mercredi 1 décembre 2010

川出由己著 『生物記号論:主体性の生物学』 を読む



この本は私がこちらに来る前の2007年夏、人づてに著者から献呈していただいたものである。当時は移動の忙しい時期でもあり、また科学の中で生活してきた者にとってはその内容が理解しがたいこともあり、あとがきを読んだ後は本棚の奥に置かれたままになっていた。こちらで新しい領域をフランス語で学ぶという挑戦の日々で、日本語を読む時間も余裕もなかったというのが実態だろう。そのため、結局3年の間忘れていたことになる。

ドクターに入り生物現象を理論的に研究している人に興味が湧きいろいろ調べている時、生物記号論の学者もリストに入ってきた。その名前を見てもピンとこなかったが、次第に初めての人ではないような気がしてきた。そこで記憶を辿っていくと3年前に読んだあとがきのことが浮かび上がってきたのだ。確かめるために本棚から取り出して読んでみると、確かに同じ名前がそこにある。このような形で過去が蘇ってくる感覚は何とも言えないものがある。そこに人生の綾を見る思いがするからだろうか。

少し余裕ができたこともあり、以前には抵抗のあった本文にも目を通してみた。するとどうだろうか。まず、以前に感じた違和感はこの3年で薄れていることに気付いた。それはこの本を読む前に生物記号学に関する本や論文に少しだけ目を通していたため、説明の仕方が理解しやすくなっていたせいもあるだろう。それからこの3年の間科学哲学を学んできたという目に見えない効果もあるのかもしれない。今回の第一印象は、生物記号論の分野の現状や考え方をわかりやすく説明しようとした本である、ということになる。この分野に入るための良き入門書になるだろう。

生物記号論は科学では避けられている「意味」を持ち込んでいる。著者も現在の科学に対して批判的な視線を持っているため意味を強調しているようにも見える。この点をどう見るのかが最大の問題になるだろう。事実、この領域は科学とは言えないという批判があり、それに対して科学であろうとする記号論学者の考えを読んだこともある。3年前に感じた違和感もまさにこの点にあり、当時は拒否反応を示していた。著者は現在の生物学では受け入れられていない、例えば生気論アニミズムの立場を採ると看做されても異議は唱えないと書いている。科学の中で隆盛を極める還元主義、物質主義だけでは生命を理解することは不可能であるという信念がそこに見て取れる。著者の主張に同意するか否かではなく、以前は視界の外にあったこのような考えの持ち主を認めることができるという感覚が私の中に生まれている。

将来とも生物記号論が生物学に取って代わることはないだろう。この領域は飽くまでも科学を含めた異なる分野が融合する形で生命現象を解析するものだからである。ただそれ故、この領域をプラットホームとして生命現象を語り、解釈し、見直す機会が生まれることになれば、いずれ生物学の現場に実質的な影響を及ぼすことができるかもしれない。そのためには、分野横断的・融合的な領域に参加する科学者が増え、相互の接触が深いものになる必要がある。それぞれの分野に閉じ籠っている学者の皆さんがその殻から抜け出し、異文化に触れる勇気と活力を持つ時、何かが動き出すような気がしている。


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