意 味の形成を重視する。そのため、polysemy、dual coding、boundary conditions、 transgradience、mesoscopic などの新語を導入する。どうか、既存の眼鏡では見ないようにお願いしたい。

6. 本書の構成。第1部では還元主義とその限界について、遺伝学と免疫学を例に論じる。第2部は意味の形成について、言語研究の3分野(syntax、 semantics、pragmatics)を関連付けて論じる。第3部では意味の形成を根源的な視点から論じる。第4部と結論部では高度に抽象的で詩的 な視点から意味の形成について省察する。

7.Cat-logues の部分は、想像の猫バンバとの会話で、この本のテーマをユーモラスで批判的に省察するためのものである。 




mardi 23 novembre 2010

Yair Neuman著 "Reviving the Living" を読む (1)



生物意味論(biosemiotics)について読んでいる時に免疫系についても触れている本として現れた。本の説明によると、グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson, 1904-1980)、ミハイル・バフチン(Mikhail Bakhtin, 1895-1975)、マイケル・ポランニー(Michael Polanyi, 1891-1976)らの系列に入る仕事になるという。著者が嫌っている一つの専門に閉じ籠った仕事ではなく、シリーズの名前にもあるように異なる領域を 跨ぐ思考を行い、生物系における意味の形成について論じたいようだ。それは二つの極のバランスを如何に取るのかという論理に絡んでくる。秩序と不秩序、過 去と現在、抽象と具象、静的と動的の間にある論理である。

緒言では、現在行われている還元主義に基づく生物系の理解の仕方に対する不満が述べられている。もちろん、生物学や言語学における進歩を否定するものではな いが、生物は細胞の寄せ集めではない。全体は部分の相互作用だけではなく、環境との相互作用によりそこにある。言語はそれを使う人から成るコミュニティが なければ存在しないように、遺伝子も単独で取り出してしまうと意味を失う。コンテクストが重要になるのだ。その語源はラテン語の contexere で、編み合わせるという意味である。コンテクストを理解すること、それは「もの・こと」が織り合わされネットワークを作る様を理解することである。この本の目的は、遺伝子中心の還元主義の下で死んでしまった生物を蘇らせることである。

そのために取るべき道はあるのだろうか。それは非科学的なところに逃げ込むのではなく、複雑科学へ進むのでもない。新しい道へのヒントをバフチンの次の言葉から得ている。
「構成部分が外的な繋がりで時空間において単に結合しているだけで、統一された内的意味を持たない時、一つの全体は機械的であるという」
つまり、生物のような機械的でないものは、必然的に一つの意味を創り出すものであることを意味している。生物の全体を理解しようとする時、「意味」は鍵になる概念なのだろうか。 この疑問に肯定的に答えようとするのが本書である。

これまで次のような仕事はされているが、この本で扱うような意味での「意味」は主要なテーマにはなっていない。

Jesper Hoffmeyer, Signs of Meaning in the Universe (1997)
Anton Markos, Readers of the Book of Life (2002)
Marcello Barbieri, The Organic Codes (2003)

そして、「意味」は科学から完全に排除されている。現代生物学において中心的な位置を占めるのは遺伝子と情報になるが、クロード・シャノン(Claude Elwood Shannon, 1916-2001)の情報理論からも「意味」は排除されている。

本書では、遺伝学、免疫システム、自然言語を例に取り、生物系は意味を創り出すシステムであることとその視点の有用性について論じるという。これから読み進めてみたい。




lundi 22 novembre 2010

チャード・ルウォンティン 「三重らせん」 を読む "Triple Helix" by Richard Lewontin



今年の春に読んだこの本を振り返ってみたい。 Richard Lewontin の "The Triple Helix" 「三重らせん」を振り返ってみたい。著者のチャード・ルウォンティンさんスティーヴン・ジェイ・グールドさんと共著で 「サンマルコ大聖堂のスパンドレルとパングロス風パラダイム:適応主義者のプログラムの批判」(Proc. R. Soc. Lond. B 205, 581-598, 1979) という進化生物学の有名な論文を書いている。この論文は適応主義万能の考えを徹底的に批判したもので、この世界は可能な限りの最善な状態にあると言い張る善良なパングロス博士(ヴォルテールのカンディードに出てくる)の論理の批判とも通じるため、論文のタイトルに使われている。

パングロスの立場は、鼻は眼鏡をするために、足はズボンをはくためにあるだと考えるもので、適応主義者は今あるものすべてに本来の役割があるはずだと考える。しかし、ルウォンティンさんはベニスにあるサンマルコ大聖堂の穹隅を例に取り、穹隅は丸天井を造る時にアーチにより結ばれる柱の上にできるもので、それ自体に本来の役割があるわけではないのと同様に、すべてのものに本来の役割があると考える立場を批判した。

ところで、 「三重らせん」 では遺伝子、生物、環境のそれぞれの関連がテーマになっている。生物のあり様は遺伝子だけではなく、その環境により決められている。同様に、それまで独立してあると考えられていた環境も、その中に存在する生物の影響を受けていることなどが書かれてある。細胞や臓器、ひいては生物の個体を決めているのは生まれつき持っている遺伝子だとする遺伝子絶対主義があるが、後天的に環境の変化により遺伝子が化学的修飾を受けることによっても生物のあり様が変化する。このエピジェネティクスと言われる機構の関与が強調されている。少し幅広く生物現象を見ようとする視点がそこにある。

17世紀に起源を持つ還元主義の成功を未だに引き摺っている現代科学だが、その成果から考えると致し方ないところもある。ここでは個々の部分に分けて解析するが、部分と言うからにはそれを取りだした全体があるはずである。そこで問題になるのが、どのレベルをそれぞれの全体にするのかという点になる。その選び方により、全体像が変わってくる可能性がある。そもそも全体に分割可能な線が引かれているわけではない。例えば、臓器別に考える場合でも臓器間には目には見えない繋がりがあるはずである。この問題は生物だけではなく、学問をどう見るのかを考える時にも大切になるだろう。部分の切り取り方により、学問全体の見え方が変わってくることが予想され、普段あまり意識されていないが、考え始めると大きな問題になる。

この本の中に興味深い話が出ていた。それは原因(cause)と "agency" (何かが起こるために及ぼされる作用のようなものか) との違いに関わるもので、医学においてその混同が著しいと言っている。その例として、人間の死因が取り上げられている。死因の必要条件と十分条件について、こう書いている。人の死因としてがんや心臓病などがあるが、がんや心臓病に罹ったからと言って必ずしも死を意味しない。逆に病気がないからと言って永遠に生きるわけでもない。病気を治し、根絶することを目指している医学だが、人は死から免れることはできない。せいぜい少しだけ命が延びるだけだ。もしそうであれば、これらの病気は agency とでも言うべきもので、死の真の原因は体を構成する成分の摩耗など、病気とは別にあるのではないかと考えている。

19世紀のヨーロッパでは感染症が人の命を奪っていた。死因は感染症だったと言われている。今では当時のように感染症で亡くなる人は減っているが、これは医学の進歩のせいだろうかと問い掛ける。病原体が分かったからだろうか。しかし、ロベルト・コッホが病気は病原体によると発表した後でも感染症で亡くなる人は減っていない。抗生物質のせいだろうか。そうではなさそうだ。なぜなら、第二次大戦後に本格的に抗生物質が使用される前に感染症は90%以上減少していたからである。それでは公衆衛生状況の改善だろうか。しかし、ほとんどが空気感染であることを考えると、必ずしも当たっていないだろう。

それでは19世紀の人の死因は何だったのか。それはいかなる医学的な努力も叶わなかったもの、すなわち、社会的な要因であった。19世紀から20世紀にかけて見られた賃金の上昇、栄養状態の改善、さらに労働時間の短縮により、人々は死ななくなった。十分な栄養と休息を取り、ストレスの少ない生活環境が感染症によるとされる死を減少させたと考えている。すなわち、感染症は死因ではなく、単なる "agency" にしか過ぎなかったと結論している。19世紀のヨーロッパの死因であった栄養障害と過剰労働は今でも第三世界の死因として生きている。agency だけではなく、真の原因を探すことが人間の条件を改善する上で大切であるというメッセージを送っているように見える。


dimanche 21 novembre 2010

基本に返ること、そして鈴木大拙的努力



"
L’Homme qui marche I"
Alberto Giacometti (1901-1966)


先日の「世界哲学デー」で挨拶に立ったフランス国民教育相のリュック・シャテルさんは、演壇の横にあったジャコメッティの「歩く男」の像を示しながら次のようなことを話していた。

「この像は人間の弱さを表していると言われますが、人間が歩くという姿は道行き、旅そのものである哲学の姿と重なるのではないでしょうか」

彼の下にある国民教育省が理性と伝統に基づいて考え抜いた末、これからのフランスをより強いものにするために哲学教育を充実をすることを決めたことについては前回触れた。新しいことを実行するまでの過程をごく当たり前にこなしている様を見て、頭の中がすっきりするのを感じていた。翻って日本の状況を見るとどうだろうか。同質のことが行われているかと問われれば、悲観的にならざるを得ない。明治以降、西欧のやり方を積極的に取り入れて今日の日本になったが、肝心の精神の運動まで消化吸収する余裕はなかった。そのつけは大きく、未だに尾を引いているように見える。確かに、日本や東洋には独自の文化があり、西洋式のやり方をそのまま取り入れるのは問題だという意見もあるだろう。しかし、この機会に考え直してみたい。

まず彼らが哲学教育の基本に据えた三本柱は以下の通りだ。

1)言葉を正確に使うこと(これは語彙だけではなく、構文も含む)
2)人類の偉大な遺産を読み込むこと
3)論理的な思考と討論に習熟すること

この中の言葉を正確に使って考えるということはどのように捉えられているだろうか。日本文化には言葉では説明できないことがあり、それがよいところだという考え方もある。しかし、譬えそうだとしてもそこで止まっていてよいだろうか。まずその日本特有の状況を表現しようとすることがなければ相互理解は難しいだろう。外に開くという時、単に物が行き来すればよいというのではなく、そこで行われている精神活動が外に開かれることがなければ未開の国と変わらない。そこを訪れた外国人がその状況を相対化して紹介するというこれまでと変わらない状態が続くことになるだろう。外から見ていると、このことがより強調されてくる。日本の、そして東洋の精神を西洋の理性の枠組みに置き換えて説明しようとした鈴木大拙的な努力はこれまで以上に求められるだろう。この点についての認識が政治家にも専門家にも乏しいように見える。例えば、文系の世界に入って気付いたことに研究成果の多くが日本語で発表されていることがある。譬えそれが日本特有の問題であれ、外国語で発表するという了解がされていないように見える。まだ経験が浅いので正確な観察ではないかもしれないが、、

この問題の解決は最終的には教育になるのだろう。われわれの社会をどのような方向に持って行くのかを決める時、真に自由で開かれた精神による論理的な討論を行う必要がある。そのためにはフランスも力を入れるという訓練が求められるだろう。外に開くというとすぐに小学校から英語を、となるが、英語を求めるのはむしろ専門家に対してではないだろうか。そして、言葉とともに精神を磨くことがその基礎に据えられなければないはずである。この重要性に気付き、それを現実のものにする歩みを始めなければ、これからの一世紀も日本は埋もれたままでいるような気がする。



この週末、暇にまかせて日本記者クラブで行われた講演会を見てみた(こちらから)。演者はオランダのジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレンさん。彼の本では「人間を幸福にしない日本というシステム」(1994年)というのを出たばかりの頃に読み、頭の中がすっきりした記憶がある。

彼(ら)の話を聞くと、なぜすっきり感が襲うのだろうか。ひとつには、そこに大きな枠組みのようなものがあり、その中にいろいろな現象が位置付けられているように見えることが挙げられる。それと日本のメディアに接しているだけでは伝わってこない事実や視点が示され、現実を見る目に曇りがないように見えることも大きいだろう。その態度にはものごとを少し離れて見た後に自らの頭で考えようとする哲学的なところが見て取れる。また、日本のジャーナリストには感じることのない independent mind も見ることができる。

なぜ日本のマスメディアはこの基本的なことができないのだろうか。その大きな問題は、何が事実なのかを最初に徹底的に明らかにしなければならないという意識が希薄なこと、それからその事実をどのように見るのかという広く言えば世界観が確立されていない、あるいはその視界が狭いことがあるような気がしている。科学の経験があれば、最初のデータを集める段階が重要で、それが信頼できるものかどうか、それをどう解釈するかがその後を決めることになるのは自明のことである。しかし、それが文系の世界、日常のレベルでは行われていないように見える。ここで言うところの科学精神の欠如の一つの現れになる。それを理解していないのか、それはさておき自らの役割はある考えを進めるために動くことだとでも考えてやってきたための習い性なのか。理性的で論理的な判断が可能になるのは、現実がどういうものなのかが炙り出されていることが条件になる。この当たり前のことがなぜできないのか、不思議である。それができた上で初めて冷静で創造的な議論が始まらなければならない。政治は理論ではない、現実は理論通りに動かない、と言うのはこれらができた後の話になるだろう。道は長く険しく見えるが、今やるべきことは当たり前の至極単純なことのはずである。





samedi 20 novembre 2010

フランスにおける哲学教育の一断面



先日のこと。街で見た講演会のポスターにあった演者 Fernand Schwarz さんのページを調べている時、「哲学デー」なるものがこの世にあることを知ることになった。さらに調べを進めると、何とその翌日の11月18日が「世界哲学デー」だという。

 "La Journée mondiale de la philosophie"

今年は「国際文化和解年」にもなっていて、「世界哲学デー」が合流した。文化和解年というのも初めて聞く名前だ。

 "L'Année internationale du rapprochement des cultures"

世界哲学デーはユネスコ主催で、2002年から毎年11月に開かれていたことを知る。今年は世界80ヵ国でいろいろな行事が行われる予定で、38ヵ国の状況はこちらから。アジアではタイ、パキスタン、バングラデシュ、インド、カンボジア、タジキスタン、アゼルバイジャンが参加。残念ながら日本は入っていない。道理でグーグル検索でも「世界哲学デー」が現れないわけである。哲学や文化和解への日本の感度はかなり低くそうである。

ユネスコ本部でのプログラムを見てみると、結構充実している。
例えば、こんなシンポジウムがある。

 「女性哲学者と『政治的に正しい』こと」
 「問われる文明の概念:知的、文化的、政治的問題点」
 「理性とその戦い―啓蒙主義、近代の合理主義、革命、昨日今日」
 「普遍性と多様性を問う」
 「人間の条件を再考する―グスタヴ・ギヨームジャン・ピアジェへのオマージュ」
 「教育の哲学―哲学の教育:知識の伝達から能力の育成へ」
 「ムハンマド・イクバールの著作―人間実現の一提案」
 「アル・ファーラービー:異文化間の啓蒙思想家」
 「哲学、文化の多様性、文化の和解」

それから「新しい哲学の実践」というセッションがある。
 "NPP : Nouvelles Pratiques Philosophiques"
これは哲学教育の実際的な問題を扱うもので、テーマが興味深い。
昨日、今日の二日の予定で、次のような出しものがある。

 「哲学と魂の手入れ」
 「哲学的実践と市民の問題」
 「哲学的議論の教育実践」
 「子供のための哲学プロジェクト」
 「教師が哲学する時」
 「道徳のジレンマの実際」
 「NPPの今日的意義」
 「この問題をどう理解するか」
 「小学校と専門課程における哲学教育」
 「学校から都市へ:哲学を広めよう!」
 「マネジメント側への言葉」

プログラムの詳細はこちらから。




オープニング・セレモニーは予定時間から20分ほど遅れて始まった。挨拶をするユネスコ事務総長のイリナ・ボコヴァさんとフランス国民教育相のリュック・シャテルさんは来ているのだが、会場にいる関連した方々とゆったりと挨拶を交わしてからであった。このゆったり感は社交と成熟が根を下ろしていることを感じさせ、悪くない。また、所謂偉い人もわれわれと同じ平面にいて交わるので、権威主義的なところや仰々しさがないのもよい。ブルガリア出身のイリナさんは初めはフランス語で、その後に英語で要約をしていた。いずれも彼女にとっては外国語だが、そのメッセージは非常にクリアなものであった。

ユネスコの使命は、教育、文化、科学、そしてコミュニケーションの分野において自由な熟考(la réflexion libre)と対話を促進することであるという。この "réflexion" だが、私がフランス語を始めて強く反応した言葉の一つになる。日本語訳は難しいが、あることを考える時にその思考を自分自身にも向け直し、それによって自らの考えを深めることである。熟考、考察、反省と訳してもこの精神の運動が伝わってこない。

さて、この使命を実現するためには批判的な精神と相互理解を通して人間の精神をより強靭なものにしなければならないが、すべての基礎には哲学があると考えている。哲学には時間と空間を跨ぐ豊かさと多様性があり、複雑な現代において何が現実であるのかを分析する能力を高める時にもその豊かさが有効になるだろう。ユネスコは正義と平和のために、これまでにも増して教育の質を高め、それぞれの考えを評価し、豊かにする環境を整えなければならない。開かれた場での自由な討論などは特に重要になる。哲学はわれわれの時代の要請であり、そこから新しいヒューマニズム(un nouvel humanisme)を構築することが彼女自身の重要な方針になっている。




リュック・シャテルさんのお話も言葉がしっかりしていて、引用が広範、しかもそれが消化されているので聞いていて気持ちがよくなる。日本では味わえない時間でもある。彼の論点も基本的にはイリナさんと同じだが、当然のことながらフランス国内での教育に対する向き合い方が中心で、まずよい教育とは何かを考え、それに向けての処方箋が語られていた。ここで感じたことは、人間が持つべき基本的な考え方(規範)や抽象的な概念を教えることが大切であると考えている点である。例えば、市民の権利、自由、平等、社会、権力の独立、他者の理解、思想・表現の自由、などなど。このような基本が身に付いた人間をつくることを目指していることが見えてきた。そのために哲学教育の改革と充実をするという。その柱として次の3つを挙げていた。

1)言葉を正確に使うこと(これは語彙だけではなく、文章の構成法も含む)
2)人類の偉大な遺産を読み込むこと
3)論理的な思考と討論に習熟すること

全国の高校では哲学をこれまでの3年だけから1-2年目まで広げる実験的な教育もされているようで、そこでのポイントは学際性になる。哲学教師だけではなく、科学、文学、社会科学の教師も同時に参加させること。そして、この世界に自らを開き、多様な文化と共有の概念を理解し、最終的には偏見を乗り越えることを目指すようだ。人間如何に生きるべきかを考える時、「今、ここ」から距離を取り、哲学することが求められる。このことを国を挙げて実践しようとする、まさに哲学の国フランスの教育相に相応しい挨拶であった。




帰宅してラジオをつけると、リュックさんがこの方針を出したこと、それから子供が委縮しないようにするために小学校で成績を付けるのを止めることにしたというニュースが流れていた。理性的、理論的に考え、その結果出てきたことを行動に移すというごく当たり前のことが動いているのを見ることになった。この前段がないところには後段もないだろうし、その結果から学ぶこともないだろう。少し前に別ブログで指摘した科学精神を徹底することの大切さと繋がるフランスの試みであり、日本も学ぶべきところが多いように感じていた。

科学精神を徹底し、内なるエネルギーを立ち上げる 」(15 novembre 2010)


vendredi 19 novembre 2010

何もしていないように見えるが、デフォルト・モード・ネットワーク DMN: Default Mode Network



今年2月のScientific Americanの記事を振り返ってみたい。米国セントルイスにあるワシントン大学の Marcus Raichle 博士による "The Brain's Dark Energy"(脳のダークエネルギー)というエッセイになる。これは宇宙に存在するエネルギーのかなりの部分がよくわかっておらず、ダークエネルギーと呼ばれていることに因んでの命名らしい。

結論を大雑把に言ってしまうと、次のようになるだろうか。われわれの脳は意識して何かをしていない時にも活動していて、意識している時の20倍ものエネルギーを消費している。このベースラインの活動を示す領域はデフォルト・モード・ネットワーク (default mode network: DMN) と名付けられ、記憶に関与したり、将来の出来事への準備に関わっている。さらに、アルツハイマー病、うつ病、自閉症、また統合失調症において、DMN と重なる領域に異常が見られることから、DMNの異常と病気が結びつく可能性も示唆されている。

1929年にドイツの精神科医ハンス・ベルガー (Hans Berger; May 21, 1873 – June 1, 1941) が脳波を初めて報告した時に、われわれの脳は目覚めて何かをしている時だけではなく、常に相当の活動していることを指摘しているが、長い間無視されてきた。しかし、1970年代後半にポジトロン断層法 (PET: positron emission tomography) が、また1992年には fMRI (functional magnetic resonance imaging) が導入され、脳の活動が代謝活動や血流量の変化として観察できるようになってきた。このような検査では、調べたい現象がよりはっきりわかるようにコント ロールとなる条件での活動をノイズとして差し引くことが行われる。そのためベースラインの活動に注意が行かなかったのはよく理解できる。

しかし、Marcus Raichle 博士のグループはコントロールの条件で活動している脳の部位を興味を持って研究していた。よく調べると、コントロールの条件で脳の全エネルギーの60-80%が消費されているのに対し、テスト時のエネルギー消費の増加は5%以下にしか過ぎないという。さらに、視覚を例に取ると、網膜で受けた情報量を100万とすると、視神経から運ばれる時には600に激減し、視覚野と呼ばれる脳の担当領域に到達した時には最初の100万分の1 になっていることが明らかになった。この結果から、脳が外界の情報を受け取るためには視覚に関係する以外の領域が働いているのではないかと彼らは考えた。

その後の研究でテスト時に活動が上がるだけではなく、減少する場所もあることも明らかになり論文を投稿したが、掲載を拒絶されたエピソードも紹介されている。現在のところ、下の図で紫の部位がDMNとして認められている。




これらの領域が意識の根本に迫るヒントを与えてくれるのではないかという期待がある。また、DMNについての国際共同研究が進行中で、2008年の報告によるとコンピュータでのテストをする前にDMNを観察していると、テスト30秒前にはその人が間違いを犯すかどうかがわかるという。これから起こる状況に対応するためにはある準備がされなければならないが、その準備状況がDMNに現れているというのだろうか。さらに、アルツハイマー病で異常を示す領域がDMNとよく一致することから、DMNの病気として捉えられる日が来るかもしれない。まだ新しい分野のようで、すべての現象を説明できる理論の確立を求めて終わっている。これからの進展に注目 したい。

ところで、日頃から行っている瞑想だが、私の場合には起きているとも眠っているとも言えない怠惰な状態に入りたい時にそう称しているに過ぎない。これは一体DMNの活動によい効果を及ぼしているのだろうか。その時が来ないと結論は出ないのだろうが興味が湧いている。

mercredi 17 novembre 2010

科学精神を徹底し、内なるエネルギーを立ち上げる



遠くから日本を見るようになり、これまで感じていたことが益々鮮明になってくる。それは、日常的な行動の中に科学精神が見られないこと、しかもそのことを批判的に指摘する視線がないことである。つまり、理論的、理性的に考え、行動することが日本では行われていないように見えることだ。物事は理屈ではない、とよく言われてきたが、それは結果であって、最初から理性や理論を基にした思考を否定るするものではないし、そうであってはならないだろう。

まず徹底的に理性と理論を用いること、その上で最善の解を引き出すことだ。その後で初めて、それ以外の要素を入れて考え直すことでなければならないだろう。どんなことに出会っても最初のところに霞がかかって全く見えない状態であれば、ただ流れに任せるだけになり、最早何をやっても学び取ることのないままに終わるだろう。最初に何かがなければならないのである。

ここで改めて、徹底的に科学精神を使うことの重要性を強調したい。そこでは多くの学問が活かされなければならないだろう。まず専門家が出てきて自由闊達な議論を尽くさなければならないだろう。すべてはそれから始まるべきである。その上で付け加えたいのは、使われる理の底には溌剌とした生の躍動がなければならないということである。科学精神を推し進める根には内なるエネルギーの迸りがなければならないということである。


lundi 15 novembre 2010

梅原猛編 「脳死は、死ではない。」、そしてこの生の価値


梅原猛編 「
脳死は、死ではない。」 (1992年)


この話題は当時横目で見ていて、少数意見が併記された異例の政府臨調報告になったことを覚えている程度だった。この本には、その少数意見を出した方々が集まり対談した内容と梅原氏の講演、最後に臨調の報告書が添えられている。古本だったので、おまけに当時の新聞切り抜きがいくつか挟まっていた。このお話を読みながら、いろいろな思いが巡っていた。

彼ら少数派はどうしても脳死は人の死とは認められないとし、臓器移植推進派と激しく渡り合った様子が語られている。結論から言うと、この臨調はあくまでも臓器移植を進めるために必要だった儀式ではなかったのかという疑い(よりは確信に近いもの)が梅原氏の中に生まれる。脳死を死として臓器の確保を容易にしようとする動きだったと結論している。その過程で、彼ら少数派は臓器移植とは一体どういうことなのか、死をどのように捉えればよいのかという根本的な、言ってみれば哲学的な問を仕掛けるが、医学の側を含む推進派はそれを無視することが多かった。それは医の側が医学を取り巻く根本的な問題をほとんど考えてこなかったからではではないかと疑っている。この点に関して言えば、医学にはこのような問題を考える能力がないので、医学教育の中に哲学、倫理、その他の全人的な要素を取り込む必要があると主張している人もいたが、全く同感である。

それと同質の出来事を思い出す。それはもう15年ほど前になるだろうか。がんの根治療法の是非について慶応大学の近藤誠氏とがん外科医との間で激しく行われた討論のことである。近藤医師は「患者よ、がんと闘うな」などの著書でもわかるように、がんになった後の根治治療には否定的で、亡くなるまでの間の生活の質を大切にする立場をとっている。同じような考えを持っている医者もいたとは思うが、はっきりとした形で発言したのは彼が最初ではないだろうか。いずれにせよ、根治療法を主張する側の論拠は、がんの治療法は手術と放射線と薬であり、患者を見つけたらがんを徹底的にやつけるのが医者の務めだというもので、あくまでも自らの専門の枠内での論理に終始していた。がん治療をより広いコンテクストに入れて考えることができず、自らの考えの中にないものは拒否するだけの苦しい議論になっていた。

脳死の場合もこれと同様に、自らの領域に閉じ籠り、その中の考えを当然のものとして受け止め、それを理解できないのは科学的でないとして退けるという態度に徹していた。自らの営みから出て、自らの頭で考えるという哲学的態度が欠如している証左だろう。これは医学の領域に限らず、あらゆるところに見られる現象ではないだろうか。哲学が可能になる条件として、個人の自立・自律が必要になる。これができていないとどうしても身内の論理に無批判に従うことになり、しかもそのことにさえ気付かなくなる。ルドヴィク・フレックの言う Denkkollective (ある考え方を共有した研究者の集団で、しばしば集団が内に閉じている) の中に安住し、そのために過ちを犯す可能性が出てくる。これは常に注意しておかなければならない点だろう。

日本の審議会は議論をするための場ではなく、指名を受けた専門家が全会一致の了承をするためにありがたく出向くところになっている(可能性がある)。ある脳死臨調委員は少数意見を述べるのに勇気を要したと書いている。日本の一級のインテリとされる方の発言である。本当に自立・自律が問われているようだ。

ここで何度も繰り返しているが、哲学は役に立つのかという問をいつまでも出している段階ではないだろう。それはわれわれの生活に必要不可欠なもので、多くの方がそれを実践しなければならないはずのものである。その欠如が多くの問題を生み出しているように私には見える。脳死の議論を読みながら、ここにもその一例があるのを見る思いであった。

ところで、肝心の梅原氏の主張で気になるところがあった。それは、脳死は人の死ではないとしながらも、臓器移植によってしか助からない人がいて、自らの意志で臓器提供をする人が現れた場合、それを認めると考えている。あれほど強硬に主張した前段を覆して、死 んでいない人からの臓器提供を認めることになる。この本には五木寛之氏と梅原氏との対談が載っているが、その中で五木氏は梅原氏の態度を批判しているように見える。五木氏の態度は、人間は結局のところ病気には勝てないので、老いを認め、病を認め、死を迎え入れる思想が必要になると考えている。一つの病気がなくなっても他の病気が出てきて、人間は常に病気と共にあることになる。それぞれの病気の消長はあるが、病気の総数は変わらないという説もある。五木氏はその事実を受け入れた哲学が必要になると考えている。当然移植なども拒否する立場だろう。五木氏が悲観主義と言うこちらの考えの方が矛盾が少ないように見える。生と死を巡る永遠の哲学に向かわなければならないのだろう。この生に横たわる多くの基本的な問について真に哲学することなく終わるのは、生の価値を十全に活かし切っていないように見える。


vendredi 12 novembre 2010

創造を完成させる瞑想



鳥の鳴き声が聞こえ始めたのでシャッターを開ける
陽の光が見えない完全な水墨画の世界
雲が足早に東へ流れてゆく
朝の鳥たちの鳴き声はよく響く
その鳴き声の主を言い当てられたら素晴らしいだろう
それにしてもいろいろな声がある
太い嗄れ声の鳥もいる
そう言えば学校にもこんな声を出す女性がいた
それはそれで魅力的なのだ
どうしてこんなにいろいろな生き物がいるのだろうか
古代人がそこに創造主を見たとしても何ら不思議はないだろう




この春にこの本を読んだ
不可知論者の天体物理学者と牧師の免疫学者の対論である
その中で神と言ってもいろいろな見方があることを知る
例えば 物理的に手を下し世界を創った神
この免疫学者は神は直接手を下さないという
あくまでも言葉で世界を今の形にあらしめたと考えている

興味深かったのは天地創造の部分
世界は6日でできあがったとされるが 7日目をよく忘れる
その日神は何をしたのか
神は休んでいたのである
そして この日こそが創造の頂点にあるのだとこの免疫学者は指摘する
創造が完成するのは神が何もしなかった日だと言う
すべてをやり終えた後 何も言わず 行われたことを眺め 振り返り 瞑想する
それこそが創造を完成させるものだと言う
われわれの日々の営みにも通じるのではないだろうか



遠い昔の出会い


Science 328: 680, 2010


Il y a du Néandertal en nous
(われわれの中にはネアンデルタール人がいる)


これは今年5月7日のル・モンドにあった記事のタイトルである。
同じ週のScience誌の記事と併せて思い出してみたい。

ル・モンドでは、上の文章の後に、少なくともアフリカ人でなければ、と続く。その意味は後で明らかになる。もしアフリカ人でなければ、DNAの1-4%はネアンデルタール人 (Homo neanderthalensis) 由来だという。Science誌に発表されたのは、クロアチアの洞窟から出た4万年ほど前の3人の女性ネアンデルタール人の骨の解析結果である。

この研究は、ライプチッヒにあるマックス・プランク進化人類学研究所のスヴァンテ・パーボ (Svante Pääbo) 博士が中心となり行われた。実は、パーボ博士はすでに現代人とネアンデルタール人との間に交わりはなかったと発表している。今回の結果は以前のものと矛盾することになる。

彼らはまず、今回のクロアチアの材料をスペイン、ドイツ、ロシアから見つかっているネアンデルタール人のDNAを比較して、それがネアンデルタール人に特徴なものであることを確かめている、それからチンパンジーのDNAとも比較し、どこがより古い遺伝子の変化であるのかを調べている。

古い材料を扱う時に問題になるのは、取り出された遺伝子の95%以上を占める微生物由来の夾雑物。それから現代人のDNAも混じっていたという。これはコンピュータ解析の方法を工夫することにより解決。それから、対照群としてどの現代人を採用するのかという問題がある。今回は、進化的にネアンデルタール人とは異なるとされているフランス人、中国人、パプア・ニューギニア人、南アフリカと西アフリカの2人の計5人を選び、解析した。結果は冒頭に示したように、 2人のアフリカ人を除いた現代人のDNAには1-4%ほどネアンデルタール人由来のものが見られる。絶滅した彼らから受け継いだDNA子がわれわれの中に入っていることが明らかにされた。

これまでの有力なシナリオはわれわれの祖先はアフリカの特定の場所で生まれ、そこから中東やヨーロッパに移動する過程で交わることもほとんどなくネアンデルタール人を絶滅していったというもの。さらに多くのアフリカ人が調べられ、両者の接触がなかったことが確実になれば、現代人の祖先がアフリカを出て、ヨーロッパやアジアに向かう前に交わったことになる。イスラエルのカルメル山の洞窟に現代人が10万年ほど前から住んでいて、おそらく8万年前には寒波に襲われたヨーロッパを逃れてネアンデルタール人がこの地に下りてきたと推定されている。今回の結果は、このような場所で両者が交わった可能性を想像させる。

進化の過程で、ネアンデルタール人とわれわれは27~44万年前のどこかで別の道を歩み始めたとされている。人間を特徴付けている遺伝子があるとすれば、両者の遺伝子を比較すれば何らかのヒントが得られるかもしれない。今回の研究では、調べた30億塩基の中で78塩基に置換が見られたというから、その割合は非常に小さい。しかし、その遺伝子の役割は重要であることが想像される。

例えば、創傷治癒、精子の鞭毛運動、皮膚・汗腺・毛根、さらに骨格形成などに関わる遺伝子に差が認められたり、2型糖尿病にも関連する遺伝子領域や認識に関わる遺伝子(人間で変異が見られるとダウン症候群、統合失調症、自閉症などになる)にも差異が認められたという。ただ、ここで明らかにされた変異が実際にどのような変化をもたらすのか、そしてその遺伝子の生理的な役割は現在のところ不明である。


このような背景を頭に入れて上の写真を見直すと、心躍るものがある。
このおじさんはその時一体どういう態度を示したのか。
その出会いの場に自分も立つことができれば・・・などという妄想が湧いていた。

jeudi 11 novembre 2010

ハーマン・マラーという科学者 Un scientifique qui s'appelle Hermann Muller



トーマス・モーガン(1866-1945)の最も優秀な弟子にして最も師に逆らったハーマン・J・マラー Hermann Joseph Muller (December 21, 1890 – April 5, 1967)。X線による変異の研究により1946年にノーベル賞を貰っている。遺伝子を想像上の概念と考えている人が少なかった時代だったが、この研究の過程で遺伝には物質的基盤があることを信じるようになる。ウィキで見るとその人生は大きく揺れ、複雑である。その一つの側面に次のようなものがある。

遺伝子や遺伝という現象を扱うとそれを使って人類に対する貢献をしたいという考えが生まれるのだろうか。彼の師のモーガンに見られた優生学的思想が彼の中ではさらにはっきりした形になってくる。例えば、精神病を持つ家系の不妊手術を勧めている。彼の場合は共産主義に共感を持っており、ナチがやったような人種差別思想に基づくものではなく、むしろ理想主義の色彩を持ったものであった。しかし、彼の1940年代の講演を読むと、教養の程度と子供の数が逆相関するというような表現が出てくる。不妊手術により家族の苦痛を和らげようという考えがあったのだろうか。この考えを実行に移すために、スターリンともコンタクトを取っていたようである。この時期は、優生学的に劣っているとされる人を減らそうとする、ある意味ではネガティブな態度であった。しかし、第二次大戦後はその態度を完全否定するのではなく、ポジティブな態度への転向を図った。ナチのように身体的に優れた人種を創るという考えではなく、利他主義や他人への関心を示す心を持った道徳的に優れた人種を創れないかと考えたようである。その流れの中で精子バンクを提唱したのだろう。

科学の進歩により生まれる概念的、技術的な新たな可能性を前にした時にどのように対処しなければならないかのだろうか。このような歴史を見ていると、科学の成果を瞬時の熱狂だけで受け止めるだけではなく、その中に含まれる数々の問題を、冷静に、幅広く、深く、科学精神を以って考えることが求められるだろう。これからの科学の発展が齎すであろうさらに多くの問題に対し、ある枠を離れてものを見直すという哲学的な態度を以って臨むことが求められるだろう。

jeudi 28 octobre 2010

エピジェネティクスとは? 最新の Science 誌から


今日届いたサイエンス誌(10月29日号)にエピジェネティクスの特集があった。
イントロにはビデオがあり、研究者の現状認識を見ることができる。
 What is epigenetics? (Science Vol. 330. no. 6004, p. 611, 2010) video

  Epigenetics
  エピジェネティクス

  Body memory 
  細胞記憶
 
  Baldwin effect
  ボールドウィン効果

mercredi 27 octobre 2010

日本における近代科学受容の問題点 ― 渡辺正雄さんの見方


Walasse Ting (1929–May 17, 2010) ―
Gallery


日曜の夜、昨年の日本で仕入れたままになっていたこの本に手が伸びた。日本における科学、特に日頃から問題にしている科学精神を考える上で何か参考になることでもないかという期待を抱きながら読み進んだ。

 渡辺正雄著 『日本人と近代科学』(岩波新書、1976年、定価230円、古本屋で400円)

副題が「西洋への対応と課題」となっている。古本を読むときにいつも感じることだが、その内容がよく入ってくることに驚く。なぜかわからないが、今のところこんなふうに考えている。対象との距離が近過ぎると焦点がぼけてよく見えないが、少し離すと見えるようになるというあの感覚、本の中で語られる動きを止めたものを上の方から眺めているという感覚が対象を捉えやすくし、読む方に落ち着きを与えているのではないか。まさにわれわれの年代がしばしば経験する紙を離すとよく見えるというやつである。

17世紀に生を受け、次々と成果を上げてきた近代科学だが、近年科学・技術の問題点も指摘されるようになってきた。このような背景の下、日本における近代科学の受容と現状について顧みることは意義があるのではないかという問題意識で書かれている。本書では具体的な例として、明治初期に会津藩士で白虎隊員でもあった山川健次郎(1854-1931; 後に東京大学で日本初の物理学教授となり、総長も務めた)、お雇い教師として大森貝塚の発見、進化論の紹介をした東京大学最初の動物学教師エドワード・S・モース(1838-1925)、日本の無常思想の枠の中で進化論を咀嚼したとされる丘浅次郎(1868-1944)らを取り上げケース・スタディをやった後、著者の考えを表明している。

日本の近代科学の受容に関する著者の分析を最初にまとめると、次のようになるだろう。
(1)西洋の学術を摂取する時に、それを生み出した思想的・文化的基盤に思いを致すことなく、技術的な導入・模倣に終始したこと
(2)西洋の学術の諸分野の相互の関連を考慮することなく、細分化された専門分野を個別に学び取ってきたこと
(3)導入した西洋の学術と日本古来のものとの関連性を無視したままにしたこと
これらを是正することを今後の課題として捉え、それは教育に委ねられるところ大であるという結論になっている。

本書では西洋の学術、特に近代科学を見る場合の軸として忘れてならないのはキリスト教であることが強調されている。西洋の伝統的な世界観は神を基本とし、神が創造したがための自然であった。その中で人間は神の像に似せて作られた特別な位置を占めていた。人間はその神の創造した自然には神の考え、すなわち規則正しい法則のようなものが反映されているはずだと考え、古代からその謎を解こうとしてきた。その末裔が専門の科学者になる。しかし、近代科学の導入を図った頃の日本人にはキリスト教に対するアレルギーがあり、科学立国を急がなければならなかったためか、西洋文明の持つ精神的な側面に目を背けることになった。当時の状況を考えると、この点の批判は難しいだろうが、このことが科学に対する理解を一面的なものにしたことは否定できないとしている。

このような背景は進化論の受容にも影響を与えた。西欧においては神の創造した特別な位置にある人間が"下等"な生物に由来することなど想像できないことであり、神の作ったものが変わり得ることも信じ難いことであったので、進化論に対する著しい拒絶反応があった。しかし、そのことは理解不能であった。しかも進化論を理解するために必要になる諸科学(形態学、分類学、生態学、実験生物学、比較解剖学、古生物学など)の基礎が未だ築かれておらず、学問的な評価もできる状態にはなかった。自然科学の面での議論が不毛であったかわりに、ハーバート・スペンサー(1820-1903)に代表される社会進化論からの「生存競争と自然淘汰」あるいは「適者生存、優勝劣敗」などの言葉が踊り、様々な主義・主張を裏付けるのに安易に用いられたようである。

それからこれはよく言われることだが、日本人の自然観が自然の中に共にあるというもので、特別な立場にある人間が自然を客体として見み、それを変えようとする西洋の自然観とは相容れないものがある。一つの逸話として、これだけ地震の多い日本で人の世の栄枯盛衰を儚む文学は生まれたが、地震学はそこで実際に地震を体験した西洋人によってしか生れなかったことをあげている。

上の分析からも明らかなように、著者は科学を人間の知的・精神的な営みの一つとして捉えており、先人の研究成果を学ぶだけでは不十分で、それを生みだした文化や社会との関連をも理解しなければ真に理解したことにはならず、不健全な専門家にしかならないと考えている。その上で、科学の知識を習得するだけではなく、科学的思考や科学を全体的な枠組みの中で捉えようとするアプローチを取り入れる必要性を説いている。

また、ガリレオの『天文対話』を例に取り、中世のスコラ哲学を代表する人物、近代科学(ガリレオ自身か)の立場を代表する人物、知的な市民の三人の対話の中に科学の本質があるのではないかと指摘している。すなわち、真理とは公共的なものであり、それ故お互いの対話や討論を通してより高い真理を求めることができるというギリシャ以来の確信がそこに見られる。それはそのまま民主制という政治形態をも生み出す精神に繋がっていたはずである。翻って日本の学界や政界を見た時に真理は公共のものであるという前提の下での対話・討論が充分に行われているだろうか、と問い掛けている。そして、その問に否定的な考えを示した後、その原因となっているのは精神的独立の欠如、人間尊重の欠如、さらには世界観を確立させるような価値体系の欠如などをあげている。

この本の底流に流れていることは、この場でも触れてきたことと繋がるところが多い。35年ほど前の状況を改めて振り返り、表面上隆盛を極めているかに見える今日の科学の営みにおいて、当時から忘れられているとされたことがどれだけわれわれの意識に上っているだろうか。離れて見る科学の現状は、未だ片肺飛行を続けているかのようである。


dimanche 24 octobre 2010

望月京の世界 Le monde de Misato Michizuki



今年の9月は中旬だっただろうか。仕事をするつもりで午前中からパスツール研究所に出掛け、お昼の散策をして戻った時のことだった。何げなく手に取ったル・モンドの日本人作曲家の写真とインタビュー記事が目に入った。パリの秋祭り(Festival d'automne)で彼女の作品が発表されるのを機に紹介されたようである。

望月京Misato Michizuki, born 1969)

若い時からこちらに来られていて、お話にどこか日本人離れした哲学的雰囲気が漂っているのを感じ、印象に残っていた。そして先週月曜、Théâtre des Bouffes du Nord でコンサートがあったので、自らの中にどのような反応が起こるのかを見ることにした。その時の印象を綴ってみたい。





ホールはそれほど大きくはなく、演奏者と同じ平面で聞くことができ、距離感がよい。cozy な感じとでも言えばよいのだろうか。プログラムはいただいたが、席が暗いので目を通す気にならず、出てくる音に身を任せた。

冒頭、の独奏が始まる。ステージをゆっくり移動しながらの演奏。これほどじっくり笙の音色を聞くのは初めてではないだろうか。どこかバンドネオンを思わせるところもあり、現代的であると同時に日本を超えるものを持っているようにも感じていた。この楽器はフランス語で " orgue à bouche " (口で演奏するオルガン)。言い得て妙である。リードを一杯に震わせるのではなく、絶妙な息遣いで演奏されていたので楽器の特徴がよく引き出され、多様な音を楽しむことができた。演奏はMayumi Miyataさん。出しものは "Banshikicho no Choshi" と "Sojo no Choshi" であった。

そして望月さんの曲が始まった。西洋の楽器(バイオリン、チェロ、フルート、オーボエ、クラリネット、トロンボーン、ティンパニーなど)が使われているが、その他にワインボトルを叩いたり、その口に息を吹きかけたり、ホースに息を吹き込んだり、ワイングラスの縁を指で擦ったり、アクリル板を持って前後に曲げてみたりと、謂わば日常に近い音も取り入れている。これまで現代曲を聴いてきたとはとても言えないが、絵画の抽象画を観るような感覚で聴いていた。それは大きなキャンバスにいろいろな音が点として、線として、あるいは叫びのような乱れた塊として投げつけられているというイメージに近い。目を閉じて聴いていると、この世界を説明する最近のM理論ではないが、何次元の世界にいるのかわからなくなる。それから音の出る場も大切にしていることが照明を入れていることからもわかる。例えば写真で横に伸びる白いチューブのようなものは蛍光灯で、何種類かの色を出していた。これらの音楽を聴きながら、実はわれわれの日常に溢れる音こそ音楽であることを教えられたように感じていた。窓を開ける音、鳥の鳴き声、木々のざわめき、人の行き交う音、漏れる会話、子供の泣き声や話し声、車の音、飛行機の音などなど、われわれの廻りに耳を澄ますとそれらすべてが音楽を奏でていたのである。

曲目は "Etheric Blueprint Trilogy" となっており、"4D"、"Wise Water"、"Etheric Blueprint" から構成されていた。演奏はアムステルダムをベースに活躍中のNieuw Ensemble。コンサートは1時間ちょっとで終わった。




帰りのメトロでプログラムに目を通してみた。望月さんを紹介する文章によると、3年前から大学で教えるようになったが、そこでは自身が学生として習った音楽の技法を教えるのではなく、もっと広く、領域を跨ぐような豊かな視点を文化や芸術の歴史について得ることができるようにしたいとの希望を持っている。それから作品には写真や生物学、宇宙論などの科学も取り入れている。生物や意識の進化、DNA、遺伝子とその変異から霊感を得た作品として、Chimera(2000)、Homeobox(2001)、Meteorite(2003)がある。また環境との適応という観点から、人間と地球の歴史との統合という視点も生まれている。例えば、テイヤール・ド・シャルダン(1881-1955)による人間の知性の世界ノウアスフィア(La noosphère)や人間の進化の頂点と考えられるオメガ点をもとに、Noos(2001)やOmega Project(2002)を作っている。彼女の中には、科学や哲学、あるいは宗教的なものをもとに、芸術を通してこの世界と繋がりたいという意思があるように感じていた。今回発表された "4D" はデヴィッド・ボーム(1917-1992)の哲学に、また "Wise Water" は江本勝(1943-)という方の『水は答えを知っている』に出てくる、水がこれまでに旅した場所の振動を記憶として持っているというお話に触発されたもので、最後の "Etheric Blueprint" はアリストテレスの時代から空中を満たす神の声とも言えるエーテルを題材にしたとのこと。これらのお話を読みながら、壮大な世界が彼女の中に広がっているのが見えるようであった。





samedi 23 octobre 2010

生物多様性と生命倫理の交わるところ、ジャン・クロード・アメイセンさんの視点



10月21日午後からフランスの科学祭(La Fête de la Science)と言われているものの様子を見るため、4世紀の歴史を誇るサン・ルイ病院に講演会を聴きに行く。この病院にはドクターに入ってから科学史のクール(マスター向け)を聞くために何度か訪れている。歴史が残る建物を中心に据え、上の写真のような新しい建物が加わっていて、不思議な落ち着きを持つ空間である。

3人の演者がいたが、ここでは最後に演壇に立ったパリ大学の免疫学教授で INSERM(国立健康・医学研究機構)の倫理委員会の代表も務めるジャン・クロード・アメイセン(Jean-Claude Ameisen)さんの「生物多様性と生命倫理」について紹介したい。現在名古屋で生物多様性についての会議(COP10)が開催中なので時宜を得た今後に繋がるテーマである。彼はスライドなしで1時間語り続けた。以下、印象に残ったところから。

生物多様性がなぜ重要なのか。そもそも生物多様性とは新しいものを生み出し続ける能力を意味し、進化する能力に繋がる。したがって、われわれ自身の生存にも重要な意味を持ってくる。この多様性を維持することはわれわれの責任であるだけではなく、膨大な研究の必要性を意味している。一方、まだ40年ほどの歴史しかない生命倫理という概念には、生命科学・医学における倫理という意味と生物をその環境の中で捉える倫理の二つの要素がある。生物多様性と生命倫理がお互いに絡み合っていることがわかる。ここで環境と言う場合、動物や植物を含む目に見えるものだけではなく、この世界の大部分を占める目には見えない微生物の存在にも目を向ける必要がある。われわれ自身もその微生物からできていることは言うまでもない。

残念ながらここ数十年、新しい生物を作り出す能力が落ち、生物多様性を傷つけている。ダーウィンはもう130年も前に多様性を破壊する懸念を書き遺している。一般的には深い考えもなく何かをやった(ここでは破壊した)後にその対策を考えるのだが、ダーウィンは先を見て考えていたことがわかる。この世界は多くの生物が共存して均衡状態を保っているので、ある特定の状況に不都合が出たからと言って、単純にそれを排除すればよいという訳にはいかないし、そうすると多くの問題が出る可能性がある。これは外の世界の出来事だけではなく、われわれの体の中の細菌についても当て嵌まることが最近の研究で明らかになりつつある。

ここで注意しなければならないのは、生物多様性が単に種の多様性を意味しているだけではなく、種の中の個体の多様性をも含んでいる点である。そして個体の多様性の中には、ある年齢層の中での多様性だけではなく、時間軸に沿った多様性も入る。優生学的な考え方には常に警戒の目を向けなければならない理由がここにある。また最近の研究によると生物の運命は生まれつきの遺伝子だけではなく、環境が遺伝子の働きに重要な影響を及ぼしていることが明らかになってきている。環境というコンテクストの中で生物を考えることの大切さが益々増している所以でもある。

世界的にみると、科学的な原因よりは社会・経済的な原因が人間の運命を決めている場合が多い。つまり、経済的な要請を無条件に受け入れてよいのか、環境や生物多様性を破壊するような営みにどのように対していくのかがこれからの大きな問題となる。レッセフェールでやりたいようにやらせるのか、厳格な計画を立てるのかという問題でもある。しかし、アメイセンさんはこの両者とも幻想であると考えている。自由放任は論外であるし、自然の未来を予測して計画を立てることなど不可能だということなのだろうか。いずれにしてもこれから経済活動を見て行く場合、それが健康、平和、正義、生物多様性にどのような影響を与えるのかを考えることが不可欠になる。その時、自らと異なるものに対する敬意、共に分かち合うという感覚が求められるだろう。われわれの生き方、考え方を変えることなく、この問題の解決はないという結論に落ち着いていた。


samedi 16 octobre 2010

「水の記憶」その後、モンタニエさんの試み



以前に別ブログで「『水の記憶』の科学者たち」と題した記事を書いた。その後、経過を追うでもなく放置していたが、先日ある方からリュック・モンタニエさんがこの問題を新たに解析されていることを紹介されたのでざっと目を通してみることにした。

Electromagnetic signals are produced by aqueous nanostructures derived from bacterial DNA sequences. Interdiscip Sci Comput Life Sci 1: 81–90, 2009

この研究を始める前に以下のことがわかっていたようだ。

1)マイコプラズマ(Mycoplasma pirum)に感染したヒトのリンパ球培養上清を100nMのフィルターと20nMのフィルターで濾過し、無菌状態にしたものをそれぞれマイコプラズマに感染していないリンパ球と培養すると後者で再び感染が見られる。

2)これらの濾過した培養上清を水で希釈していくと、電磁波の発生を観察できる。これは感染していない細胞の培養上清の濾過液では見られない。

この論文では電磁波シグナル(electromagnetic signals: EMSと略す)の発生する条件やEMSの性状を明らかにしようとしている。材料として、マイコプラズマと大腸菌(E. coli)、ヒトTリンパ球とTリンパ球の腫瘍細胞を用い、電磁波測定装置で培養上清のEMSを測定している。この装置についてはよくわからないので、報告されている観察結果に基づいて紹介したい。

1)マイコプラズマの場合、濾過液の希釈が少ない場合にはEMSは発生しないが、1/10*5から1/10*8、あるいは1/10*12希釈で発生し、それ以上薄めるとEMSは見られなくなる。100nMの濾過液より、20nMの濾過液の方がEMSが強い。

2)大腸菌の場合、100nMの濾過液(無菌であることを確認)では1/10*8から1/10*12の希釈でEMSが観察された。フィルターを通さない液ではEMSが見られなかったので、濾過の過程がEMS発生に重要な意味を持っていると考えられる。マイコプラズマと違い、20nMの濾過液ではEMSが見られない。

3)なぜ低濃度に希釈した方がEMSが発生するのかについて、希釈の少ないものと多いものを混合して調べたところ、EMSを出していた低濃度のサンプルからEMSが見られなくなったので、高濃度の状態にはEMS発生を抑制する効果がある可能性がある。

4)興味深いことに、高濃度のものと低濃度のものを別の試験管に入れて1日室温で隣り合わせに置いただけで、低濃度の試験管からEMS発生が抑制される。二つの試験管の間にシールドを入れるとこの現象が見られなくなる。

5)この現象は大腸菌と同じ濃度で他の細菌でも見られた(Streptococcus BStaphylococcus aureusPseudomonas aeroginosaProteus mirabilisBacillus subtilisClostridium perfringensなど)。ただし、これは100nMの濾過液に限り、しかも二つの試験管に同じ細菌が入っている時だけになる。

6)驚くべきことに、最初の細菌数に関係なく(10個であろうが10*9個であろうが)、それを希釈した時に同じようにEMSが見られる。

7)EMSの発生にはDNAが必要であるが、DNAそのものからというよりは、DNAによって誘導される微小構造(nanostructureと言っている)による可能性がある。

8)DNAを幅広い間隔で切断する酵素処理ではEMSの抑制は起こらないので、短いDNA配列か稀な配列が関与しているのではないか。

9)EMSを発生する細菌は病原性を持つものが多く、生体によい効果を及ぼすとされるラクトバシラスなどはEMSを発生しない。

病原性のある細菌のDNA配列による電磁波は、例えば細菌と宿主細胞との間の接着を強め、病原性の発現に関与している可能性も考えられる。生物学だけの素養では俄かに信じられない現象が観察されているが、現段階では現象論に留まっているように見える。これから物理学の視点などを加え、EMSに関わる分子レベルでの実態が明らかにされればこの現象の見方も変わってくるかもしれない。新しい領域になるので、今後の研究の進展を見守りたい。


dimanche 10 octobre 2010

ピエール・テイヤール・ド・シャルダンとノウアスフィア Pierre Teilhard de Chardin et noosphère



Pierre Teilhard de Chardin (1er mai 1881, Orcines - 10 avril 1955, New York)
Scientifique de renommée internationale, il fut à la fois un géologue spécialiste du Pléistocène et un paléontologiste spécialiste des vertébrés du Cénozoïque. Il est considéré comme l'un des paléoanthropologistes les plus remarquables de son époque.

1. Le Phénomène humain (1955)
2. L'Apparition de l'homme (1956)
3. La Vision du passé (1957)
4. Le Milieu divin (1957)
5. L'Avenir de l'homme (1959)
6. L'Énergie humaine (1962)
7. L'Activation de l'énergie (1963)
8. La Place de l'homme dans la nature (1965)
9. Science et Christ (1965)
10. Comment je crois (1969)
11. Les Directions de l'avenir (1973)
12. Écrits du temps de la guerre (1975)
13. Le Cœur de la matière (1976)

Pierre Teilhard de Chardin
French philosopher and Jesuit priest who trained as a paleontologist and geologist and took part in the discovery of Peking Man. Teilhard conceived the idea of the Omega Point and developed Vladimir Vernadsky's concept of Noosphere. He came into conflict with the Catholic Church and several of his books were censured.

ピエール・テイヤール・ド・シャルダン


Noosphère
Le concept forgé par Vladimir Vernadski, et repris par Pierre Teilhard de Chardin, serait le lieu de l'agrégation de l'ensemble des pensées, des consciences et des idées produites par l'humanité à chaque instant. Cette notion, qui repose généralement sur des considérations plus philosophiques que scientifiques, fut l'objet de débats assez vifs et reste associée à une forme de spiritualisme aujourd'hui assez marginal. On peut la rapprocher des notions de géosphère, de biosphère ou encore d'infosphère.

Noosphere
According to the thought of Vladimir Vernadsky and Teilhard de Chardin, it denotes the "sphere of human thought". The word is derived from the Greek νοῦς (nous "mind") + σφαῖρα (sphaira "sphere"), in lexical analogy to "atmosphere" and "biosphere".

ノウアスフィア
人類は生物進化のステージであるバイオスフィア(生物圏)を超えてさらにノウアスフィア(叡智圏)というステージへ進化するという、キリスト教と科学的進化論を折衷した理論。ウラジミール・ベルナドスキーとテイヤール・ド・シャルダンが広めた「人間の思考の圏域」を示す言葉であり、近年に及んでインターネットにおける「知識集積」の比喩として用いられることが多い。


Vladimir Vernadsky (1863 – 1945)
Russian mineralogist and geochemist who is considered one of the founders of geochemistry, biogeochemistry and of radiogeology. His ideas of noosphere were an important contribution to Russian cosmism. He also worked in Ukraine where he founded the National Academy of Science of Ukraine. He is most noted for his 1926 book The Biosphere in which he inadvertently worked to popularize Eduard Suess’1885 term biosphere, by hypothesizing that life is the geological force that shapes the earth.

ウラジミール・ベルナドスキー



Cosmos - a process of convergence and divergence



mardi 5 octobre 2010

ゲシュタルト心理学


ゲシュタルト心理学
人間の精神は部分や要素の集合ではなく、全体性や構造こそ重要視されるべきとした。この全体性を持ったまとまりのある構造をドイツ語でゲシュタルト(Gestalt:形態)と呼ぶ。ゲシュタルト心理学は、ヴィルヘルム・ヴントを中心とした要素主義・構成主義の心理学に対する反論として、20世紀初頭にドイツにて提起された。
Gestalt psychology
Psychologie de la forme (gestalt)


ヴィルヘルム・ヴント(1832年8月16日 - 1920年8月31日)
ドイツの生理学者、哲学者、心理学者。 実験心理学の父と称される。彼は心理学を経験科学と看做し、形而上学を攻撃した。彼の立場は精神と肉体を別物とする二元論(精神物理的並行)。心理学の研究法として自己観察(内観)を用い、意識を観察・分析し、意識の要素と構成法則を明らかにしようとする要素主義を主張した。
Wilhelm Wundt
Wilhelm Wundt

ヴォルフガング・ケーラー(1887年1月21日 - 1967年6月11日)
ドイツの心理学者。ゲシュタルト心理学の創始者の一人。エストニア出身のバルト・ドイツ人
Wolfgang Köhler
Wolfgang Köhler

マックス・ヴェルトハイマー(1880年4月15日 - 1943年10月12日)
ゲシュタルト心理学の創始者の一人。チェコ、プラハ生まれのユダヤ人。
Max Wertheimer
Max Wertheimer

クルト・コフカ(1886年3月18日 - 1941年11月18日)
ゲシュタルト心理学の創始者の一人。ドイツ生まれのユダヤ人。
Kurt Koffka
Kurt Koffka


佐久間鼎(1888年9月7日 - 1970年1月9日)


samedi 2 octobre 2010

Stephen Hawking さんの "The Grand Design"、あるいは量子論的存在論

by Stephen Hawking & Leonard Mlodinow


先日、ル・モンドで紹介されているのを読み興味を持ったスティーヴン・ホーキングさんの新刊が予想通り面白い。これまでこの領域にそれほど興味を持っていたとも思えないのだが、こちらで学ぶ中でその受容体が活動してきたのだろうか。小さな穴から垂直に進んでいたエネルギーが水平方向に拡散しているということかもしれない。特に印象に残ったところを振り返ってみたい。

本のサブタイトルは "New Answers to the Ultimate Questions of Life"(生命の究極の問への新しい解答)となっている。彼は究極の問として以下のものをあげている。これらの問は彼自身の発明ではなく、長い人類の歩みの中で発せられてきたもので、すべての人が知りたいと思うものでもあるだろう。興味深いのは、それらすべてに科学が答えることのできないはずの「なぜ」が入っていることである。

  「なぜ何もないのではなく何かがあるのか?」
  「なぜわれわれは存在しているのか?」
  「なぜこのような法則であって他のものではないのか?」

宇宙を深く理解するためには、その「なぜ」に入っていかなければならないと考えているようだ。そして、これらの問の答えがいつ現れるのか、そんなワクワク感を持って読み始めた。

まず感じたのは言葉が厳選されていること。できるだけ正確に、しかも短い文章で説明しようとしているので、読んでいてその集中力が乗り移ってくる。前半では哲学と科学の歴史が紹介されている。人類の精神活動の歩みを大きく眺めるのは、やはり壮観である。これらの章を初めてとして、至るところに哲学との絡みが見られる。この領域が初めての方には参考になることが多いのではないだろうか。

それから現実(実存感)とは何か、目の前に見えていると思っているものは何なのか、という問題が扱われる。その導入部が面白い。数年前のこと、イタリアのモンツァ市(Monza)が金魚を丸い金魚鉢に入れて飼うことを禁止したというのだ。その理由は金魚鉢に入った金魚が歪んだ世界を見ることになるので残酷であるというもの。しかし、人間がまともな現実を見ていると誰が言えるのかという問い掛けがなされ、我に返る。ここでの結論は理論に基づかない現実はないというもの。すなわち、われわれはいつもある枠組みの中でものを見ており、意識するかしないかには別にして、理論がないところではものを見ることができないと言っている。

われわれの見ている現実は本当のところどうなっているのだろうか。ニュートン力学に代表される古典的な物理学では目の前にあるものは確固たる存在だとする立場がある。それを見ている人がいようがいまいがそこにある。あるものの初期条件が決まると、その後の動きは予測できる。これに対して、観察者がそれを見ている間だけそのものは存在するという考え方もある。部屋の中にある机はその部屋を出た途端に消え、戻ると再び現れるというものだが、日常の感覚ではなかなか信じられない。しかし、20世紀に現れた目には見えない世界を扱う量子論はそれを後押しする科学的な理論になるのだろう。量子論の世界では粒子の位置と速度の両方を決めることができないという。

光の本態についてニュートンは粒子であると答えたが、波動として捉えないと説明できない干渉と呼ばれる現象(例えばニュートン自身が見つけたニュートン・リングなど)が現れる。しかし20世紀に入り、アインシュタインは光が粒子と波動の両方の性質を持っていないと理解できないことを明らかにした。このことは、ある現象にはいろいろな面があり、一つの理論だけでは説明できない可能性を示唆している。




ここで原子や素粒子の世界で起こっている現象を、われわれの日常感覚で理解するためにサッカーボールを例に説明している。二つの隙間を作った壁を前にしてボールを蹴ると、左のようにキッカーと隙間の延長線上にボールが集まるのがわれわれの世界、ニュートン物理学の世界である。ところが、ミクロの世界では右のようにいくつかの塊を作るようにボールが集まるというのだ。光の干渉と同じように。これがリチャード・ファインマンさんが「おそらく誰も理解できないだろう」と言った量子論の世界になる。この場合、ボールは特定のコースを通らずにゴールに向かうという説明がされるが、ファインマンさんはそうではなく、ボールはあらゆる可能な経路を同時に取ると考えたのである。ゴールを現在とすれば、ボールの過去は一つではなく、しかもそれを確率の上でしか知ることができないことを意味している。量子論の世界から宇宙を見ると、その過去は一つではなく、そこにはいろいろな可能性が埋め込まれており、その歴史は何を観察するかに依存することになる。これは、歴史がわれわれを作っているのではなく、われわれが観察によって歴史を作り出していることを意味している。マクロの世界に生きている者には到底理解できない説明になる。

量子論の世界の大きな特徴として、1926年にヴェルナー・ハイゼンベルクが唱えた不確定性原理がある。上でも触れたように、どれほど測定能力を向上させても物理現象の結果を確実に予測できない。それだけではなく、複数の異なる結果がある確率のもとに起こることを許容する。つまり、古典的な世界のように法則によって自然現象が決定されるのではなく、法則はあくまでも過去に起こったこと、未来に起こることの確率を決定していることになる。「神はダイスを振らない」と言ったアインシュタインが量子論を嫌う理由がここにある。

この本では、自然界を動かすものとしてアリストテレスが信じたデザインと言えるような宇宙の存在についての統一的な理論の可能性を探っている。その中で、いくつかの理論をまとめたM理論がすべての現象をよく説明するというところに行きつく(この名前の由来は誰も知らないらしいが、master、miracle、mystery のMではないか、とはホーキングさん)。この世界は空間が10次元、時間が1次元からなり、空間の7次元は折りたたまれているため、われわれには3次元としか捉えられない。われわれの感覚で捉えられない世界が確かに存在しているのではないかと思わせてくれる語り口であった。この統一理論がどのようにして生まれたのかについて興味を持って読み進んだが、残念ながら私の求めていたヒントは得られなかった。




この本に紹介されている、古典的な物理学やわれわれの日常では観察者が測定しようがしまいがそこにものがあるのに対し、量子論では観察することがその存在を決めることになるというお話。これを改めて読みながら、量子論による視点の大転換をわれわれ自身の存在に当てはめてみるとどうなるだろうか。量子論的に考えると、われわれの存在が客観的にそこにあるのではなく、観察することによって初めて存在となり、観察がその存在を変えることになる。ある対象を日々観察することにより、その歴史が作られ、その対象が存在に変わる。「観察なくして存在なし」、これが量子論的存在論とでも言うべきものの本質になるのだろうか。そう考えると、ブログでの観察は存在を生み出すための一つの歩みなのかもしれない。日本にいる時にやっていたブログ「フランスに揺られながら」の銘が ”J’observe donc je suis” 「我観察す、故に我あり」だったことが蘇ってくる。



mardi 28 septembre 2010

Alan Love さんによる科学と哲学の関係


Dr. Alan Love (University of Minnesota)



ミネソタ大学のアラン・ラブさんの「理論なき科学」というお話を聞きに出かける。以下に概略を。

科学の一つの見方に概念や理論を重視することがあげられる。この見方に対し、彼の大学の名誉教授 Ronald Giere さんが1999年に "Science without Laws" (法則なき科学)という本の中で、実際の科学はそのようには動いておらず、概念や理論重視の見方から離れた方が科学をよりよく理解できるのではないかという考えを表明しているという。

一つの理由は、科学が複雑になり一つの概念ですべてを語ることが難しくなっていること。理論重視から離れるとはいえ、その見方に理論がないことではない。科学の知識として理論を利用するやり方と理論が上から科学を導くとする立場を区別する必要があり、前者を否定することはできないという意味で理論は科学に内在する。ただ、後者の意味ですべての科学が理論を使っているのかが問題になる。

カール・ポッパー(1902-1994)は人間の思考の歴史を振り返り、最初は試行錯誤を繰り返すが、やがてその過程が意識的になり、最終的には科学的方法として問題解決のための理論を打ち出すようになるとしている。つまり、理論を構築することにより問題解決に当るのが科学者の仕事であると考えた。それから理論を基にして解析を進めると共存する理論間の矛盾、理論と観察の間の矛盾が出てくる。現在に至る哲学者の見方を総合すると、いずれも理論の重要性を説いているが、新たな問題も明らかになってきた。

一つは、ある問題に対する答えは一つではないということ。例えば、細胞が幹細胞から特定の機能を持つ細胞へと分化する過程とは何かという問は、問自体に多くの内容を含み、それに応じて答えは多様になる。これが現代科学の方法になっている。科学を解析する場合、このような科学の持つ構造、すなわち具体的な専門領域に入ることが新たなやり方になるのではないか。

発生生物学を例にとると、そこには受精、分化、形態形成、成長、進化、環境による制御などの時間的、空間的に関連し合う多くの問題が含まれている。さらに、いろいろな種における相違も問題になる。そこには異なる領域の科学が関わることもあり、構造上の問題から一つの統一的な理論ができ上がるというよりは、個別の領域の問題が取り上げられるようになる。1993年にフィリップ・キッチャーさんは「発生とは、という大きな問題はどうなっているのか?」と問い掛けたが、実際にはその問からは遠ざかっているのが現状である。

科学史の視点から見ると、時間とともに最初の問が変質し、ある場合には消失する一方、再生などのように世紀を超えて残る問がある、という問の安定性・持続性の問題がある。それから、過去においては理論の重要性が強調されたが、現在ではよい問を出し、それに対して答えようとすること、さらに言えばそこで答えを求めるのではなく、新たな問を出していくという繰り返しの中に現代科学の本質があるのではないか。科学の進歩とは、科学知の集積ではなく、問の出し方の専門化、緻密さの向上にあると言えるかもしれない。そこにこそ科学の豊かさが宿っているのではないか。

この話を聞いた時、シオランの言葉が浮かんでいた。
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断片的な思考は経験のすべての側面を反映している。それに対し、体系的な思考は一つの側面、点検された側面しか反映していない。それは貧しいものである。ニーチェやドストエフスキーにはあらゆる経験、可能な限りの人間のタイプが描かれている。体系の中では一人の統率者だけが話すのだ。それ故、断片的思考が自由なのに対し、すべての体系は全体主義的になる。
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最後に哲学者の役割になる。もし科学者が理論を持ち合わせず、理論が導く科学は豊かさを失わせるとすれば、科学を語る哲学者は何をすればよいのだろうか。それは、科学の領域の隠れている構造について哲学の方法を用いて明らかにすること。その方法がはっきりしないと、科学者もその構造に気付かない可能性がある。日々目の前の問題解決、次の実験に追われている科学者には目の届かないところ、科学の領域を上から下から横から中からといろいろな角度から見てその構造を解析すること、そこに哲学者の出番があるというお話であった。彼の科学観は私の経験からも穏当なもので、現場の科学者も理解しやすい認識ではないかという印象を持った。ただ、全なるものへの希求としての哲学には惹かれるところがある。

質疑応答の中で次のようなことが出ていた。科学の哲学の中には科学全体を見るものから、個別の科学についての哲学があり、これらの間で十分な交流があるとは言えない。生物学の哲学に関しても、これまでは進化の哲学が大きな領域であったが、今では実験生物学、細胞生物学、免疫学など個別の哲学が出てきている。これからの発展が期待される領域ではないだろうか。


samedi 25 septembre 2010

リチャード・ファインマンが考えた「科学時代」



日本で手に入れたリチャード・ファインマンさん(1918 - 1988)のこの本を、先日こちらで読む。

  R.P. ファインマン「科学は不確かだ!」(岩波現代文庫、2007年)

1963年の三夜に亘る講演から起こしたもので、訳もこなれていて読みやすい。科学が持っている特徴についてダイナミックに語っている。臨場感があり、楽しい読みになった。特に目新しいことはなかったが、一ヶ所だけ印象に残るところがあった。

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 過去二〇〇年ばかりのあいだに科学は急速な発展を遂げ、そのスピードはいまや最高潮に達したと言えるでしょう。ことに生物科学はもっとも驚くべき発見の寸前にあります。それが何かは僕には言えないけれども、わからないからこそ胸が躍るのです。一個また一個とひっくり返しては、その下に新しいものを発見する興奮は、もう何百年ものあいだつづいてきましたが、それが今ますます高まりつつある、その意味では現在はたかしかに科学的時代です。ふつう誰も知らないことですが、科学者はそれを、「英雄の時代」とまで呼んでいます。

 この時代を後で歴史の一環として振り返ってみたとしたらどうでしょう。ほとんど何も知らなかったところから一変して、以前に知られていたよりはるかに多くのことを知るようになったのですから、もっとも劇的な驚異の時代だということは一目瞭然です。ただし科学が芸術や文学、人間の精神的姿勢や理解などに大きな役割を果たしていないという点では、僕は現代を科学的時代だとは思いません。ギリシャの英雄時代には、戦士の英雄を謳った詩がありました。また中世の宗教的時代には、芸術は宗教と直接つながっており、人々の人生観は宗教的見解と密接に結びついていたものです。それはまさしく「宗教時代」でした。そういう見地に立てば、今は決して科学時代とは言えません。

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この観察は私のものとよく重なる。ここでは一つだけ問いかけてみたい。日常生活の中で科学的に考えようという観点からわれわれの営みを振り返ることがどれだけあるだろうか。身の周りで起こっていることを少しだけ醒めた目で見れば、答えは一目瞭然だろう。これは科学的な良心という問題にも繋がるもので、それは本来科学者だけに適応されるものではないはずだ(科学が日常に真に組み込まれているとすればだが)。このように一般の人と科学の間の溝は、想像以上に深くて広い。

この問題を考える時、現状では科学の側から動き出さなければ状態は変わらないだろう。ここでも触れているが、科学者の役割として、単に新しい発見を目指したり、科学の最新の成果を分かりやすく伝えるだけでは足りないのではないだろうか。科学が本来持っている精神(それはわれわれの営みを豊かにすることが多かったのではないかと思うが)を科学の外にいる人に知らせることこそ、最も求められるのではないだろうか。科学の知識を教え込まれても、科学の外にいればどこか別世界の出来事で、その場限りに終わってしまう。それをいくら続けても科学が社会に根付くとは思えない。どのような人の日常にも大切なものとしての科学、それは科学的なものの見方ではないかと思う。それを広めなければファインマンさんの言う真の「科学時代」は訪れないだろう。

では、この問題をどのように進めるのか。名案は浮かばないが、まず教育になるのだろうか。科学精神と言った場合、哲学精神とも重なるところがある。そうであれば、子供の時から一人ひとりが自由に疑問を発し、意見を交わす環境が用意されていなければならないはずである。ところが、それとは逆のことが行われているという話を先日の日本で何人かの方から伺った。これは文化の問題になるので、長期的な視点に立って見直さなければ根本的には何も変わらないようにも見える。科学が芸術、文学の芯に影響を与えるようになるのはその先の話ではないだろうか。