vendredi 21 juin 2013

"American Philosopher" を観る




偶然に行き当たったアメリカの哲学者のインタビュー・フィルムを観る


最終的には、冒頭でリチャード・ローティ(Richard Rorty, 1931-2007)さんが語っていることに尽きるのだろうか

哲学は自己の中に何があるのかを知るということから、新しい人間になるということに変わってきたのではないか

ソクラテスから始まった哲学は、ニーチェによる新しい人間の創造へと移行していったということになる

わたしであれば、自己を探ることによって新しい人間になる、と言いたいところである

つまり、哲学によって生き方が変わるということになる

あるいは、生きることを考えた時、哲学が現れた、と言った方がより正確か

この関係は相互に絡み合っているのだが、、


ローティさんは他にも興味深いことを言っている

例えば、アメリカの哲学というように場所の特徴を示す哲学を規定することは難しいのではないか

なぜなら、哲学は人口の1%程度を占めるコスモポリタンのような人間がやる傾向があるからである

哲学者は他の職業に比べてノマドの傾向が強いといういくつかの発言もある

もちろん、土地の伝統の影響を強く受けている哲学者もいるという別の指摘もあるのだが

 日本の場合はコスモポリタンの傾向は少ないように見えるが、実際にはどうなのだろうか


ローティさんの他の指摘から

大学における師弟関係で哲学を論じる傾向があるが、哲学は常に外から入ってきているのである

哲学者には、社会を変えるために考える人と古代ギリシャからある問題を考える人の二つのタイプがある


ヒラリー・パトナム(Hilary Putnam, 1926-)さんが語ったという優れた哲学の要件

それは、ヴィジョン(洞察力)と議論のフィネス(巧みさ)

どちらか一方が欠けても駄目だという

その他、最近ここでも取り上げた分析哲学と大陸哲学についての分析も出ていて、実に興味深いものであった


お話に出てきたアメリカの哲学者から

ジョナサン・エドワーズ(Jonathan Edwards, 1703-1758): アメリカ初の哲学者と言われる

ラルフ・ワルド・エマーソン(Ralph Waldo Emerson, 1803-1882)

チャールズ・サンダース・パース(Charles Sanders Peirce, 1839-1914)

ウィリアム・ジェームズ(William James, 1842-1910)

ジョン・デューイ(John Dewey, 1859-1952)

ジェーン・アダムズ(Jane Addams, 1860-1935): ソーシャルワークの先駆者

コーネル・ウェスト(Cornel Ronald West, 1953-)


進歩の議論の時に出てきた Meliorism




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