samedi 30 janvier 2010

システムとしての解析は可能か (III) シドニー・ブレナーさんの場合 (2)


分子生物学とシステム生物学の違いについて

分子生物学が還元主義に過ぎるのではないかという点に関しては、こう答えたい。われわれが何者であり、何をするのか、そしてどのように成長し、行動し、死ぬのかは、分子レベルで決められている。したがって、分子生物学の問題は遺伝子に書かれていることの意味を正確に理解することである。そこからひとつずつレベルを変えて解析を進めることで全体の理解に至るというやり方を取る。一気にレベルを飛び越えることは難しい。

システム生物学からは、分子生物学など必要はなく、アウトプットを測定し、そこから箱の中身を演繹すると言われるが、それは不可能だと思う。第一に、逆問題の解決は非常に難しい。第二には、彼らの測定は生物現象の限られた点を捉える静的なもので、本態に至ることはできない。時間の無駄だ。さらに、その測定から得られるデータの信憑性は非常に低い。例えば、同一サンプルについて、3人が3通りの方法で3つのchip arrayを行った場合、合致する確率はわずか10%しかない。つまり、大部分が無用の結果になる。データは私が言うところの CAP (complete, accurate and permanent) の原則を満たすものでなければならない。これを満たすのは、遺伝子配列だけである。

システム生物学の第三の問題は、因果性(causality)という視点がないことである。技術優先のやり方のため、仮説を立てて進めるということはない。興味のある病気や組織について大量に測定し、その結果をコンピュータ解析にかけるだけで、考える必要がなくなる。今や、生物学のトレーニングを受けていないシステム生物学者が増えているため、生物学においてどのように物事を証明して行くのかを教えなければならない状況になっている。

ビッグサイエンスの弊害について

大きなグループが増え、実験室が工場のような構造になってきているため、今の若い人は自分では何もできないと感じるようになっている。同時に、自分のやっていることについての全体的な考えを持ちあわせていない。何についてどのように解決していくのか、それが分からなくなっている。システム生物学が優勢になると、この傾向が増していくので私は発言している。システム生物学は新たな革命だと言っているが、分子生物学こそ革命でそれはまだ完結していない。間違った革命はいらない。

臨床研究について

今やヒトゲノムが明らかにされたので、ヒトを直接研究できるようになった。中間のマウスや他の動物は必要なくなった。これまでトランスレーショナル・リサーチと言って、実験室での基礎的知見を臨床に応用するベンチからベッドサイド(クリニック)が推奨されていた。しかし、私は全く逆の見方を取るべきだと考えている。それは、問題をクリニックで見出し、その問題を最新の科学で解決しようというベッドサイドからベンチという流れである。科学はクリニックから始めなければならないという考え方である。

この場合の問題は、基礎研究室を製薬会社のようにしてしまう危険性である。科学と技術をはっきりと分け、科学の場合には個人を、技術の場合にはプロジェクトを支援することである。しかもその目的に合わせた環境を別々に作る必要がある。基礎研究室で薬の探索をしようとしてもうまく行かないだろう。

これからの大学教育について

大学教育の大改革が必要だろう。第一に、ヒトの生物学のカリキュラムを新たに作ること。第二には、宇宙におけるわれわれの位置(どこから来て、何をやってきたか、など)を学ぶリベラルアーツ教育が必要になる。大学院については、有効な指導者制度の確立が求められる。今は多くの mentor が tormentor になっているとも言われる。

論文やグラントについて

まず考えなければならないのは、大量の情報をどのようにして知識に変換するのかということである。現段階では、膨大なデータを消化吸収するところまで行っていない。データを集めるところにはグラントが出るが、その後のデータの統合のところには金が出ない。今、生物学には理論が求められている。


jeudi 28 janvier 2010

システムとしての解析は可能か (II) シドニー・ブレナーさんの場合 (1)


先日、この問題について免疫学での考え方を少し紹介した際に、システム生物学に批判的な立場を取る学者としてシドニー・ブレナーさんの名前を出した。彼の考え方を検討する前に、2000年にキーストンで聞いた講演の印象記が残っているので振り返ってみたい。

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Keynote Address に立ったSydney Brenner(Molecular Sciences Institute)は "From Genes to Organisms" と題して、スライドなしで一時間、ゆったりと噛み締めるように、時にはユーモアたっぷりに、また時には若い人への助言も交えながら話した。彼の話を聞いていると、考えることが如何に重要であり、また楽しいことであるのかと言うことがその全身から伝わってくる。そこにはあくせくとした経済至上主義的な科学のやり方とは無縁のものが漂って いて、西洋の科学の歴史と伝統というようなものをどうしても感じてしまう。

彼の話題は、現在ゲノムプロジェクトが花盛りであるが、遺伝子の構造が明らかにされた後の問題、すなわち塩基配列から遺伝子の機能、さらには個体の在り様が予測できるか、genotypeからphenotypeをcomputeできないかという根本的な問題についてであった。その骨子は、最近の論文にも述べられているので参照されたい(The end of the beginning. Science 287: 2173-2174, 2000)。

遺伝子情報から細胞、個体がどのように機能するか、どのような形になるのかをコンピュータで予測することについては、現段階では否定的であった。一つには、 細胞の中は、溶液の中に多数の分子が浮いていて、ランダムにぶつかり合っているようなものであり、あるプログラムで動いているというような代物ではないこと。生物現象はマスターコントロールなどされないランダムな出来事によっており、その中である分子が本来持っている機能を発揮できる相手と特定の場所、時間に出会った場合のみ作用するという程度のものでしかないこと(中心、マスターによる作為がないという意味では、宗教、神の存在とは相容れないもの)。したがって、遺伝子産物を作らせて、試験管や細胞内でそのやるべきことをやらせて、それを測定すること "measurements" によってのみ機能がわかるという。その意味で、これから重要になるのは今忘れられつつある定量的な解析 "quantitative analysis" である。ある分子が何個細胞にあり、その1個がどのような分子と相互作用しているのかということを明らかにすること。また、 "regulation" もこれからのキーワードになってくるだろう。biochemistry は死んだと言われるが、これからその再生が必要であり、事実細胞周期やシグナル伝達の研究などから "information transfer" を扱う新しいbiochemistry が生まれつつある。

彼は、ヒトの遺伝子を今予想されているよりは少ない5万弱ではないかと推定している。ゲノムの解明が終わった後は、その一つ一つの機能を明らかにしていくことが重要になるが、このことは5万人の生化学の教授を必要としていることを意味しているという。余談であるが、Arabidopsis のゲノムプロジェクトに関与している Elliot Meyerowitz (Cal Tech)によると、yeast は6,000、C. elegans は9,000、Drosophilaは14,000の遺伝子を持つのに対して、彼の扱っている植物は25,000と意外に多くの遺伝子を持っているという。一つには、外界の状況を感知するシステム(例えば、レセプター型セリンスレオニンキナーゼ遺伝子が100くらいはあり、それに伴うシグナル伝達系も発達していると想定される)と同時に、それに対応した毒素や酵素を作るための機構に用いられているようである。

若い人への助言として話していたのは、何かを始めようとする時にこれから扱おうとする対象がどのようなものであるのかについて、論理的な構造(logical structure) を把握しておかなければならない。これが弱くなっているのではないかという。また、教科書にあるようなドグマチックなモデルに囚われることなく(例えば、 細胞の中で、ある分子が線で引かれた道を動くというようなことはない)、実際に起こっていることを想像することが重要だということも指摘していた。心したい点である。
(2000年4月21日)

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このシンポジウムの2年後にブレナーさんはノーベル賞をもらっている。その時からかなりの時間が経過したが、最近の考え方を以下のインタビューで語っている。1927年1月13日生まれの御年83だが、全く衰えを知らず素晴らしいとしか言いようがない。
  • An interview with... Sydney Brenner. Interview by Errol C. Friedberg. Nat Rev Mol Cell Biol. 9: 8-9, 2008.
  • Interview with Sydney Brenner by Soraya de Chadarevian. Stud Hist Philos Biol Biomed Sci. 40: 65-71, 2009.
基本的な主張は、いわゆるシステム生物学の批判、ヒトを対象とした科学の推進、全体の理解に至る基本レベルとしての細胞などで、教育の問題点についても触れている。お話全体に哲学的雰囲気を感じることができ、私にとっては痛快な読みの時間ともなった。いくつかのテーマについて考えてみたい。


なぜシステム生物学は成功しないか

全体を理解しようとするのは大切である。しかし、システム生物学がやろうとしているのはデータを大量に集め、そこからモデルを作ろうとする逆問題inverse problem)を扱っており、成功しないだろう。マイクロアレイで限られた時点で膨大なサンプルの測定をし、それをまとめてモデルを作り、最終的には理論にもっていくとしている。それは、部屋の中にドラムがあり、それにつながったコードから得られる情報を基にドラムがどういうものかを明らかにしようとするようなもので、ドラムそのものを触ることはしない。そして、正確な測定が難しい。それ以上に、進化の問題を抱えた生物の現象は常に揺れる可能性がある。

私が提唱する分子生物学のやり方は、実際の構成成分を扱い、それがどのように振舞うのかを解析した後に、全体の状態をコンピュータ解析するもので、これをこれからも進めることが重要である。

創発(emergence)について

そこでは 「全体は部分の総和より大きい」 と言われるが、正確には「全体は『分離して解析された』部分の総和より大きい」 となる。部分の総和より大きい全体などあり得ない。全体をcompute するのは部分の相互作用である。2万もの遺伝子をどのように扱って全体を解明するのかは生物学が解決すべき問題になる。しかし、生物学は多くの問題を解決できない。

分子生物学の仕事は、部分が何をしているか、何と相互作用しているかを方程式に入れることである。それは膨大な数の部分が反応し、動き回っているというシステムではない。そんなシステムはナンセンス。もしそうであれば、われわれは存在していないだろう。そこで生物学が見るべき単位は細胞であり、遺伝子や分子ではない。つまり、全体を細胞のネットワークとして見ること、つまりコミュニケーションの分野になる。全体の解明のためにはシステム生物学でも top-down、bottom-up でもない、middle-out とでも言うべきやり方が必要で、それは細胞から出発して生体に行き、細胞から分子に向かうものである。

(つづきます)

lundi 25 janvier 2010

クロード・ベルナール 「医者はそれぞれ実験者である」 "Chaque médecin est un expérimentateur"


クロード・ベルナールは近代生理学の生みの親と言われ、医学を科学にしようとした。また、正常と異常の間は連続していることを初めて説いた一人でもある。2010年1月22日のル・モンドの「世界を変えた本」シリーズに、クロード・ベルナールの「実験医学序説」(1865年)が取り上げられていた。そこで、コレージュ・ド・フランスの実験医学教授であるピエール・コルヴォル(Pierre Corvol)さんがベルナールについて語っているので紹介したい。


150年前に実験医学教授であったベルナールの現代性について:

私は、1990年、偉大な医学者であったジャン・ドセーの後の教授就任講演で、クロード・ベルナールを引用しました。

「医学は病院では終わらず、そこから始まる。科学において認められようとする医者は病院を出て、実験室に行かなければならない。患者さんで観察したことを理解するために動物実験をするのはそこなのである」

ベルナールが求めたこのやり方や医学と研究との関係についての彼の省察は、いつも私に霊感を与えてきました。1958年の大学病院センタ―(CHU : Centres Hospitaliers Universitaires)創設にはロベール・ドゥブレやドセーの強い影響がありますが、そこで研究が不可分の要素として組み込まれることになったのです。したがって、ベルナールの今日的意味は CHU になります。病院改革に伴い、管理が前面で語られ、医学、さらには研究の位置がどんどん落ちている状況に不安を感じています。

同時代人のパスツールによる自然発生説に否定に匹敵するベルナールの業績について:


当時は病気と健康は2つの異なる状態だと考えられていました。" Le Retour du Dr. Knock " (2000) の中でもベルナールを以下のように引用しました。

「昔の医者が信じ、今でも信じる医者がいるように、健康と病気が本質的に二つの異なる状態であるとは言えない。現実に両者の間にあるのは、程度の差でしかない」

これこそ19世紀半ばに確立された正常と病理の間の連続性で、ベルナールの実験医学の賜物でした。パスツールが感染による外からの脅威について明らかにしたのに対して、ベルナールは内的な生理的反応の異常を示しました。フランスにおいて、生理病理学の概念を確立しました。彼のアプローチは内的な平衡(ホメオスターシス)を維持するように段階的に起こる反応を説明するものでした。そして、正常と病理の境界が重なるようにありました。

ベルナールが形作った科学に基づく医学研究(観察、仮説の提唱、その検証のための実験、そして結果の解析へと続く)について:


彼は、技術や経験としての医学を批判しました。彼にとって医学とは観察の科学ではなかったのです。もちろん、仮説を立てるために観察結果を集めることは重視しましたが、一人ひとりの医者は実験者であると考えていました。医者が毎回患者を観察して診断の仮説を押し進め、その仮説を検証するために治療を施すのはよいことであるとしていました。彼は研究という言葉を使っていましたが、1992年、パリの公立病院臨床研究センターの検討により、「臨床研究」(recherche clinique)という言葉は患者さんをモルモットにしているという印象を与えるので、使用しないことになりました。

ベルナールの実験医学に関する新しい考え方の当時の受容について:

公立病院では無視されました。私も20年ほどコレージュ・ド・フランスで講義をしていますが、医者はわずかです。血管新生についての講義を10年前に始めました時、大学の医学部にはこの講座はありませんでした。治療薬も出始めていましたが、その使用はおかしなものでした。科学的な医学は大学では生まれず、その周辺から生まれるのです。ベルナールは前任者のフランソワ・マジャンディーとともに、医学講座を中心にコレージュ・ド・フランス学派を作ったのです。「実験医学講座」の名前ができたのはその後のことです。ベルナールと後任のシャルル・エドアール・ブラウン・セカール(Charles-Édouard Brown-Séquard)が内分泌学を打ち立てたのです。


彼の同時代の医学研究者との関係について:


当時のフランスはドイツとともに先端を行っていて、パリには100以上の研究室がありました。同時代人の中には、1858年に病理の細胞説を唱えたドイツのルドルフ・ウィルヒョウ、結核菌、コレラ菌の発見者ロベルト・コッホなどがいます。フランスでは、ベルナールの前にザヴィエ・ビシャー(Xavier Bichat)が解剖学を進歩させましたが、生体の内的調節機構の重要性には気付いていませんでした。

現代の科学でベルナールが惹かれそうな研究分野について:

システム生物学などは彼の興味を引くのではないでしょうか。これはあるシステムのある部分(例えば、細胞、核、臓器など)ではなく、システムを全体として理解しようとする学問です。ベルナールは還元主義的視点を持っていましたが、全体の機能を再構築しようとしていました。「生きた機械」についても語っていました。


vendredi 22 janvier 2010

フィリップ・サンソネッティさんの話を聞く


今年に入って、コレージュ・ド・フランスで Philippe Sansonetti さんの話を聞いている。テーマは、細菌との共生。昨年からやっていたようだが、新年は今週で2回目。来週で終わる予定。頭の中を整理する上で、大いに参考になっている。

lundi 18 janvier 2010

命を生かすとは



科学から見える生命は 方向も進歩も終着点もない
ただ その時の周囲の条件が許す範囲で 最高のことをするだけだ
あるいは 最高のことをできるものだけが 生き延びる

目的や終着点を見据えながらの生は 命を歪めているのではないか
この瞬間瞬間に内から迸り出るものを捉えること
 それこそ 生の持つ創造性を生かすことではないか
 それこそ その生が持つ固有の姿を最後に掴む道ではないか

もしそうならば
 一つひとつの存在が 自らその命を観察しなければならない
そう 
 命の発露には 独立や自律の精神が不可分に結びついているのだ

一つひとつの生命が独立し しかも輝いている時 創造性が溢れてくるはずだ
この命の発露のないところに 生き生きとした文化も科学も生まれないだろう
生命の創造性がないところで行われる営みは 科学や文化に値しないだろう


翻って現実を眺めてみよう
われわれは命を生かして生きているだろうか
自律的に生きているだろうか
命が生かされる環境にいるだろうか
命が生かされないような環境を自らが生み出していないだろうか

それが新年の自らへの問いかけになる


samedi 9 janvier 2010

システムとしての解析は可能か (I) フィリップ・クリルスキーさんの場合



あけましておめでとうございます。
今年も折々に浮かんできたテーマについて考えていきたいと思います。
ご批判を含め、よろしくお願いいたします。


昨日、コレージュ・ド・フランスで1980年のノーベル賞受賞者ジャン・ドセー博士の記念シンポジウムがあり、午前中だけ出席した(プログラムはこちらから)。その最後に、フィリップ・クリルスキーさんが免疫系について話をしていた。タイトルは、 « HLA, soi et non-soi : une perspective systémique » (HLA、自己と非自己: システムとしての視点)。

彼は2000年から2005年までパスツール研究所の所長を務め、現在はコレージュ・ド・フランス教授だがその活動範囲は広く、シンガポールの研究所の責任者でもある。そこではヒトを対象にして免疫系をシステムとして捉える試みをしているという。大量のデータを集め、それを数学者と共同で解析しようということだろうか。印象に残ったところを思いつくまま書き出してみたい。

1) 免疫系の自己を規定している分子について、エピステモロジーの観点から二つの問題が見える。一つは自己同一性(アイデンティティ)、二つ目は単一性(個々のユニークさ)で、それぞれについて哲学的な問い掛けができる。

2) 自己と非自己の識別に関しては、まず自分と自分とは違う異質なものという古典的な見方。第二には、胸腺の中で何が自己であるのかを免疫系に教育が施されるが、その時にこれが自己であるとしてT細胞に示されるペプチド(自己の構成成分)の種類が人により異なっている。個体を特徴づける自己ペプチドのカタログが識別に関わるとする見方ができる。第三に注意しなければならないのは、自己と非自己の識別の曖昧さである。それは質的にも量的にも見られるが、自己ペプチドのレパートリーがT細胞レセプター数を上回っているので、ひとつのレセプターが多くの抗原を認識する交差反応が起こることである。

3) 免疫系をシステムとして見た場合、いくつかの特徴が見えてくる。一つはローバストネスで、免疫系に起こる間違い、機能低下、不正確さと外界の予想できない変化にも拘らず、それほど問題なく機能するという特徴である。もうひとつは、部分の要素そのものより各要素間の関係が重要になる、全体としての潜在能力のようなものである。個人によりHLA、自己ペプチドの種類、T細胞レセプターなどが異なっている免疫系ではあるが、例えばワクチン接種に対して一様の反応を示すように、比較的良く機能している。これは要素の違いを超えてT細胞の反応閾値の調節が行われている可能性を示唆している。

4) これらのことは、免疫系やその異常に対する見方に変更を迫るものである。例えば、自己免疫病をシステムの構成要素の異常として捉えるのではなく、ローバストネスやそこに関与する品質管理の失調と見る必要があるだろう。自己免疫病などの免疫病がなかなか解決されない一つの理由は、病気をシステム全体の調節異常として捉えるホリスティックな視点がなかったためかも知れない。

ただ、このようなシステミックなアプローチがどれだけ具体的な成果をあげるのか。例えば、シドニー・ブレナーさんなどはシステム生物学に批判的で、このやり方で成功を収めることはできないと主張している。その考えは、改めて取り上げてみたい。


jeudi 7 janvier 2010

栄光の6年 Les Six Glorieuses


ある本の中で、アカデミー・フランセーズ会員だったジョン・ベルナール(Jean Bernard)さん(né le 26 mai 1907 à Paris et décédé le 17 avril 2006 à Paris)のこの言葉に出会う。1859年から1865年までの6年間を " Les Six Glorieuses "(栄光の輝かしき6年)と呼んでいる。ダーウィンの「種の起源」が出版された1859年から始まるこの期間には、パスツールが自然発生説を否定して微生物学を確立した。1865年にはクロード・ベルナールが「実験医学序説」を書いて近代生理学を創り、同じ年にはモラビアの修道僧グレゴール・メンデルがスィートピーを掛け合わせ、遺伝の法則を発見した。

ベルナールさんは、この6年間が戦争や革命が社会を変えた以上に人間の運命を変えたと評価している。

samedi 2 janvier 2010

エネルゲイアをわれわれの生に取り込む



2010年を迎えた。こちらに来てからの印象は、一言で言えば、日々が満ちているというものだ。どこかに向かうために今ここにいるのではなく、今ここにあること自体が存在理由になっているという感覚だろうか。目的地がないのだから、現在が未来の犠牲になるという感覚がなくなる。最大の関心事は、今をいかに満ちたものにするのかという一点に絞られてくる。この視点は、日常のすべての時間に意味を持たせてくれる。今を味わわせて くれるようになる。

高度に発展し分業化の著しい社会において仕事を持つということは、目的地に向かうことを義務付けられている。そのため自分に意味のある時間とそれ以外の時間を分けざるを得なくなる。生きた時間と死んだ時間が生まれることになる。例えば、移動の時間などは本来的には重要ではなく、仕事から離れた意味のない時間として退けられる。それを救うのは、生きることを仕事とすることだろう。そう思えることだろう。なぜか今の生活は、生きることが仕事、という感覚を呼び覚ましてくれる。そこではすべての時間が生きた時間となる。一瞬一瞬を味わおうとするからだろう。「・・のために」 という視点が霞んでくるのだ。

したがって、どこに向かうのかは全くわからない。ただ、現在という瞬間に全身を浸すという営みを続けたその果てには、その存在が持っている生命の発露が見られるだろう。それがどのような形であれ、永遠の彼方にある最終的な姿にはその存在の奥に潜むこの宇宙に唯一無二の生命の創造性と言うべきものが顕れているはずである。命を生かすとは、実はそういうことかも知れない。このことに気付くと、本当に命を生かしているのか、命を生かすことができる空間に今いるのか、と自問せずにはいられなくなる。

この営みを難しくしているのが近・現代の社会ではないのかという指摘がある。効率主義が跋扈し、人は常にどこかに向かう存在として位置づけられているからだ。時間を厳密に分けなければ生きていけないと考えたとしても不思議ではない。目を覆うばかりのテレビの惨状は、それが意味のない時間の埋め合わせとして認知されているためなのだろうか。そんな思いの中、先月の日本で出会ったこの本を紐解いてみて、そこで展開されている議論が私のテーマの一つと重なっていることがわかった。




藤澤令夫 「ギリシャ哲学と現代 -世界観のありかた―」 (岩波新書、1980年)

そのテーマを一言で言うと、「物」・「客観的事実」と価値・倫理・道徳の乖離を克服する哲学を手にすることができないかということになる。著者の藤澤氏はそのヒントを得るために、この乖離が生まれることになった源を探ろうとして最終的にはギリシャに至る。ここで言われる「客観的事実」は科学的アプローチが導き出すもので、価値や道徳はわれわれの日常に根差したところから生まれる。少し広く解釈すると、文理の乖離にも繋がるものである。

この乖離があっても事がうまく進んでいれば問題はない。しかし、科学至上主義とも思える現代において、没価値をモットーとする科学が齎す弊害も多くなっている。その大きな理由は、全体から部分を引き離して解析するところがある科学という営みが、その価値や意味を考えることなく、部分のまま全体に適応しようとする結果ではないのかと考える。それに対して、哲学は存在するものを存在するものとして考察すると言ったアリストテレスの時代から、常に全体への 視線がある。

「物」と「心」の乖離は心身二元論の生みの親デカルトに端を発すると見るのが一般的だが、その根は遥か古代ギリシャにあると著者は言う。その一つは、レウキッポスデモクリトスによる原子論である。これに先立ち、パルメニデスは次のように考えた。生成とか消滅、さらに運動や性質の変化など感覚に現れる世界は虚妄とも言えるもので、そのまま信じてはならない。真に存在するものは、理性(ロゴス)の審判に耐える不滅・不変・不動の存在であると考え、理性と感覚を分け、前者の重要性を説いた。レウキッポスとデモクリトスは真に存在するもの、すなわち世界の真実を構成する究極の要素として原子を想定し、種々の現象や知覚はその形、組み合わせ、動きによって決まる架空の世界であると考えた。

もうひとつの根は、「主語・述語=実体・属性」として表わされるアリストテレスの世界の把握の仕方にあるという。それは、主語で示されるものが実体として独立に存在し、その属性が初めて述語として表わされるというもので、実体が属性から乖離して存在するという意味では彼が批判していた原子論と重なることになる。変化を重ねる世界の中で変わらない究極の実体を「物」として追及する科学の原型がここにできあがったと考えることができる。つまり、科学的思考とは、現象としての述語の基にある実体=主語を明らかにすることになる。

社会にも個人にも多くの問題を引き起こしていると想定される「物」と「価値」との乖離をどのように乗り越えるのか。そのための条件を著者の検討に従って見てみたい。まず第一に挙げているのが、全体的な視野の確保になる。科学が全体から切り出した部分を無批判に受け入れ、それをそのまま全体に適用するのではなく、また科学の知見を最初から拒否する反科学主義やロマン主義に陥るのでもなく、あくまでも科学知を尊重しながら、それを全体の中に位置付けること。

ここで問題になるのは、全体とは何かだろう。生物学の世界では、個体全体を対象にする研究も進んでいるが、現在の手法でどれだけ全体に迫ることができるだろうか。また、別の見方をすると、全体は部分を総合した時にしか現れない可能性もある。もしそうだとしたら、全体は永久にわれわれの手元には届かないことになる。ただ、すべてのものが全体の一部としてあり、部分としては存在しないとすれば、あくまでも全体をありのままに捉えようとする精神が不可欠であることは言えるだろう。そこでもう一つ大切になる条件が、「物」がまず存在し、その下に「価値」が備わっているのではなく、「価値」を世界の根底に据える見方になる。

それから、二元論の元にある「物」の解体ということも条件にあげている。それは、ホワイトヘッド言うところの "senseless, valueless, purposeless"(感覚のない、価値とは無関係な、目的のない)である「物」という概念を拒否し、「物」自体に価値と尊厳を付与しようとする動きになる。

このような世界観の原型がプラトンに認められるとして、イデア論に触れている。そこでは、善く生きることを目指したソクラテスの哲学から出発し、善と人間存在とを異なる次元に置くのではなく、最初から不可分なものとして捉える視線がある。彼は、心・魂、あるいは命に対応する「プシューケー」と身体、あるいは「物」を意味する「ソーマ」の対立で世界を捉えようとした。そこで彼が批判したのは、自然の基礎にあるのは「プシューケー」を持たない「物」であり、その偶然の結合により後から生物や宇宙、さらにはそれに伴う「価値」が生まれたとする自然主義的な無神論であるという。プラトンはこの考えを逆転させ、「プシューケー」こそがこの宇宙における第一義的なもので、「物」、「ソーマ」はその後に生まれたものであるとした。「プシューケー」を基にして世界が一体となっているイメージが浮かんでくる。




そして最後に、世界を「主語・述語=実体・属性」として表現したアリストテレスの哲学について検討している。この図式からわかるように、彼はプラトンとは異なり、自然の理解に関わる学問(自然学、第一哲学=形而上学など)と人間の生き方、あり方に関わる学問(倫理学、政治学など)を厳密に分ける態度をとっていた。彼の中では科学的事実と価値が乖離していたことになる。ただ、自然学、形而上学の原理として目的・価値が組み込まれており、最高価値・神がその価値を元にして世界における事実を支配していると捉えられていた。彼が原子論を批判したのも、それが究極の物質主義であり、善の原理を排除した世界観だったからかもしれない。

ここで、アリストテレスの造語になる 「エネルゲイア」(energeia) の思想が取り上げられている。エネルギーの語源にもなっているが、そこからはなかなか理解できない言葉である。日本語では現実性、現実態などと訳され、英語では "being at work" と訳されたり、単純に "activity"、"actuality" とされることもあるという。彼はこの言葉の対立概念として、可能性、可能態などと訳される「デュナミス」(dunamis / dynamis) を導入している。しかし、ここでは「キーネーシス」(動き、運動)という概念と対比しながらこれまでの問題について考えている。

その理由は、最初に触れたように現代社会を覆う効率主義により、時間や空間の感覚が歪められていると考えているからである。単純な移動、単なる運動としての動きは、ある意味では「物」としてのもので、人間が行うものとは異なっているのではないか。人間にはこの「キーネーシス」とは別の在り方が求められているのではないか。常にどこかに向かう状態、したがって常に不完全の状態にある「キーネーシス」ではなく、あることを行うと同時に完結しているような状態(「すると同時に、してしまっている」と表現されている)「エネルゲイア」こそ、われわれが必要としているものではないかと考えている。この両者の違いをまとめると、次のようになる。

1) キーネーシスはその行為自体が目的ではないが、エネルゲイアはそれ自身が目的であり、目的が行為の中に内在する。
2) キーネーシスの場合には、現在と完了が乖離するが、エネルゲイアの場合には、現在において完了してしまう。
3) キーネーシスは目的に至るまでは常に未完成だが、エネルゲイアはいつも完了し、完全である。
4) キーネーシスは時間の内にあるが、エネルゲイアは時間とは無縁である。
5) キーネーシスには速い遅いがあるが、エネルゲイアには速さ、遅さがない。

これらすべては同じことを言っているように見える。すなわち、目的が行為の外にある場合と行為自身が目的になっている場合の違い。それをやっていること自体に意味があるような場合、そこで目的が完結してしまう。現在進行していること自体がひとつの完成型を成している。このエネルゲイアに当たる行為こそ、どこかに行くというキーネーシスを余儀なくされている現代に求められているのではないか、と著者は言いたいようだ。そして、エネルゲイアにおいて魂・精神の活動が不可分に伴っていることを考える時、先に触れたプシューケーの活動との共通性を見ることになる。

仕事をすることをどこかに向かう行為と捉えるのか。人が生きるということを、その最後までのキーネーシスとして捉えるのか。近・現代はわれわれにこのキーネーシスによる生き方を強いているように見える。そのことに気付き、そこから脱出するヒントを与えてくれるのが、エネルゲイアとキーネーシスの対比にあるような気がする。

ところで、私の求めていた二元論の克服についての解は、はっきりとした形では見つからなかった印象がある。ただ、こんなことは言えそうである。全体から部分を取り出し、そこで起こっていることを明らかにすることに長けている科学はこれからも力を発揮していくだろう。そこで得られた知はあくまでも尊重し、その上で必要なことは、科学者が科学の中に埋没し、しばしば失いがちになる全体への視線を指摘し続けることではないだろうか。そこでは文理を超えた人の実質的な交流が不可欠になるだろう。キーネーシスではなく、エネルゲイアとして。