dimanche 29 janvier 2012

科学の普及、あるいは何を伝えるためにどう話すのか


Dr. Marc Daëron (Institut Pasteur)



先日、パスツール研究所のマルク・ダエロンさんのお話を聴きに出かけた。

わたしがパリで哲学をする切っ掛けになった言葉を彼から聞いたのはもう7年前。

花粉症の時期の東京でのこと。

わたしの興味を聞いた後に、彼はジョルジュ・カンギレムという哲学者の名前を出したのである。

7年とは相当前だが、そんな感じは全くしない。

今日のお話は善玉にも悪玉にもなり得る抗体についてであった。

流れるように進み、あっという間に終わった。





お話の後、写真右のアン・マリ―・ムーランさんからコメントが出ていた。

科学の内容を一般の人に普及しようとする時、どのようにやるのが理想的なのか。

何を伝えるために、どこまでの内容を、どのような言葉使いで話すべきなのか。

難しい問題である。

研究はされているのだろうが、わたしにはよくわからない。

あくまでも自己流でやってきたというのが、偽らざるところだ。

現場の科学者もそれぞれのやり方でやっているのが現状ではないだろうか。

この辺りの問題はこれから益々大切になりそうである。

科学の現場と科学についての研究者が言葉を交わす時期に来ているのではないだろうか。


会の終了後のデジュネでは哲学一般についてのお話が出ていた。

フランスの場合、科学の学部に哲学者が所属していることが稀ではない。

物理学の哲学をやっている方は物理学科に所属しているとのこと。

フランスでも哲学をどう浸透させるのかが問題になっているようである。

深く考える時間がなくなる社会構造とその営みに価値を置かない社会の風潮。

国により程度の差はあるだろうが、この現象は世界的なものかもしれない。

この流れにどう抗するのか。

こちらも大きな問題になるだろう。



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