vendredi 10 décembre 2010

クロード・ベルナールの 「実験医学研究序説」、そして哲学者ができること



mercredi 4 mars 2009

クロード・ベルナールに 「実験医学研究序説」 という本がある。日本にいる時に本棚にはあったが、結局読むところまで行かなかった。字体や文体が古く魅力を感じなかったことと、仕事に忙しく余裕もなかったためだと思っているが、今のような状況に置かれたとしても読んだかどうかは疑わしい。科学の奥にあるものの考え方や見方、哲学的な視点への興味なしには読むところまでいかなかったのではないだろうか。実際、この本をこちらに持ってこようという気にはならなかった。

そんな状況がフランスに来て少し余裕が出てきたためか、一変している。この手の本に対する感受性が非常に高くなってきたのだ。フランスということもあり、この分野の人のベルナールに対する関心は高い。必ず論じられる人になっている。日本のこの分野の状況を知らないので何とも言えないが、日本の科学者では誰がベルナールに当たるのだろうかと考えているが、まだ思いついていない。

今日、改めて Introduction à l'étude de la médecine expérimentale (1865) を手に取ってみたが、最初からよく入ってくる。今では当り前だろうが、医学は生理学、病理学、治療学からなり、これからはそれぞれが別々にあるのではなく相互に関連を持っていかなければならないという考えが述べられている。ただ、この本は江戸末期に出された本であることと考えると、驚かざるを得ない。彼の観察 l'observation と実験 l'expérience の定義は以下のようになっている。観察とは前もって考えることなく、あくまでも偶然に身を任せる受け身の行為であるのに対し、実験とはある考えを持って、意図してある現象の背後に潜む原因を探ろうとする能動的な行為であるとしている。

これを読みながら、さらに考えが進んでいた。それは、実験をすることなく科学に貢献することができるのだろうか、ということについてである。現在のような状況では実験をして新しい結果を導き出すことも、そこから仮説を出しさらに先に進むこともできない。そのような状況で科学に対して何ができるだろうかという問題になる。まだ漠然としており、それが実現可能かどうかもわからないが、ポジティブな貢献が可能な道筋はあると今の段階では考えている。

その方向性とは、哲学者の瞑想によるのではなく、すでに出されている実験データをもとに統合する作業を行い、新しいものの見方や概念を提唱することができないかというものである。最終的にそこから何かを導き出すことができないことになったにしても、この方向性しかやりようがないように見える。さらに重要なことは、この視点は現役の科学者にとっても有用なものではないかという点である。この視点こそ、哲学的視点と言ってもよいだろう。時間と自由を持っている人がやらなければならないのかもしれない。


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