vendredi 28 février 2014

第1回カフェフィロPAWLと第7回サイファイ・カフェSHEのお知らせ



サイファイ研究所からのお知らせです

来年春に以下の二つの会を開催する予定です


The First Cafe Philo PAWL (Philosophy As a Way of Life)
 
新たに、生き方としての哲学を語る会を以下の要領で始めることに致しました

テーマ: 「ディオゲネスという生き方」

 日時: 2014年3月28(金)、18:20~20:00
定員: 約15名
 案内ポスター 

哲学には、大きく二つの流れがあるように見えます。一つは大学での哲学、体系の構築を目指す理性に依存する哲学です。サイファイ・カフェSHEはこの流れに相当すると考えられます。これに対して、自己の創造や人生を一つの芸術作品にしようとするような生きることに直結する哲学があります。カフェフィロPAWLは、長い間劣勢にあったこの流れの中を歩む予定です。その様式については試行錯誤が続くと思いますが、当面、生きることに関わる哲学を追求した哲学者の歩みを振り返ることにより、そこで問題にされたテーマにわれわれ自身がどのように向き合うのかについて考え、語り合うことを中心に据えることにしました。このような営みの中で、人間の生き方、人間存在そのものに対する理解を深めることを目指しています。

1回は、現トルコ北部、黒海沿岸の町シノぺに生まれた古代ギリシャの犬儒派哲学者ディオゲネス(412 BC?-323 BC)を取り上げます。コスモポリタンを自認するディオゲネスの常軌を逸したかに見える生き様とその背後にある哲学について講師が30分ほど紹介した後、約1時間に亘って意見交換していただき、懇親会においても継続する予定です。
 

The Seventh Sci-Phi Cafe SHE (Science & Human Existence)

テーマ: 「遺伝子を哲学する」 

日時: 2014年4月3日(木)、4日(金)、18:20~20:00
定員: 約15名
(両日とも同じ内容です)
 

サイファイ・カフェSHE

この世界を理解するために、人類は古くから神話、宗教、日常の常識などを用いてきました。しかし、それとは一線を画す方法として科学を編み出しました。この試みでは、長い歴史を持つ科学の中で人類が何を考え、何を行ってきたのかについて、毎回一つのテーマに絞り、振り返ります。そこでは科学の成果だけではなく、その背後にどのような歴史や哲学があるのかという点に注目し、新しい視点を模索します。このような営みを積み上げることにより、最終的に人間という存在の理解に繋がることを目指しています。

今回は、われわれの日常で頻繁に語られる遺伝子を取り上げます。人間は古代ギリシャの時代から遺伝に興味を持ち、アリストテレスも遺伝現象を記載しています。「遺伝子」という概念が出来上がり、それが物質として明らかにされるまでの歴史を概観すると、その明快さと華々しさのためか、遺伝子決定論が支配的な力を持つようになる過程が浮かび上がります。その流れは現在に至るまで続いているように見えますが、ここに来て遺伝子に因らないソフト・インヘリタンスの重要性が説かれ、柔軟な思想が生まれつつあるように見えます。いつものように、講師が30分ほど枠組みを話した後、約1時間に亘って意見交換していただきます。

 
参加を希望される方は、希望日と懇親会参加の有無を添えて 
she.yakura@gmail.comまでお知らせください  

興味をお持ちの方の参加をお待ちしております





dimanche 23 février 2014

"Oppenheimer - Episode 7" を観る



国家に対する忠誠を疑われたオッペンハイマーに対する尋問が1954年から始まる

彼がどのような考えを持っているのかではなく、過去に彼の考えが変わっていることに注目する

彼の人格、誠実さ(veracity)の問題を衝いてくるのである

オッペンハイマーは全幅の信頼を置くに足る人物だというフェルミハンス・ベーテらの証言もある

しかし、エドワード・テラーの証言が決定的だった印象がある

戦争末期には水素爆弾を推奨していたのに戦後考えを変えた

1950年に大統領は水素爆弾を進める決定をする

オッペンハイマーの反応はネガティブであった

そして、テラーはこう証言する
In a great number of cases, I have seen Dr. Oppenheimer act — I understand that Dr. Oppenheimer acted — in a way which was for me was exceedingly hard to understand. I thoroughly disagreed with him in numerous issues and his actions frankly appeared to me confused and complicated. To this extent I feel that I would like to see the vital interests of this country in hands which I understand better, and therefore trust more. In this very limited sense I would like to express a feeling that I would feel personally more secure if public matters would rest in other hands.

1954年5月27日、審判が下り、その後も監視下に置かれることになる

ただ、1963年にリンドン・ジョンソン大統領がフェルミ賞により名誉回復の形を作った

政治的な力を失った彼は物理学や科学について講演旅行や執筆をするようになる

最後に自分の人生を自虐的に総括するシーンが出てくる

それは悲劇ではなく、道化芝居(farce)だったと何度も繰り返す


1967年(1957年と聞こえたが)、オッペンハイマーは癌のため亡くなる

享年、62

 1972年、妻のキティが亡くなる

1977年には娘のトニが自殺する

 息子はニューメキシコで建築・修理業を営んでいる


一大ドラマは、この無表情なナレーションで終わっている

宇宙の歴史から見ればほんの一瞬にしか過ぎない人間の人生は、余りにもあっけない

 しかし、その中には人間の力では抗うことのできない大きな波が押し寄せることがある

その波に巻き込まれたと感じている人間だからこそ、farce という言葉で人生を総括することになったのではないか

今ではこのようなことが起こったことさえほとんどの人の記憶から消えていると想像される

過去の中に入り、その再現に必要なものに触れ、想像力を駆使しないとその状況は蘇ってこない

だからこそ、人間は同じようなことを何度も繰り返すのだろう





"Oppenheimer - Episode 6" を観る




広島、長崎を経験したオッペンハイマーは、大戦後、核兵器の拡散、水爆の開発などを抑えようとする

しかし、いずれも失敗に終わっただけではなく、それまでの共産主義との関わりが調べられるようになる

冷戦下、ソ連の核開発が進み、水爆開発への流れが強くなる

オッペンハイマーと感情の縺れがあったエドワード・テラー(1908-2003) が推進を進言

オッペンハイマーは、広島、長崎以前には考えていなかった道徳、倫理の問題を持ち出す

青臭い話だと切り捨てるテラーとの対立が決定的になる

トルーマン大統領は、オッペンハイマー委員会の勧告を無視して水爆へゴーサインを出す


オッペンハイマーが倫理を持ち出した理由は、標的が日本からソ連に変わったからではないか、という推測が出される

彼の影響力を削ごうとする動きがどんどん強くなる

そして、彼がソ連のエージェントとされるところで終わる





samedi 22 février 2014

"Oppenheimer - Episode 5" を観る




このエピソードでは、1945年に入ってからの様子が詳細に描かれている

日本に対して原爆を使うのかどうか、あるいはどう使うのかの議論から始まっている

そこから、1945年7月16日の最初の実験、そして広島、長崎に至る過程へと続く

広島、長崎の状況を写した映像を観た後のオッペンハイマーの変化が写し出されたところで終わっている


"The Day After Trinity" を観る (2012-03-25)






"Oppenheimer - Episode 4" を観る









mercredi 19 février 2014

BBC/PBS special "Oppenheimer - Episode 1" を観る




ロバート・オッペンハイマー(1904-1967)についてはこの場で何度か取り上げている

生々しい証言がある緊迫のドラマが観られなくなっている

こちらはBBC/PBSの1980年制作で、7回のエピソードから成る一大ドラマ

彼の人生がこれまでになく詳細に描かれている

これまでのものが科学だとしたら、こちらは文学に相当するような印象がある

少し別の角度から、オッペンハイマーという人間を見直すことにした




mardi 18 février 2014

ドキュメンタリー "Death by Design" を観る



1995年のドキュメンタリー "Death by Design" を観る

テーマは、タイトルから想像されるようにプログラム細胞死(programmed cell death: PCD)

この分野の中心人物が出ているが、皆さん本当にお若い

20年ほど前の作品になるので知識を得るというより、このテーマがどのように語られているのかに興味があった


全体が芸術的な仕上がりになっていて、好感を持った

最後の方に出てきたリータ・レーヴィ・モンタルチーニ(1909-2012)さんの話が印象に残った

最初に神経細胞の細胞死を観察したのが大戦中で、トリノの自宅寝室に作った実験室でのことだったという

ユダヤ人は大学から排斥されていたからである

その細胞死を補う物質として神経成長因子を発見し、1986年にノーベル賞を受賞している

当時は戦争中だったので、細胞死が兵士の死とも重なったようである

科学的というよりは、芸術的に仕事をしてきたようである

そして、科学と芸術で重要になるのが直観であるとも言っている

2012年末に103歳で亡くなっているが、まだ生存中にエッセイで少しだけ取り上げたことがあった

エルンスト・マイヤーとシーウォル・ライトというセンテナリアン、あるいは100歳からものを観る」 
医学のあゆみ(2012.11.10) 243 (6): 551-554, 2012

 上のリンクからご覧いただければ幸いである


もう一つ興味深かったのが、マーティン・ラフ(Martin Raff, 1938-)さんの次の観察である

イギリスでは科学は軽蔑されている

イギリス人は音楽を聴き、劇場に行き、哲学的な問題を考えたりするのが立派な人間の証であると考えている

したがって、科学に疎いだけではなく、科学を理解しようとさえしない

多くの政策決定には科学の知識が重要になるので、喫緊の問題である

この時からすでに20年が経過しているが、事態は改善しているのだろうか


他の出演者は、以下の通り

2002年にノーベル賞を貰うことになるボブ・ホロヴィッツ(Robert Horviz, 1947-)氏

danger theory の提唱者ポリー・マッツィンガー(Polly Matzinger, 1947-)氏

この場でも取り上げた細胞死の専門家ピエール・ゴルシュタイン(Pierre Golstein)氏、他

リタさんの双子の相方で芸術家のパオラさんが一緒のところを見ることができたのは幸いであった





マルセル・コンシュさんによるエピクロスの哲学



哲学雑誌に、マルセル・コンシュ(Marcel Conche, 1922-)さんのインタビューが出ていた

もうすぐ92歳になるところである

わたしがフランス語を始めておそらく初めて触れた哲学者で、印象深いものがある

最初のブログに84歳のコンシュさんの記事がある

マルセル・コンシュ(I) (2006-09-25)


コンシュさんの母親は彼が生まれた時に亡くなっている

祖母とまだ未婚だった二人の叔母に引き取られる

母と呼ぶべき人がいないこの経験が大きな傷として残った

子供時代は自然との触れ合いの中で育つ

しかし、当時はそこに価値があることに気付かなかった

彼の父親は農民だった

省察の生活とは正反対の土を相手にした仕事をしていた

モットーは「土は常に人間を育む」であった

父親の唯一の野心は、家族に食事を与え、無事に育てることであった


コンシュさん ご自身は土との仕事の中で、理性と哲学に目覚める

キリスト教徒として育ったが、悲惨な目に遭っている子供たちを見て、神の存在に疑いを持つ

1956年のことであった

そして、1963年にモンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne, 1533-1592)を発見する

これが哲学人生において重要だったのは、自然な哲学と人工的な哲学との違いに気付いたことだという

 そして、神を中心に回る近代の人工的な哲学ではなく、古代ギリシャの自然な哲学に回帰することを決意する

モンテーニュがルクレティウスエピクロスピュロン、そしてヘラクレイトスへと導いてくれたようだ



エピクロスにとっての自然は、われわれの目に触れるものを超えた世界の全体を意味していた

エピクロスの物理学は、自然は原子と空虚からなるとする

分割不能な原子が無限の空間を飛び回っている

そして、原子が突然その軌跡を変え、それによって新しい世界が生まれるのである

後に、ルクレティウスが clinamen と名付けた原理である

この世界には、創造主も、インテリジェント・デザインも、必然性も、神の摂理も存在しない

エピクロスの世界観である


善く生きるには、衣食住のための自然で必然的な欲求を満たすだけでよい、とエピクロスは言う

食はパンと水だけで良いとも言う

隠遁や禁欲を薦めるものではないが、過度の欲を求める快楽主義とも違う

食べることではなく、食べたことを愉しむという立場になる

この微妙に見える差は、よく考えると途方もなく大きい

それにより、体の苦痛がなくなり(aponie)、精神の安定(アタラクシアataraxie)が生まれるとする

さらに、精神だけに関わる喜びがあるとエピクロスは主張する

それは哲学することで、人間の自然で必然的な欲求に分類されている


現代の大きな問題は、自然を忘れ、すべてを計りに掛けることと関係している

そこから、自然でも必然でもない欲求が生まれているからである

金、物質的な快適さ、名誉や栄光の追及

都会では出世主義者(arriviste)が富や権力を求める

それをエピクロスは常軌を逸したことと呼ぶ

それに挑戦し、そこから離れるのがエピキュリアンである

ストア派と違い、政治への参加も拒否する

しかし、友情は大切にする

世界と断絶しているわけではなく、パーティに誘われれば参加する

しかし、ダンスに興じることはない

重要になるのは苦痛の除去、それが幸福の規準となる


エピクロスの愛についての考えには教えられるところがあるという

愛、肉欲は、自然な欲求だが必然ではないとされる

それがなくとも、散歩したり、走ったり、、、、他の活動で遣り過ごせる、と考える

ただし、憑りつかれたら節度を以って当たること

愛は人生の多くの時間を奪い、重要なことから遠ざけるからだ

  コンシュさんの人生にとって重要なことは、哲学することだという


パソコンについても触れている

目をやられ、人生を複雑にするだけなのでもう止めたという

これには同意したい今日この頃である





mercredi 12 février 2014

ハイデッガーの 『黒のノート』


今週のル・ポワンに、ハイデッガーの 『黒のノート』 (Schwarze Hefte)が来月出版されるという記事があった

二つの顔を持つ哲学者として最初のブログで取り上げたこともある

その時もル・ポワンの記事からであった


今回の 『黒のノート』 はハイデッガーが1930年から書き始めたもので、本人が公表を希望していたという

そこでは恐ろしいレベルにまで達している反ユダヤ主義が哲学にまで高められている、とある

以前の記事にもあるが、これまではどちらかというと類推や関係者の証言を基にしたものが多かった

そして、ハイデッガー主義者たちはご本尊の反ユダヤ主義を否定してきた

しかし、今回は1,200ページにも及ぶ本人による著述なので、最終的なところに行き着く可能性がある

すでに検討した人の話によると、彼の反ユダヤ主義は疑いようがなく、悪意に満ち、有害でもあるという

ユダヤ陰謀論の立場を採り、ヨーロッパ文化のユダヤ化と闘うことを考えていた

ヨーロッパ文化とは、個人主義、理性主義、民主主義、科学的厳密さ、そしてユダヤ・キリスト教を含むものである

その上で、第二次大戦をユダヤ人に対する戦争と主張している

ナチスのプロパガンダと完全に重なるのである


国籍を持たないコスモポリタニズムは反ユダヤ主義者の一つのテーマである

ハイデッガーは、ユダヤ教は 「存在」 に行き着かないと考えていた

人間が世界内存在であるとすれば、世界を持たないものは人間どころか動物以下であるとしたのである

7年前にも批判的な立場を採ったエマニュエル・フェイ(Emmanuel Faye)は、検討の結果こう言っている 

「それは存在論や必然性、さらには運命論に帰する議論で、この本における省察の最悪の部分である」

今やアングロ・サクソンの国ではほとんど読まれていないが、フランスでは未だに擁護者がいるという

この記事を書いたロジャー・ポル・ドゥロワ(Roger-Pol Droit)は、こう問いかけている

これだけの証拠が蓄積していても不十分だと言うのだろうか?

更なる証拠を待たなければならないのか?

そして、21世紀の哲学はハイデッガーなしでできるし、そうしなければならない、と結んでいる



ところで、この記事には 「古代ギリシャ語とドイツ語でしか哲学することがなかった偏狭な傲慢さ」 という件がある

最近その傾向が顕著になっているという内にしか向かわない思考ともどこか通じるものを感じる

この流れに抗するためにも、外国語教育が重要になるはずである

単なる道具としての言葉ではなく、精神を開く上でも有効であるという視点で考え直す必要がありそうだ




lundi 10 février 2014

パリから見えるこの世界 (13) 21 世紀の科学,あるいは新しい 「知のエティック」



雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 の第13回エッセイを紹介いたします

« Un regard de Paris sur ce monde » 

医学のあゆみ(2013.2.9) 244 (6): 572-576, 2013

 ご一読、ご批判いただければ幸いです