samedi 30 janvier 2010

システムとしての解析は可能か (III) シドニー・ブレナーさんの場合 (2)


分子生物学とシステム生物学の違いについて

分子生物学が還元主義に過ぎるのではないかという点に関しては、こう答えたい。われわれが何者であり、何をするのか、そしてどのように成長し、行動し、死ぬのかは、分子レベルで決められている。したがって、分子生物学の問題は遺伝子に書かれていることの意味を正確に理解することである。そこからひとつずつレベルを変えて解析を進めることで全体の理解に至るというやり方を取る。一気にレベルを飛び越えることは難しい。

システム生物学からは、分子生物学など必要はなく、アウトプットを測定し、そこから箱の中身を演繹すると言われるが、それは不可能だと思う。第一に、逆問題の解決は非常に難しい。第二には、彼らの測定は生物現象の限られた点を捉える静的なもので、本態に至ることはできない。時間の無駄だ。さらに、その測定から得られるデータの信憑性は非常に低い。例えば、同一サンプルについて、3人が3通りの方法で3つのchip arrayを行った場合、合致する確率はわずか10%しかない。つまり、大部分が無用の結果になる。データは私が言うところの CAP (complete, accurate and permanent) の原則を満たすものでなければならない。これを満たすのは、遺伝子配列だけである。

システム生物学の第三の問題は、因果性(causality)という視点がないことである。技術優先のやり方のため、仮説を立てて進めるということはない。興味のある病気や組織について大量に測定し、その結果をコンピュータ解析にかけるだけで、考える必要がなくなる。今や、生物学のトレーニングを受けていないシステム生物学者が増えているため、生物学においてどのように物事を証明して行くのかを教えなければならない状況になっている。

ビッグサイエンスの弊害について

大きなグループが増え、実験室が工場のような構造になってきているため、今の若い人は自分では何もできないと感じるようになっている。同時に、自分のやっていることについての全体的な考えを持ちあわせていない。何についてどのように解決していくのか、それが分からなくなっている。システム生物学が優勢になると、この傾向が増していくので私は発言している。システム生物学は新たな革命だと言っているが、分子生物学こそ革命でそれはまだ完結していない。間違った革命はいらない。

臨床研究について

今やヒトゲノムが明らかにされたので、ヒトを直接研究できるようになった。中間のマウスや他の動物は必要なくなった。これまでトランスレーショナル・リサーチと言って、実験室での基礎的知見を臨床に応用するベンチからベッドサイド(クリニック)が推奨されていた。しかし、私は全く逆の見方を取るべきだと考えている。それは、問題をクリニックで見出し、その問題を最新の科学で解決しようというベッドサイドからベンチという流れである。科学はクリニックから始めなければならないという考え方である。

この場合の問題は、基礎研究室を製薬会社のようにしてしまう危険性である。科学と技術をはっきりと分け、科学の場合には個人を、技術の場合にはプロジェクトを支援することである。しかもその目的に合わせた環境を別々に作る必要がある。基礎研究室で薬の探索をしようとしてもうまく行かないだろう。

これからの大学教育について

大学教育の大改革が必要だろう。第一に、ヒトの生物学のカリキュラムを新たに作ること。第二には、宇宙におけるわれわれの位置(どこから来て、何をやってきたか、など)を学ぶリベラルアーツ教育が必要になる。大学院については、有効な指導者制度の確立が求められる。今は多くの mentor が tormentor になっているとも言われる。

論文やグラントについて

まず考えなければならないのは、大量の情報をどのようにして知識に変換するのかということである。現段階では、膨大なデータを消化吸収するところまで行っていない。データを集めるところにはグラントが出るが、その後のデータの統合のところには金が出ない。今、生物学には理論が求められている。


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