samedi 20 novembre 2010

フランスにおける哲学教育の一断面



先日のこと。街で見た講演会のポスターにあった演者 Fernand Schwarz さんのページを調べている時、「哲学デー」なるものがこの世にあることを知ることになった。さらに調べを進めると、何とその翌日の11月18日が「世界哲学デー」だという。

 "La Journée mondiale de la philosophie"

今年は「国際文化和解年」にもなっていて、「世界哲学デー」が合流した。文化和解年というのも初めて聞く名前だ。

 "L'Année internationale du rapprochement des cultures"

世界哲学デーはユネスコ主催で、2002年から毎年11月に開かれていたことを知る。今年は世界80ヵ国でいろいろな行事が行われる予定で、38ヵ国の状況はこちらから。アジアではタイ、パキスタン、バングラデシュ、インド、カンボジア、タジキスタン、アゼルバイジャンが参加。残念ながら日本は入っていない。道理でグーグル検索でも「世界哲学デー」が現れないわけである。哲学や文化和解への日本の感度はかなり低くそうである。

ユネスコ本部でのプログラムを見てみると、結構充実している。
例えば、こんなシンポジウムがある。

 「女性哲学者と『政治的に正しい』こと」
 「問われる文明の概念:知的、文化的、政治的問題点」
 「理性とその戦い―啓蒙主義、近代の合理主義、革命、昨日今日」
 「普遍性と多様性を問う」
 「人間の条件を再考する―グスタヴ・ギヨームジャン・ピアジェへのオマージュ」
 「教育の哲学―哲学の教育:知識の伝達から能力の育成へ」
 「ムハンマド・イクバールの著作―人間実現の一提案」
 「アル・ファーラービー:異文化間の啓蒙思想家」
 「哲学、文化の多様性、文化の和解」

それから「新しい哲学の実践」というセッションがある。
 "NPP : Nouvelles Pratiques Philosophiques"
これは哲学教育の実際的な問題を扱うもので、テーマが興味深い。
昨日、今日の二日の予定で、次のような出しものがある。

 「哲学と魂の手入れ」
 「哲学的実践と市民の問題」
 「哲学的議論の教育実践」
 「子供のための哲学プロジェクト」
 「教師が哲学する時」
 「道徳のジレンマの実際」
 「NPPの今日的意義」
 「この問題をどう理解するか」
 「小学校と専門課程における哲学教育」
 「学校から都市へ:哲学を広めよう!」
 「マネジメント側への言葉」

プログラムの詳細はこちらから。




オープニング・セレモニーは予定時間から20分ほど遅れて始まった。挨拶をするユネスコ事務総長のイリナ・ボコヴァさんとフランス国民教育相のリュック・シャテルさんは来ているのだが、会場にいる関連した方々とゆったりと挨拶を交わしてからであった。このゆったり感は社交と成熟が根を下ろしていることを感じさせ、悪くない。また、所謂偉い人もわれわれと同じ平面にいて交わるので、権威主義的なところや仰々しさがないのもよい。ブルガリア出身のイリナさんは初めはフランス語で、その後に英語で要約をしていた。いずれも彼女にとっては外国語だが、そのメッセージは非常にクリアなものであった。

ユネスコの使命は、教育、文化、科学、そしてコミュニケーションの分野において自由な熟考(la réflexion libre)と対話を促進することであるという。この "réflexion" だが、私がフランス語を始めて強く反応した言葉の一つになる。日本語訳は難しいが、あることを考える時にその思考を自分自身にも向け直し、それによって自らの考えを深めることである。熟考、考察、反省と訳してもこの精神の運動が伝わってこない。

さて、この使命を実現するためには批判的な精神と相互理解を通して人間の精神をより強靭なものにしなければならないが、すべての基礎には哲学があると考えている。哲学には時間と空間を跨ぐ豊かさと多様性があり、複雑な現代において何が現実であるのかを分析する能力を高める時にもその豊かさが有効になるだろう。ユネスコは正義と平和のために、これまでにも増して教育の質を高め、それぞれの考えを評価し、豊かにする環境を整えなければならない。開かれた場での自由な討論などは特に重要になる。哲学はわれわれの時代の要請であり、そこから新しいヒューマニズム(un nouvel humanisme)を構築することが彼女自身の重要な方針になっている。




リュック・シャテルさんのお話も言葉がしっかりしていて、引用が広範、しかもそれが消化されているので聞いていて気持ちがよくなる。日本では味わえない時間でもある。彼の論点も基本的にはイリナさんと同じだが、当然のことながらフランス国内での教育に対する向き合い方が中心で、まずよい教育とは何かを考え、それに向けての処方箋が語られていた。ここで感じたことは、人間が持つべき基本的な考え方(規範)や抽象的な概念を教えることが大切であると考えている点である。例えば、市民の権利、自由、平等、社会、権力の独立、他者の理解、思想・表現の自由、などなど。このような基本が身に付いた人間をつくることを目指していることが見えてきた。そのために哲学教育の改革と充実をするという。その柱として次の3つを挙げていた。

1)言葉を正確に使うこと(これは語彙だけではなく、文章の構成法も含む)
2)人類の偉大な遺産を読み込むこと
3)論理的な思考と討論に習熟すること

全国の高校では哲学をこれまでの3年だけから1-2年目まで広げる実験的な教育もされているようで、そこでのポイントは学際性になる。哲学教師だけではなく、科学、文学、社会科学の教師も同時に参加させること。そして、この世界に自らを開き、多様な文化と共有の概念を理解し、最終的には偏見を乗り越えることを目指すようだ。人間如何に生きるべきかを考える時、「今、ここ」から距離を取り、哲学することが求められる。このことを国を挙げて実践しようとする、まさに哲学の国フランスの教育相に相応しい挨拶であった。




帰宅してラジオをつけると、リュックさんがこの方針を出したこと、それから子供が委縮しないようにするために小学校で成績を付けるのを止めることにしたというニュースが流れていた。理性的、理論的に考え、その結果出てきたことを行動に移すというごく当たり前のことが動いているのを見ることになった。この前段がないところには後段もないだろうし、その結果から学ぶこともないだろう。少し前に別ブログで指摘した科学精神を徹底することの大切さと繋がるフランスの試みであり、日本も学ぶべきところが多いように感じていた。

科学精神を徹底し、内なるエネルギーを立ち上げる 」(15 novembre 2010)


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