samedi 11 décembre 2010

ヨハネス・ケプラーにとっての科学 La science selon Kepler


Johannes Kepler

(27 décembre 1571 - 15 novembre 1630)


何のために科学をするのか。何のために科学はあるのか。今や科学がわれわれの周りの至るところに浸透していることを考える時、これらの問は科学に身を置く者に留まらず、われわれ一人ひとりが自らに引き付けて考えなければならないものになっている。16世紀から17世紀にかけて生きたヨハネス・ケプラーの名は、その昔学校で聞いて以来ほとんど耳にすることはなかった。しかし、科学の歴史に改めて触れる時、必ず顔を出す科学者である。

ティコ・ブラーエ(14 décembre 1546 - 24 octobre 1601)の弟子であった彼は天体運行の法則を見出し、コペルニクス(19 février 1473 - 24 mai 1543)の地動説を確実なものした。ケプラーの法則とは以下の三法則からなる。

第1法則: 惑星は太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く(楕円軌道の法則)
第2法則: 惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は、一定である(面積速度一定の法則)
第3法則: 惑星の公転周期の2乗は軌道の長半径の3乗に比例する(調和の法則)

これらの成果はニュートン(4 janvier 1643 – 31 mars 1727)による万有引力の発見へと繋がる。

ところで、ケプラーは科学というものをどのように捉えて研究していたのだろうか。それは自然をどう見るのかという問題と密接に関連しているように見える。ケプラーの考え方の大枠は、自然を神の下に見る以下のようなものであった。

「自然は神が創造し、動かしている。自然は神が書いた本のようなもので、そこに神の言葉や意志が隠されている。科学の役目は宇宙という神の作品の美しさを解き明かすことであり、そのためには数学が仲介として最適なものである」

創造された完璧な世界について瞑想を深め、自らの精神を高める手段として彼は科学を捉えていた。科学を神に仕え、神を祝福するものであるとし、物を中心に置く考えから離れ、本質的な問について考えるための道であると考えていた。この仕事に呼び寄せられたと感じていた彼は、そこに経済的な価値ではなく、音楽や絵画と同様に美的な価値を見ていた。

神の意志を絶対視する彼は、あらかじめ理論的に導き出した数字があれば、科学によって自然の動きを完全に理解できると考えた。この理論的過程で必須になるのが数学であった。そのため彼は実験を二の次にした。これに対し、やはり自然は数学の言葉で書かれていると考えたガリレオ(15 février 1564 - 8 janvier 1642)は、観察と実験の重要性を説き、世界のすべてを観察し、すべてについて実験することが不可能であるという前提で、自然を完全に理解することは不可能であると考えた。科学と神学を引き離したのである。この点がケプラーと異なっている。

科学は技術の進歩やそれに伴う物質的な幸福を齎すためではなく、精神の深化のためにあると考えていたケプラー。経済や技術偏重の現代の科学や科学者を見て、一体どのような発言をするのだろうか。聞いてみたい気がする。

vendredi 10 décembre 2010

クロード・ベルナールの 「実験医学研究序説」、そして哲学者ができること



mercredi 4 mars 2009

クロード・ベルナールに 「実験医学研究序説」 という本がある。日本にいる時に本棚にはあったが、結局読むところまで行かなかった。字体や文体が古く魅力を感じなかったことと、仕事に忙しく余裕もなかったためだと思っているが、今のような状況に置かれたとしても読んだかどうかは疑わしい。科学の奥にあるものの考え方や見方、哲学的な視点への興味なしには読むところまでいかなかったのではないだろうか。実際、この本をこちらに持ってこようという気にはならなかった。

そんな状況がフランスに来て少し余裕が出てきたためか、一変している。この手の本に対する感受性が非常に高くなってきたのだ。フランスということもあり、この分野の人のベルナールに対する関心は高い。必ず論じられる人になっている。日本のこの分野の状況を知らないので何とも言えないが、日本の科学者では誰がベルナールに当たるのだろうかと考えているが、まだ思いついていない。

今日、改めて Introduction à l'étude de la médecine expérimentale (1865) を手に取ってみたが、最初からよく入ってくる。今では当り前だろうが、医学は生理学、病理学、治療学からなり、これからはそれぞれが別々にあるのではなく相互に関連を持っていかなければならないという考えが述べられている。ただ、この本は江戸末期に出された本であることと考えると、驚かざるを得ない。彼の観察 l'observation と実験 l'expérience の定義は以下のようになっている。観察とは前もって考えることなく、あくまでも偶然に身を任せる受け身の行為であるのに対し、実験とはある考えを持って、意図してある現象の背後に潜む原因を探ろうとする能動的な行為であるとしている。

これを読みながら、さらに考えが進んでいた。それは、実験をすることなく科学に貢献することができるのだろうか、ということについてである。現在のような状況では実験をして新しい結果を導き出すことも、そこから仮説を出しさらに先に進むこともできない。そのような状況で科学に対して何ができるだろうかという問題になる。まだ漠然としており、それが実現可能かどうかもわからないが、ポジティブな貢献が可能な道筋はあると今の段階では考えている。

その方向性とは、哲学者の瞑想によるのではなく、すでに出されている実験データをもとに統合する作業を行い、新しいものの見方や概念を提唱することができないかというものである。最終的にそこから何かを導き出すことができないことになったにしても、この方向性しかやりようがないように見える。さらに重要なことは、この視点は現役の科学者にとっても有用なものではないかという点である。この視点こそ、哲学的視点と言ってもよいだろう。時間と自由を持っている人がやらなければならないのかもしれない。


jeudi 9 décembre 2010

あなたの分子は何を考えているか?


À quoi pensent vos molécules ? (Françoise Tibika)

今年出会った本のタイトルに「あなたの分子は何を考えているか?」というのがあった。不思議なタイトルだ。これはデジャヴュになる。日本で「蛋白質に精神はありますか?」と精神科の先生に質問されたことがあるからだ。その時の驚きは今でも忘れない。今に繋がるところに絡んでくるからだろう。科学絶対主義の立場から言えば、このような擬人法は論外ということになるのだろう。当時の私がそうであったように。

以下にこの本出てきたキーワードをほんの少しだけ挙げてみたい。

Alchimie
錬金術

Hermétisme
ヘルメス主義

Avicenne
イブン=スィーナー

Averroès
イブン=ルシュド

胡散臭い

Adriaen van Ostade


mercredi 8 décembre 2010

デカルトの人生 La vie de Descartes


ルネ・デカルトRené Descartes
(la Haye, 31 mars 1596 - Stockholm, 11 février 1650)


デカルトについて簡単な印象を書いていたことを思い出したので、以下に転載したい。

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物理学者、数学者にして最も知られたフランスの哲学者。数学に霊感を受けた理性、論理の力 (l'esprit cartésien) を明らかにした近代哲学の父。理性を中心に据えるこの男の底には、想像力、直感を重視するところもあった。その中味については、いずれ触れることにして、 今日は彼の人生を振り返ってみたい。

16世紀終わりにラ・エに生を受け、8歳から16歳までイエズス会の学校でよりよい人生を歩むために知への強い欲求を持ちながら勉学に励む。しかし、そこ で行われている哲学、科学に対しては失望と懐疑の念を抱き続ける。その中で、数学に対する興味と宗教への熱い思い、教会への敬意を覚える。

1618年 (デカルト22歳の時)、軍隊に入り、オランダ、デンマーク、ドイツに駐留。この間、論理学 (la logique)、幾何学 (la géométrie)、代数学 (l'algèbre) の統合を通して、すべての科学、すべての哲学の刷新を目指す。そして、1619年11月10日、3つの夢を見る。この神秘的な出来事を、自分の使命は哲学 に打ち込むことであると解釈し、軍隊を辞める。1620年から28年まで (24歳から32歳にあたる) ヨーロッパを広く旅し、偏見を捨て、経験を積み上げ、彼の方法論を深めた。

1628年、オランダに落ち着き、その後20年に渡って住まいを変えながら静寂の中で自らの哲学完成に全精力を傾ける。哲学者には孤独が必要なのだ (La philosophe a besoin de solitude)。彼の座右銘はラテン語で "Larvatus prodeo" (Je m'avance masqué) 「私は仮面をして前進する」。その大きな成果 「方法序説」 "Discours de la Méthode" が1637年に出版される。デカルト41歳の時である。

「方法序説」 の原題は、
"Discours de la méthode pour bien conduire sa raison, et chercher la verité dans les sciences"
『みずからの理性を正しく導き、諸科学における真理を探究するための方法序説』

となっており、屈折光学・気象学・幾何学 (La Dioptrique, Les Météores, La Géométrie) についての科学論文の序文として書かれたもの。当時の本として特異なところは、専門家向けのラテン語ではなくフランス語で書かれていることである。ごく普 通の人々に語り掛けたいという彼の意思を感じる。当時ガリレオが教会と衝突していた原因が、科学と宗教の間の誤解ではないかと考え、その和解を願うような ところがあったのかもしれない。

1641年 (45歳)、「省察」 "Méditations métaphysiques" (ラテン語からの直訳は、Méditations sur la philosophie première)、1644年 (48歳) には 「哲学原理」 (ラテン語からの訳は、Les Principes de la philosophie) を発表。この時期に、オランダに亡命していたボヘミアのエリザベート王女に出会い、文通を始める。この交流の中で自身の思想を深め、「情念論」 "Les Passions de l'âme" (1649年) にまとめる。



Descartes et la reine Christine



その名声がスウェーデン女王クリスチーヌの耳にも届き、1649年2月に招待される。躊躇した彼だが、9月にはスウェーデンに向かう。そこでは毎朝5時か ら女王にご進講。さらに、新しい環境、冬の厳しさ、知識人の嫉妬などで、その滞在は不愉快なものになった。そして翌年2月には風邪をこじらせ、肺炎により ストックホルムで亡くなる。享年53。

机に向かうだけの哲学者ではなく、世界中を旅し、心を開き、孤独の中で自らの思索を進め深めていった彼の生き方には惹かれるものを感じる。

(2007年1月21日記)
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lundi 6 décembre 2010

最前線に立つという感覚、あるいは拡大から深化へ



もう30年ほど前のことになる。7年に亘るアメリカでの研究生活を終え、日本に帰ってきた。その時に感じたことがある。それは日本ではあるモデルを見ながら進んでいるので、生きるのが楽な国だなというものであった。それは、意識していなかったが、アメリカでは目の前がワイド・オープンになっていると感じていたことを意味している。自分がいつも最前線に立っているという感覚である。そこではモデルなどはないので選択の幅が日本より広く、その選択のために個々人が思考しなければならない。人それぞれに自らを満たすために多様な生き方が生まれる社会と言ってもよいだろう。そのやり方に慣れていない場合には大変だが、この過程こそ社会にダイナミズムを生み、時に創造的な営みが行われる源泉になっているはずである。この感覚が日本に帰って消えていくのを感じていたことになる。考えないで済むという点で楽だと言ったが、別の言い方をすれば、視界が広がっていない予定調和の世界を進むという意味で足枷がかかっているようなものである。生きる上で心が躍らないのだ。

今日の日本は閉塞状況にあり、日本人から元気がなくなったと言われている。もし、あるモデルを見ながら一丸となって進む時に感じた昂揚感がなくなったところに原因を求め、あの昂揚感よ再び、と模索しているとすればあまり期待できないのではないだろうか。あの昂揚感ではなく別の昂揚感が必要になるような気がしている。それはそれぞれが見習うモデルのない最前線に立っているという感覚と、それ故自らが考えて進まなければ立ち行かなくなることを認識することから始まる。時に昂揚感とは対極の感情も招くことになるだろう。しかし、それは与えられたものではなく自らが選んだ結果になるので、それこそ生きている証として受け入れることができるのではないだろうか。その感覚を持ち、日々を新しく生きようとするなかで道は開けるような気がしている。どこかにあるモデルを見るのではなく、それぞれの内面と向き合いながら自らの考えを深めるような生活が広がれば、何かが変わるのではないだろうか。数の世界から質の世界へ、あるいは一方向の拡大ではなく多方面での深化。今フランスに生活して感じる落ち着きの基にはこのような生活態度があるように想像している。これからの日本にとって、一つのヒントがそこにありそうである。


dimanche 5 décembre 2010

バーナード・ウィリアムズさんによるデカルトの哲学




デカルト関連の資料を求めて彷徨っていた時、偶然にもこのインタビューに辿り着く。しばらくして、その主はあの方ではないかと思い当たり、確かめるとそうであった。イギリスの哲学者、バーナード・ウィリアムズさん(Bernard Williams, 21 September 1929 – 10 June 2003)。最近リブレリーで発見し、読んだ方になる。こちらの本である。

 The Sense of the Past: Essays in the History of Philosophy
 (2006, Princeton U Press)

動く姿は初めてであったので、デカルトの人生と哲学について最後までお話を伺うことにした。お相手はブライアン・マジーさん(Brian Magee, born 1930)。















vendredi 3 décembre 2010

この夏に感じたある違和感


Prof. David Baltimore (Caltech, USA) at Kobe (2010)


今年の夏、あの暑い夏、科学の現場に触れるとともに旧交を温めるため、神戸で開かれた国際免疫学会に参加した。その初日に基調講演があった。演者は当代随一と考えられているカリフォルニア工科大学のデビッド・ボルティモア氏。1938年3月生まれなので今年72歳。37歳でノーベル賞を受賞してから今日まで研究の第一線で活躍されている。その彼が基調講演をするということもあり、免疫学という学問について科学あるいは科学を超えた壮大な視野からの眺めが見れるのではないかと期待していた。しかし、お話は現在彼が取り組んでいる micro-RNA の免疫における役割について終始した。正直なところ、少し残念に感じた。そもそも科学者にはそこまで求められていない、むしろ科学の外の世界の話は避けるべきという暗黙の了解があるのかもしれない。若き現役の研究者として聞いていたとすれば、あの年齢まで創造的な活動を続けていることに感動したのかもしれない。しかし、今の感受性は大きく変わってきている。研究者としての活動はわかるが、それを超えたところからの話が出てこなければ満たされないものを感じるようになっている。自らが行っている営みについて、広い視点から分析を加えるという精神運動をそれぞれの科学者の中に見たいと思っているのかもしれない。師走の一日、この夏に感じた違和感を思い出し、書き留めることにした。


mercredi 1 décembre 2010

川出由己著 『生物記号論:主体性の生物学』 を読む



この本は私がこちらに来る前の2007年夏、人づてに著者から献呈していただいたものである。当時は移動の忙しい時期でもあり、また科学の中で生活してきた者にとってはその内容が理解しがたいこともあり、あとがきを読んだ後は本棚の奥に置かれたままになっていた。こちらで新しい領域をフランス語で学ぶという挑戦の日々で、日本語を読む時間も余裕もなかったというのが実態だろう。そのため、結局3年の間忘れていたことになる。

ドクターに入り生物現象を理論的に研究している人に興味が湧きいろいろ調べている時、生物記号論の学者もリストに入ってきた。その名前を見てもピンとこなかったが、次第に初めての人ではないような気がしてきた。そこで記憶を辿っていくと3年前に読んだあとがきのことが浮かび上がってきたのだ。確かめるために本棚から取り出して読んでみると、確かに同じ名前がそこにある。このような形で過去が蘇ってくる感覚は何とも言えないものがある。そこに人生の綾を見る思いがするからだろうか。

少し余裕ができたこともあり、以前には抵抗のあった本文にも目を通してみた。するとどうだろうか。まず、以前に感じた違和感はこの3年で薄れていることに気付いた。それはこの本を読む前に生物記号学に関する本や論文に少しだけ目を通していたため、説明の仕方が理解しやすくなっていたせいもあるだろう。それからこの3年の間科学哲学を学んできたという目に見えない効果もあるのかもしれない。今回の第一印象は、生物記号論の分野の現状や考え方をわかりやすく説明しようとした本である、ということになる。この分野に入るための良き入門書になるだろう。

生物記号論は科学では避けられている「意味」を持ち込んでいる。著者も現在の科学に対して批判的な視線を持っているため意味を強調しているようにも見える。この点をどう見るのかが最大の問題になるだろう。事実、この領域は科学とは言えないという批判があり、それに対して科学であろうとする記号論学者の考えを読んだこともある。3年前に感じた違和感もまさにこの点にあり、当時は拒否反応を示していた。著者は現在の生物学では受け入れられていない、例えば生気論アニミズムの立場を採ると看做されても異議は唱えないと書いている。科学の中で隆盛を極める還元主義、物質主義だけでは生命を理解することは不可能であるという信念がそこに見て取れる。著者の主張に同意するか否かではなく、以前は視界の外にあったこのような考えの持ち主を認めることができるという感覚が私の中に生まれている。

将来とも生物記号論が生物学に取って代わることはないだろう。この領域は飽くまでも科学を含めた異なる分野が融合する形で生命現象を解析するものだからである。ただそれ故、この領域をプラットホームとして生命現象を語り、解釈し、見直す機会が生まれることになれば、いずれ生物学の現場に実質的な影響を及ぼすことができるかもしれない。そのためには、分野横断的・融合的な領域に参加する科学者が増え、相互の接触が深いものになる必要がある。それぞれの分野に閉じ籠っている学者の皆さんがその殻から抜け出し、異文化に触れる勇気と活力を持つ時、何かが動き出すような気がしている。