lundi 22 novembre 2010

チャード・ルウォンティン 「三重らせん」 を読む "Triple Helix" by Richard Lewontin



今年の春に読んだこの本を振り返ってみたい。 Richard Lewontin の "The Triple Helix" 「三重らせん」を振り返ってみたい。著者のチャード・ルウォンティンさんスティーヴン・ジェイ・グールドさんと共著で 「サンマルコ大聖堂のスパンドレルとパングロス風パラダイム:適応主義者のプログラムの批判」(Proc. R. Soc. Lond. B 205, 581-598, 1979) という進化生物学の有名な論文を書いている。この論文は適応主義万能の考えを徹底的に批判したもので、この世界は可能な限りの最善な状態にあると言い張る善良なパングロス博士(ヴォルテールのカンディードに出てくる)の論理の批判とも通じるため、論文のタイトルに使われている。

パングロスの立場は、鼻は眼鏡をするために、足はズボンをはくためにあるだと考えるもので、適応主義者は今あるものすべてに本来の役割があるはずだと考える。しかし、ルウォンティンさんはベニスにあるサンマルコ大聖堂の穹隅を例に取り、穹隅は丸天井を造る時にアーチにより結ばれる柱の上にできるもので、それ自体に本来の役割があるわけではないのと同様に、すべてのものに本来の役割があると考える立場を批判した。

ところで、 「三重らせん」 では遺伝子、生物、環境のそれぞれの関連がテーマになっている。生物のあり様は遺伝子だけではなく、その環境により決められている。同様に、それまで独立してあると考えられていた環境も、その中に存在する生物の影響を受けていることなどが書かれてある。細胞や臓器、ひいては生物の個体を決めているのは生まれつき持っている遺伝子だとする遺伝子絶対主義があるが、後天的に環境の変化により遺伝子が化学的修飾を受けることによっても生物のあり様が変化する。このエピジェネティクスと言われる機構の関与が強調されている。少し幅広く生物現象を見ようとする視点がそこにある。

17世紀に起源を持つ還元主義の成功を未だに引き摺っている現代科学だが、その成果から考えると致し方ないところもある。ここでは個々の部分に分けて解析するが、部分と言うからにはそれを取りだした全体があるはずである。そこで問題になるのが、どのレベルをそれぞれの全体にするのかという点になる。その選び方により、全体像が変わってくる可能性がある。そもそも全体に分割可能な線が引かれているわけではない。例えば、臓器別に考える場合でも臓器間には目には見えない繋がりがあるはずである。この問題は生物だけではなく、学問をどう見るのかを考える時にも大切になるだろう。部分の切り取り方により、学問全体の見え方が変わってくることが予想され、普段あまり意識されていないが、考え始めると大きな問題になる。

この本の中に興味深い話が出ていた。それは原因(cause)と "agency" (何かが起こるために及ぼされる作用のようなものか) との違いに関わるもので、医学においてその混同が著しいと言っている。その例として、人間の死因が取り上げられている。死因の必要条件と十分条件について、こう書いている。人の死因としてがんや心臓病などがあるが、がんや心臓病に罹ったからと言って必ずしも死を意味しない。逆に病気がないからと言って永遠に生きるわけでもない。病気を治し、根絶することを目指している医学だが、人は死から免れることはできない。せいぜい少しだけ命が延びるだけだ。もしそうであれば、これらの病気は agency とでも言うべきもので、死の真の原因は体を構成する成分の摩耗など、病気とは別にあるのではないかと考えている。

19世紀のヨーロッパでは感染症が人の命を奪っていた。死因は感染症だったと言われている。今では当時のように感染症で亡くなる人は減っているが、これは医学の進歩のせいだろうかと問い掛ける。病原体が分かったからだろうか。しかし、ロベルト・コッホが病気は病原体によると発表した後でも感染症で亡くなる人は減っていない。抗生物質のせいだろうか。そうではなさそうだ。なぜなら、第二次大戦後に本格的に抗生物質が使用される前に感染症は90%以上減少していたからである。それでは公衆衛生状況の改善だろうか。しかし、ほとんどが空気感染であることを考えると、必ずしも当たっていないだろう。

それでは19世紀の人の死因は何だったのか。それはいかなる医学的な努力も叶わなかったもの、すなわち、社会的な要因であった。19世紀から20世紀にかけて見られた賃金の上昇、栄養状態の改善、さらに労働時間の短縮により、人々は死ななくなった。十分な栄養と休息を取り、ストレスの少ない生活環境が感染症によるとされる死を減少させたと考えている。すなわち、感染症は死因ではなく、単なる "agency" にしか過ぎなかったと結論している。19世紀のヨーロッパの死因であった栄養障害と過剰労働は今でも第三世界の死因として生きている。agency だけではなく、真の原因を探すことが人間の条件を改善する上で大切であるというメッセージを送っているように見える。


Aucun commentaire: