samedi 9 janvier 2010

システムとしての解析は可能か (I) フィリップ・クリルスキーさんの場合



あけましておめでとうございます。
今年も折々に浮かんできたテーマについて考えていきたいと思います。
ご批判を含め、よろしくお願いいたします。


昨日、コレージュ・ド・フランスで1980年のノーベル賞受賞者ジャン・ドセー博士の記念シンポジウムがあり、午前中だけ出席した(プログラムはこちらから)。その最後に、フィリップ・クリルスキーさんが免疫系について話をしていた。タイトルは、 « HLA, soi et non-soi : une perspective systémique » (HLA、自己と非自己: システムとしての視点)。

彼は2000年から2005年までパスツール研究所の所長を務め、現在はコレージュ・ド・フランス教授だがその活動範囲は広く、シンガポールの研究所の責任者でもある。そこではヒトを対象にして免疫系をシステムとして捉える試みをしているという。大量のデータを集め、それを数学者と共同で解析しようということだろうか。印象に残ったところを思いつくまま書き出してみたい。

1) 免疫系の自己を規定している分子について、エピステモロジーの観点から二つの問題が見える。一つは自己同一性(アイデンティティ)、二つ目は単一性(個々のユニークさ)で、それぞれについて哲学的な問い掛けができる。

2) 自己と非自己の識別に関しては、まず自分と自分とは違う異質なものという古典的な見方。第二には、胸腺の中で何が自己であるのかを免疫系に教育が施されるが、その時にこれが自己であるとしてT細胞に示されるペプチド(自己の構成成分)の種類が人により異なっている。個体を特徴づける自己ペプチドのカタログが識別に関わるとする見方ができる。第三に注意しなければならないのは、自己と非自己の識別の曖昧さである。それは質的にも量的にも見られるが、自己ペプチドのレパートリーがT細胞レセプター数を上回っているので、ひとつのレセプターが多くの抗原を認識する交差反応が起こることである。

3) 免疫系をシステムとして見た場合、いくつかの特徴が見えてくる。一つはローバストネスで、免疫系に起こる間違い、機能低下、不正確さと外界の予想できない変化にも拘らず、それほど問題なく機能するという特徴である。もうひとつは、部分の要素そのものより各要素間の関係が重要になる、全体としての潜在能力のようなものである。個人によりHLA、自己ペプチドの種類、T細胞レセプターなどが異なっている免疫系ではあるが、例えばワクチン接種に対して一様の反応を示すように、比較的良く機能している。これは要素の違いを超えてT細胞の反応閾値の調節が行われている可能性を示唆している。

4) これらのことは、免疫系やその異常に対する見方に変更を迫るものである。例えば、自己免疫病をシステムの構成要素の異常として捉えるのではなく、ローバストネスやそこに関与する品質管理の失調と見る必要があるだろう。自己免疫病などの免疫病がなかなか解決されない一つの理由は、病気をシステム全体の調節異常として捉えるホリスティックな視点がなかったためかも知れない。

ただ、このようなシステミックなアプローチがどれだけ具体的な成果をあげるのか。例えば、シドニー・ブレナーさんなどはシステム生物学に批判的で、このやり方で成功を収めることはできないと主張している。その考えは、改めて取り上げてみたい。


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